捌:人が狐を育てた話

 申し上げたかもしれませんが、昔この辺りには一軒の茶屋がございました。

 今でこそ大きな工場も建っておりますが、魚の買い付けに来る商人くらいしか訪れぬ時期もありまして。子供のいない夫婦が営んでおりました頃、店をたたむ話もあったとか。

 しかしそんなある日、この夫婦が狐の子を拾ったのでございます。

 さて罠にでもかかったところを拾われたか、親狐が狩り殺され一匹残されたのか。それはとんとわかりませんが、茶屋の夫婦は先ほど申しましたとおり子供を持ちませんでしたので。情がうつったのでございましょうね。この子狐を我が子の代わりと育てたそうで。

 そう言いましても獣のことでございましょう。半年もすれば大きく育ち人間のもとなど離れるだろうと、周囲の者は言ったそうでありますが。

 ところがですよ。この子狐、半年が一年、一年が二年となってもまだ小さなままであったとか。茶屋の夫婦はそれこそ人間の子を育てるように可愛がり、面倒を見ておりまして、もう店をたたむなどという話もどこへやら、この子のためには働いて稼がねばならぬと。

 しかししかし、これまたところがでございます。夫婦が子狐を拾って三年目、この子が「ととさま、かかさま」と人の言葉を話したとか話さぬとか。

 さて、その後のことは詳しくは存じませぬが、人の言葉で語る獣など気味が悪うございましょう。捨てられたか殺されたかしたのではありますまいか。

 茶屋はどうなったのか、ですか。さてそれは。夫婦の息子がいだ際にはどこぞの誰かから祝いの魚や果実くだものがたいそう運び込まれたとだけ。

 はて? 夫婦に子供はおらぬはず、と。はあ、確かにそう申し上げましたね。ええ、そういうこともあるのでしょうねえ。

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