第9話 それぞれの気持ち

瞳は韓国に降り立った。自分の仕事も辞めてきた。どうしても本木に話を聞いてもらうためにやってきたのであった。今の瞳は本木をお金という対象で見てはいなかった。自分にとって何が大切か価値観を本木によって変えられたから。

「本木さん、待っててね・・・」

瞳は自分を奮い立たせ、ある場所へ向かう。


ユリは相変わらず本木の居場所がつかめていなかった。出来る限りのことは行い、今のユリにはもう偶然を待つしかなかった。

「ユリさん、お客様です」

「誰かしら・・・」

ユリの前に現れたのは瞳であった。


「お久しぶり」

瞳はユリに言った。

「お久しぶりです・・・」

ユリも答えたが、挨拶以上の言葉が出なかった。

「全部聞いたでしょ?」

瞳は聞いた。

「えっ?」

「とぼけなくても良いわよ。私と本木のこと」

「どうかしたんですか?」

ユリは真剣な顔で聞き返す。ユリの真剣な顔を逆に自分を騙そうとしていると感じた瞳は思わず声を大にして聞く。

「とぼけないで!本木と一緒にいるんでしょ!」

「本木さん、まだ戻ってないんですか?私も探しましたが・・・」

「あなたの所にいるのはわかっているんだから、お願い教えて」

「本当に知りません。本当です!」

瞳は唇を震わせ興奮していたが、冷静になり、

「・・・どうか、もう一度彼と会わせてください。お願いします・・・」

と、頭を下げる。そんな瞳を見てユリは慌てて答える。

「頭を上げてください。私も出来る限り協力します。瞳さんが本当に心配していたことを会えたら必ず伝えますから」

「ありがとう。ごめんなさい、お忙しいのに・・」

瞳は一礼して帰っていった。二人のやり取りを偶然居合わせたテヒが見ていた。テヒは居たたまれない気持ちで一杯になった。自分だけが本木の居場所を知っている。ユリが自分の気持ちを押し殺してまで、二人の幸せを願おうとしている。本木と瞳の間に何があったかも知らずに・・・。テヒは自分の罪悪感からユリへ声を掛ける。

「姉さん・・・」

「あら、テヒ、どうしたの?」

「姉さん、あの・・・私、本木さんを見かけたわ・・・」

「えっ、テヒ、本当?」

「うん・・・」

「どこで?」

「ソウルタワーホテルへ入っていくのを・・・」

「ありがとう!テヒ、感謝するわ!」

ユリは笑顔でテヒに話し、急いで出掛けていった。

瞳はユリの事務所で本木が現れるのを待っていた。そこへユリが慌てて事務所を出て行く様子を目撃し、本木の所へ行くと瞳は直感した。

「やっぱり居所を知ってたのね・・・」

瞳はユリが自分に嘘を言っていたと感じ、慌ててユリを追いかけた。


本木はテヒとの会話で大分自分を取り戻していた。テヒの明るさに感謝し、何かお礼をしなければと感じていた。そこへドアのチャイムがなる。

「はい!」

本木はテヒであると勘違いして扉を開ける。

「・・・ユリさん・・・」

「急にごめんなさい。ちょっとお話があって・・・、外に出られませんか?」

「ええ・・・、わかりました。すぐ仕度します」

本木とユリはロビーへと向かった。


ロビー内にある噴水前の椅子に二人腰掛ける。

「本木さん、心配しました」

ユリは席に着くなり言った。

「心配掛けてすいません」

本木は素直に謝った。

「一体何があったんですか?瞳さんもすごく心配しています」

「・・・」

本木は瞳との一件をユリに話していない。本当のことを言ったら、必ず彼女は責任を感じてしまうと思ったからだ。

「たいしたことではないんです」

「本木さん!嘘言わないで!」

ユリは思わず声を高めて言った。

「たいしたことがなくて本木さんはこんなことするはずない。何か重大なことがあったんでしょ?私に話してください」

「本当に大丈夫です」

「じゃあ、どうして瞳さんは苦しんでいるの?恋人を苦しめて何にもないなんておかしいわ!本木さんだって悲しい目をしている。私も本当に心配したんです。あなたがいなくなって、ここ数日、思い当たるところを全部探したわ」

本木はユリに心配かけたことに気が付かなかった。自分のことのように心配してくれたユリの態度を知り、自分のことをどのように思っているか、ユリの気持ちが知りたくなった。

「ユリさん、僕のことどう思っています?」

「えっ?」

ユリは思いがけない質問に驚いた。

「どうって・・・本木さんは瞳さんの恋人だと・・・思っています」

ユリはしどろもどろに答える。

「瞳とどうかではなく、あなたが私をどう思っているかを聞いています。本当の気持ちを教えてくれませんか?」

「・・・本木さんのこと・・・何とも思っていません」

「ユリさん!」

「私は、・・・瞳さんと本木さんの幸せを望んでいます」

ユリは目を伏せて言った。

「本当ですか?」

「本当です、本木さんは私にとって、ただのお友達です、それに・・・迷惑なんです、出来れば私のことはほっておいてください」

ユリは言った。そして心の中で思った。

―「自分の気持ちを正直に言ったらまた二人の関係を混乱させてしまう。それによって苦しむのは本木さんだ。本木さんは今でも何かに苦しんでいる。だから、自分の気持ちは言ってはいけない・・・」―と。

本木はしばらく黙っていたが、ユリから視線をそらさない。そして続けて聞く。

「では、なぜ私が贈ったプレゼントを身に付けているんですか?」

本木は自分がプレゼントをした指輪を身につけているユリの手を取り言う。

「僕のこと迷惑なんでしょ!ではそんな相手からもらった指輪を何故しているんですか?」

「・・・」

「ユリさん、何故です?」

本木は迫るようにユリに聞いた。

「つけていることを忘れていました。今、はずします」

そう言ってユリは指輪を手からはずし、

「これで私の気持ちがわかってもらえますか」

と、言って、指輪を噴水へと投げ入れた。

噴水へと投げ込まれた指輪を本木は見て、愕然として座り込む。

「そうですか、これがあなたの気持ちですね・・・」

そう言うと本木は落胆して

「わかりました。もう話すことはないですね・・・」

と、言って、立ち上がる。そしてユリに背中を向けた後、思い出したように言う。

「ああ、あなたの後輩のテヒさん、こちらにきてから随分とお世話になりました。彼女にお礼を言っておいてください」

そう言うと本木は去って行った。

「え・・・、テヒが本木さんと会っていたの・・・そんな・・・」

ユリは思いがけない事実を知らされ、その場に座り込む。そして本木の姿が見えなくなると、噴水へと歩き出し、先ほど投げ入れた指輪を拾う。

「・・・どうしてこうなるの・・・、どうして・・・」

ユリはその場で泣き崩れた。自分の気持ちに嘘をついてしまったこと、そうせざる状況にあること、そしてテヒが自分に隠し事をしていたこと・・・全てが嫌になり泣き崩れた。

テヒから本木の居場所を聞いたマネージャーがその場に数分前から駆けつけていた。そしてユリに近づき、そっと肩を抱き歩き始める。ユリもマネージャーの姿を見て、安心からか一層大きな声で泣き始めた。


ユリを追いかけてきた瞳は本木が滞在しているホテルを突き止める。但し、本木に会うのをためらっていた。

「今日は止めたほうがよさそうね・・・」

瞳が呟き引き返そうとすると、偶然テヒと出会う。

「すいません、瞳さんですか?」

テヒに声を掛けられ瞳は振り向いた。


瞳とテヒは近くの喫茶店へと来ていた。

テヒは思い切って瞳に話し出す。

「瞳さんと本木さんの中で、何が起きたか私、知っています」

瞳は一瞬ギクッとするが毅然と答える。

「そうなの・・・それで私に何か用?」

「本木さんと別れてください」

テヒは真剣な顔で言った。瞳は呆気にとられるが、微笑んで聞き返す。

「なぜ、あなたがそんなこと言うの?」

「それは・・・姉さん、いやユリさんのためです。彼女、本当に本木さんを愛しています。ですから・・・」

「私も愛しているわ!」

「だったら、なぜあんなことを・・・?」

「そう、私が馬鹿だったわ・・・今まで彼の優しさの素晴らしさがわからなかった。自分が本当に必要としているのは何だったのか、ようやく気が付いた・・・」

「今ごろ本木さんの優しさに気が付くなんて・・・今まで何を見てきたんです?」

真剣なテヒに対して、瞳は笑顔で見つめ言う。

「どうしてあなたが本木の優しさを知ってるの?まさか、あなたも本木が好きなの?」

「違います!ただ、優しいのかなって思ったから・・・」

テヒは慌てて言い返した。

「とにかく、私は彼を失いたくない。それだけは言っておくわ」

そう言って、瞳は伝票を取り、レジへと向かって行った。

テヒは自分の気持ちを見抜かれ、その場で恥ずかしそうにコーヒーを飲んだ。


瞳はテヒの本木に対する気持ちを見抜いた。自分以外に本木を慕う人間がこれ以上増えることは、瞳にとって不利になる。ましてユリは本木の居場所を知っていながら、自分に教えなかったということは、本木をかなり意識していることに違いないと感じた。

「ユリは許せないわね・・・」

瞳はユリの事務所に向かった。


マネージャーに付き添われて、ユリは事務所に戻った。マネージャーはコーヒーを差し出しながら話し出す。

「飲んで、落ち着くから」

「ありがとう。ごめんなさい、心配掛けて・・・」

「気にするな、それより・・・」

「何も言わないで、お願い・・・」

ユリはマネージャーが何か言う前に遮った。すると、マネージャーも

「わかった。とりあえず、今日はゆっくり休め」

と、言って、帰って行った。

「ハー・・・」

ユリはため息をついた。大分落ち着いたが、まだ心の悩みは解決していなかった。

「帰ろっと・・・」

ユリは出口へ向かった。すると瞳が立っていた。

「ユリさん、これからお帰り?」

「そう。ごめんなさい、今は何も話したくない・・・」

ユリはそう言って瞳の横をすり抜けようとする。すると瞳は腕を掴み言う。

「ひとつだけ、あなたに教えてあげる。テヒさん、あの子、本木が好きみたいよ」

ユリは瞳のほうを振り向く。

「なぜそんなことがわかるの?」

「彼女、私に本木と別れろって言ってきたわ、その理由をあなたのせいにしてたけど、どう見ても自分の気持ちから出た言葉だわ、もし信じられないなら本人に聞いてみたら」

と、瞳は言って、帰って行った。


帰りの車でユリは一人考えていた。

―「テヒも本木さんが・・・」―心の中で呟く。確かに本木の居場所を知っていながら自分に教えなかった、本木から感謝されたということは彼に何回か会っていたことになる。また瞳に対して別れろとも言った・・・。

「テヒ・・・」

ユリは呟いた。しかし、本人には聞かずにテヒが自分から本木への気持ちを話すまで、ユリは待つことにした。

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