第10話 悲劇
瞳は本木の滞在するホテルへやってきた。今日、本木に会い、自分の気持ちを正直に伝えようと硬く決意していた。ただ、いざ本木の部屋の前に来ると、ノックする手が震えた。しかし、勇気を出してノックする。
「はい」
本木が扉を開けた。
「瞳・・・」
「ごめんなさい、こんなところまで押しかけて来て・・・」
本木は扉を閉めながら言う。
「帰ってくれ・・・」
「まって、あっ!」
瞳は扉を抑えようとして手をはさんでしまい、その場にうずくまる。
「あっ、大丈夫?」
本木はうずくまる瞳の手を取る。
「大丈夫・・・相変わらず優しいのね」
瞳は痛みを堪えながら言った。
「馬鹿だな・・・なんで手なんか出すんだ」
「どうしてもあなたと話がしたかったから・・・お願い、話を聞いて」
本木は瞳の手を離し、
「とりあえずロビーに行こう、部屋で二人になりたくないから・・」
そう言いながらエレベータへと歩き出す。瞳も立ち上がり本木を追いかけた。
「ほんとうにごめんなさい」
瞳は本木に頭を下げ言った。
「もう、あやまりの言葉はやめて欲しい・・・それ以外ないなら帰ってくれ」
本木は冷たく突き放す。
「許してもらえないのはわかっている・・・でも、今から言う話は正直な私の気持ちなの、お願い、聞いて」
本木は黙ったまま、瞳とも視線を合わせず聞いていた。
「・・・あなたの知っているとおり、私はあなたを利用しようとした。それは紛れも無い事実よ。そう、あなたのことは好きでもなく、ただお金目当てのつもりだった。私・・・あなたに話していなかったけど、両親もいない孤児だったの。犯罪歴もあるし、若い頃は悪事の限りをやってきたわ。だから、この世で大切なのは愛でも友情でもなく、お金だと自分自身で信じていた。そう、私に必要なのは愛ではなくお金だと」
本木は瞳の過去を聞き、驚いた表情で瞳を見る。
「でも、あなたを失うと思った瞬間に自分にとって何が本当に必要なのかわかったの。あなたの優しさを今まで大事なものと感じなかったけど、あなたがいなくなって自分がどれほど孤独な人間かわかった・・・。そしてあなたが示してくれた愛情が、どれだけ私の心を温かくしたか・・・。馬鹿よね、失ってから気が付くなんて・・・」
本木は言葉をかけようとしたが必死に堪えていた。彼女が孤独な人生を送ってきたことを全く知らなかった。今の瞳は非常に弱弱しく、悲しい女性に見えた。
「勿論、あなたに今、私を許してなんて言わない。私の気持ちはこれからも変わらないから、いつまでも待ってるから・・・それだけを言いたかったの」
瞳は笑顔で本木に伝える。しかし、その目には涙が溜まっていた。
「それから、ユリさんとテヒさんもあなたのことが好きよ・・・私は待っているけど、あなたが誰か他の人を選んで幸せになるんだったら、あなたの選択を尊重するわ」
本木は立ち上がった。これ以上いると自分が瞳を許してしまいそうで怖かったからだ。本木が瞳に背を向けると、瞳は立ち上がり叫ぶ。
「本木さん!私のせいで人を信じること、愛する気持ちを失わないで!お願い・・・」
本木は立ち止まると、瞳の方を見て言った。
「テヒさんには傷ついた僕を慰めてくれたことを感謝している。しかし、それ以上の気持ちはない。ユリさんには正直に僕のことをどう思っているか聞いたが、彼女は友達だとはっきり言った。君が言うように二人が僕を好きであることは今、信じられない・・・」
そう言うと、また本木は瞳に背中を向け、最後に
「でも、君が僕を心配してここまで来てくれた行動は、君の優しさであることを信じるよ。ありがとう」
と、言って、その場を去った。
瞳は涙を流しながら
「ありがとう・・・ありがとう・・・」
と、何度も呟き、本木を見送った。
本木は帰国した。自分の気持ちの迷いを振り払うべく、仕事に専念しようと思っていた。少し遅れて瞳も帰国する。瞳は本木の感謝の言葉を素直に喜んでいた。これからは例え本木と別れることになっても、他人に優しくなれそうな気がした。そして自分の気持ちに素直に生きていけると思った。
「ありがとう、本木さん」
瞳はそう呟きながら・・・。
ユリは苦しい日々を送っていた。本木を拒絶した自分の行動とテヒの嘘・・・。もう二度と本木は会ってくれないと思うだけで胸が苦しかった。
「暗い顔してどうした?」
突然、声を掛けられ驚いて振り向く。同僚のハン・ジヘだった。
「ジヘさん・・・別に何でもないの」
「ユリ、話せよ。苦しいことは他人に話すと楽になるから」
「本当にそうなったらお願いするわ、今は大丈夫よ」
「そうか・・・わかった。話したくなったら、いつでも言ってくれ」
ジヘはそう言って、去って行った。一方、テヒは本木が急に帰国してしまったことで寂しさを感じていた。本木がいなくなって自分の気持ちが本木に傾いていることを、自分自身で感じていた。でも、ユリのことを思い、自分の気持ちを消そうと努力していた。しかし、日増しに強くなる本木への思いを抑えきれなくなっていた。
「本木さん・・・」
テヒは決意し、マネージャーの元へ向かう。
「マネージャー、明日、日本へ行ってくる」
「日本?何をしに?」
「ちょっと用事で、明後日には戻るから、大丈夫よね?」
「ああ、わかった。一人で大丈夫か?」
「大丈夫!」
そう言って、テヒは出て行った。
「どうしたんだあいつ、急に・・・」
「何が?」
ユリがいつの間にか来ていた。
「おお、ユリか、驚かすなよ!」
「ごめん。どうしたの?」
「いや、テヒが急に日本に行くなんていうから・・・何があったのかと思って」
ユリの顔色が急に変わった。
「マネージャー、テヒはいつ日本に行くって?」
「明日だと言ってた」
「・・・」
ユリは考え込んだ後、その場を去って行った。
次の日、テヒは空港に来ていた。チェックインを済ましロビーを歩いていると、目の前に人が立った。
「姉さん・・・」
ユリがテヒの前にいた。
「テヒ、日本に行くの?」
「ええ・・・」
テヒは節目がちに言う。
「よかったら理由を教えてくれない?」
「・・・」
テヒは何も言えずにいた。そんなテヒを見て、ユリは笑顔で言う。
「いいわ、頑張ってきてね!」
「姉さん・・・」
「何も言わないでいいわ。とにかく頑張ってきてね」
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
テヒは謝ることしか出来なかった。そんなテヒの肩を叩き、ユリは帰っていく。テヒはユリの後姿を見送り、出発ロビーへと消えていった。
瞳は自宅の整理をしていた。ここを引っ越して人生の再出発をしようと思っていた。そこにドアをノックする音が聞こえた。
「はーい」
ドアを開けると、そこには三田村が立っていた。
「あんた・・・」
三田村は部屋に勝手に入っていき
「ふーん、どこかへ逃げるつもりか?」
「帰って!」
瞳は三田村を睨み言った。三田村は笑い出し言う。
「随分冷てえじゃないか、他人じゃあるまいし・・・」
そう言いながら瞳に抱きつこうとする。瞳は振り払い
「お願い、帰って」
と、言い、部屋の奥へと行き、荷物の整理をはじめる。
「お前、本当にあいつが好きになったわけじゃないだろうな?」
瞳は何も言わず整理を続ける。
「そうだよな、お前が変われるわけないもんな。どうせ俺たちは同じ人種で離れられない運命だよ」
瞳は整理していた手を止め、立ち上がり言った。
「そうね・・・あなたにも迷惑をかけたのかも・・・。私、今まで自分が不幸なのは他人のせいだと思っていた。あなたみたいな人に出会わなければ自分の人生も変わったとか、自分の境遇の悪さは全て他人のせいにしてた。でも、間違っていたことにようやく気が付いたの。自分が愛さなければ他の人だって自分を愛してくれない、人に優しくされるには、自分が人に優しくする強い人でなければいけないことも・・・。あの人を失ってから、人を信じる心、愛することの素晴らしさを知ったわ。あの人は私の心にようやく人らしい気持ちを宿してくれた。だから、もうあなたとはこれっきりにする。私はこれから人生をやり直すつもりよ。だから帰って」
そう言うと瞳は三田村に背を向け、整理をはじめる。
「そうか・・・わかった」
三田村は瞳の背後に近づき、瞳の腕をとって自分の方をむかせる。
「ううっ」
瞳がうめき声を出す。
「お前だけ変わらせないぜ・・・俺たちはいつまでも一緒だからな・・・」
三田村の手にはナイフがあった。そのナイフは瞳の腹部を貫いていた。瞳はそのまま倒れた。三田村は瞳を見て笑いながら去っていく。薄れる意識の中で、瞳は必死に本木と一緒に写った写真を手に取る。
「本木さん・・・ありがとう・・・私、幸せだった・・・」
そう言うと瞳は力尽きた。
テヒは本木の会社へやって来た。しばらくすると本木も現れ、近くの喫茶店へと二人は行く。
「韓国ではいろいろお世話になったね」
「いいえ、私はたいしたことしてないわ・・・」
テヒはうつむきながら言った。
「ところでどうしたの?僕に何か用でも?」
「うん・・・実は・・・」
テヒが何か言いかけると、喫茶店のテレビから
「・・・坂本瞳さんが何者かに殺害されました・・・」
と、いうアナウンス聞こえてきた。本木は立ち上がり、テレビの方へと進みニュースに聞き入る。テヒも本木の後を追う。
「瞳が・・・殺された・・・」
「えっ?瞳さんが・・・そんな・・・」
テヒは信じられない、と、いった表情でテレビを見つめる。
「ごめん、ちょっと警察に行って来る」
本木はテヒに言い、急いで店を出る。
「私も行きます!」
テヒも本木の後を追った。
そのころユリは同僚のジヘと事務所で話をしていた。そこにマネージャーが血相を変えてやってきた。
「ユリ!瞳さんが・・・」
マネージャーの尋常でない表情を見て、ユリは恐る恐る聞き返す。
「瞳さんが、どうしたの?」
「・・・瞳さんが・・・殺された」
ユリは驚きのあまり、その場に座り込んだ。
「今、テヒから連絡が入って、葬儀に参加するから二・三日休むと言ってきた」
ユリは胸を抑え、自分を落ち着かせて
「葬儀はいつなの?」
「明日の夕方からだ」
「私も行くわ!お願い!行かせて」
「わかった、今日中に明後日までの仕事の調整をしよう。俺も一緒に行くから」
二人は急いでスケジュールの変更作業に取り掛かる。
本木は警察で事情を聞いた。何者かがナイフで瞳の腹部を刺し、出血多量で死んだこと、瞳には身寄りがなく、このままだと無縁仏になること、現在、一人の男性を容疑者として手配していること。
「僕が身元引受人になります」
本木は瞳の身元を引き受け、葬儀の手配を秘書へ指示する。その様子を黙ってテヒは見ていた。
「明日の葬儀の場所がわかったら連絡ください。今日は帰ります」
テヒは本木に声を掛けた。
「ああ、連絡するよ。本当に今日は申し訳ない」
「ううん。何もしてあげられないから・・・それじゃ」
テヒはそう言うと帰って行った。
次の日、お通夜には本木ただ一人が親族席に座っていた。もともと身寄りも無く、まして殺された瞳の葬儀に参加するものは誰もいなかった。テヒはマネージャーとユリを迎え葬儀場へとやってきた。マネージャー、ユリ、テヒ、三人が焼香を済ますと、ユリは突然立ち止まり本木を見つめる。ユリの視線を感じた本木も顔を上げユリを見つめた。
「本木さん・・・」
そう言うとユリは歩き出し、親族席に座る本木の隣に腰を下ろす。その様子を見て本木は感謝し
「ユリさん・・・ありがとう」
と、小さな声で言った。
「いいえ、瞳さんとは短い時間だったけど、仲良くさせてもらったわ。本当に優しい良い人だったのに・・・」
マネージャーとテヒもユリの行動に倣い親族席に座る。本木は二人にもお礼を言った。だが、最後まで列席者の姿はなかった。
「どうもありがとう、瞳も嬉しかったと思います」
葬儀が無事に終わり、本木は三人へ言った。
「いいえ、本木さんも元気を出してね」
ユリは笑顔で言った。
翌日、三人は空港へと向かう。チェックイン手続きカウンターの前で、テヒが立ち止まった。
「ごめん、先に帰ってください」
「テヒ・・・」
ユリが言った。
「このまま帰れない、だからお願いです」
「でもな・・・」
マネージャーが言いかけた時、ユリがマネージャーの腕を抑え
「良いじゃない、テヒ、行ってきなさい」
「姉さん・・・ありがとう!それじゃ」
テヒは戻って行った。マネージャーはユリを見つめ
「お前、それで良いのか・・・?」
「これでいいのよ、さあ、行きましょう!」
ユリは笑顔で言った。
本木は瞳の墓前に座り手を合わせて祈っていた。ここに来る前、本木は会社へ辞表を提出した。自分をもう一度見つめ直すため、今の境遇を変えようと思ったからだ。勿論、父親は反対し引き止めたが、本木の意思は固かった。
「瞳、今までありがとう。君に騙されていたことは正直言って辛かったよ。でも、最後に行った海以降の君が本当の君だったと信じて、良い思い出だけを残すことにする。そして君に言われたとおり、これからも人を愛することを忘れずに生きていくよ」
本木は立ち上がり花束を墓前に置き、去って行く。すると、前方から一人の女性が本木のほうへ近づいてくる。
「テヒさん?」
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