#024 悶着

 三栗屋は、これまでの間で文庫本に目を落としながらも下がる眼鏡の隙間から彼女の挙動を探っていた。

 普段から人との交流を活発にする彼女が、突然出かけようと誘うことは多々あった。いつもの彼女であれば、まるで遠慮という言葉を知らないように積極的な文面で連絡をしてくる。しかし、今回は、忙しいなら無理しなくていいんだけど、という内容がおまけのように添えられていたのだ。

 三栗屋ははじめこそ、彼女が謙虚さというものを覚えたのかと感じたが、どうにもその違和感から解放されず、彼女と対面してから今の今まで観察をしていたのである。

 そして彼は、気づいた。

「今日は、君と目が合わないのだよ。いつもなら顔を上げた途端に視線が合うはずなのに、せっかく合ったと思ってもそらされ、かと思えば誤魔化すように食事の方へと目を向ける。自分でもおかしいと思わないかい。自分がいつもと違う、と」

 静寂が訪れる。

 右へ、左へ、上へ、下へ、そして正面へ……生唾を飲み込んで無理矢理三栗屋と視線を合わせた桃瀬は、すとん、と肩の力を抜いた。

「えへへ、やっぱミクさんに隠し事はできないね!」

「君は、わかりやすすぎるんだよ」

 二人の間に恋愛感情といった特別な感情はない。二人はあくまでも友人であった。むしろ兄妹のように互いが思っているのかもしれない。しかし、この時ばかりは恋人同士の会話のように、店内を温かい空気で包んだ。

「もしもミクさんに見抜かれなかったら、ゆめはこれをお墓まで隠し持っていたかもね」

「そうすべきだと思うなら、今からでもそうした方が良いよ」

「ううん、つらい思いは、一人で抱えていたくない」

 ゆめは、もう一口と生クリームをいっぱいにつけたパンケーキを口に運ぶ。

「つらい話、なの。それでも聞いてくれる?」

「ああ、いいだろう。話してごらんよ」

 三栗屋は、言葉こそ鋭けれど、柔らかい眼差しで彼女を包んだ。桃瀬はそんな彼に安心しきったように、話し始める。

「マミさん……天見あまみあんずさんっていう、ゆめのお友達がいるんだ。小さなスナック? の店主さん。大学入ってからずっとお世話になってるんだ」

「大学入ってから……?」

「未成年飲酒はしてないよ! たまに歌わせてもらってるくらい。ジュースをご馳走してもらってるんだ。モクテルってやつだし!」

「本当かい? 父親が警察なのに法を犯すのはいただけないね」

 それまで化粧で桃色に彩られていた頬が、熱を帯びてだんだんと真っ赤になっていき、マシュマロのように柔らかい頬をぷくりと膨らませて、勢いよく立ち上がった。穏やかなジャズとわずかばかりの客の声が飛び交うそんな店内の注目を一身に浴びた。

「もうっ、ミクさんっ! ゆめ、お酒は飲んでないもん!」

 三栗屋は、めずらしいことに、口をパクパクさせながら彼女を見上げて、汗を一筋流している。

「おお、おお。わかっているよ、わかっているから。そんなに怒らないでおくれ」

「ミクさんのせいじゃん!!」

「そうだねえ、僕のせいだねえ。すまない、すまない……」

 桃瀬は、いかにも不服だというように腕を組み、頬を膨らませたまま席に着く。三栗屋は、胸の前で両手を合わせて、眉を八の字にしながら、彼女の顔を覗き込むように身を縮こませた。

「すまない、この通りだ。許しておくれ……?」

「今度は駅前のふわもちパンケーキのお店」

「わかった。それで許してもらえるのならいくらでも付き合おう」

 一段落であった。

 晴れやかな笑顔をする桃瀬の顔にて些細なるいさかいは終わりを迎える。しかしながら、二人の間にはしばらくの無言が流れる。

「ああ、そうだよ、天見という人の話を聞きたかったのだよ」

「そう、だね。そう……」

 それは、お互いに何の話をしていたのかを全く思い出せなくなってしまったからだった。ようやく本題に戻ったところで、桃瀬は、くるりとオレンジジュースにさしてあるストローをくるりと回し、カラン、という氷の音を立てた。

「最近ね、マミさんがいうの」

 黒く長いまつげが、瞬きとともに上下する。リップクリーム塗りたてだといっても信じられるほどの潤いに満ちた唇が今、静かに開かれ、彼女は震えながら言う。

「『わたしは、近々死ぬのかもしれない。そうなったら、モモちゃん、よろしくね』って……」

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