幕間 和気藹然

#023 勘繰

「ミクさんってぇ、子どもっぽいのに大人だよねぇ!」

「……その言葉は、天然ゆえだと許してあげよう」

「え? どーゆーこと?」

「そういうところじゃあないかねえ」

 そんな会話をする、昼下がりのとある喫茶店の窓際の席に向かい合う男女がいた。

 一人は深い色の髪を靡かせ、文庫本に目を落としている美丈夫。もう一人は傍に大きなギターケースを置いて、クリーム色の髪を両横に高く結び、一際大きな目をぱちくりとさせている少女のような女性であった。

「見た目が本当にアラサーには見えないんだよ? ゆめと同い年って言ってもみんな信じてくれると思うし」

「童顔だと言いたいのかい……?」

 かけていた眼鏡を掛け直しながら男がそういうと、女は目をぱちぱちとさせて首を傾げた。

「どちらかというと……中性的?」

 男は、大きなため息をついた。なぜだか少しばかり辛くなったのである。

 女——桃瀬ももせゆめは、都内の国立大学に通う大学生である。彼女は将来語学を活かせる道に進むか、自分が愛してやまない歌とギターをもってバンドマンとして生きるか、年相応に悩んでいるのであった。そんなことを感じさせないほど底抜けに明るい彼女は、いく先々でさまざまな人物を振り回して歩いていると言っても過言ではない。

 そして男——三栗屋みくりや累維るいは、普段こそ振り回す側であれど、彼女といる時ばかりは振り回される側にならざるを得ないのである。

「いいや、いいんだ。僕が童顔であることも中性的であることも事実なのだからね。ええ、ええ。よく言われるよ」

 三栗屋が諦めたようにそういうと、桃瀬は、その諦念を全く気づかないままにホイップクリームをフォークいっぱいにすくっている手を止め、途端、声を張った。

「そう、それだよ! 見た目と反してミクさんって二百年くらい生きてましたーみたいなオーラが出てるの! 言葉遣いとか!」

「静かになさい」

 三栗屋は、彼女の目の前にあるホイップクリームの山を見つめて僅かに気持ち悪くなり、目の前のカップを手に取った。砂糖もミルクも入っていない、ブラックコーヒーがまるで薬のように不快感を治めてくれるのを三栗屋は感じていた。

「とはいえこの話し方はもはや癖だからねえ」

「そっかぁ。でも、でも! ミクさん、頭も良さそう!」

「君の、頭が良いの基準はどこにあるんだい、桃瀬ゆめ」

「雰囲気!」

 彼女は溌剌と答えた。

「それでは何の根拠にも確証にもならないよ……」

「ええー? 結構当たってると思うんだけどなぁ」

 そういうと、桃瀬はまたもホイップクリームを口いっぱいに入れ、顔が溶けてしまいそうなほどに満ち足りた表情を浮かべる。彼女の目の前に置かれている皿には、パンケーキが数枚とそれを覆い隠すように多量乗っかったホイップクリーム、アクセントにチョコソースとチョコチップがかけられた砂糖の塊のようなものがそこにあった。胸焼けしそうなほどの甘いのオンパレードのそれを、桃瀬は全く意に介さないとでもいうように頬張り続けている。

「……そんなに食べて具合が悪くならないのかい?」

「んえ? なんで?」

「僕は、それを見ているだけでも具合が悪くなるのだよ」

 珍しいことに眉間に皺を寄せる三栗屋は、少し体を後ろに引いて桃瀬と糖分の皿を見比べている。

 桃瀬はフォークでパンケーキを一口大に切り、フォークで刺してぱくりと口へ運んだ。

「そういえば、ミクさんって乳製品そのものは苦手なんだっけ」

「チーズやバターはまだ平気だけれど、牛乳やヨーグルト、それこそホイップクリームは苦手だねえ……」

 困ったように答える三栗屋とは対照的に桃瀬は意気揚々と問いかけ始める。

「シチューは?」

「苦手だね」

「ビーフシチューは?」

「食べられるよ」

「とろろは?」

「そうだねぇ、苦手かもしれないね」

「納豆は?」

「食べれるけれども。何を聞いているんだい、まったく……」

 大きな掛け時計の針が十二へとまわり、鈍く低い音が数回響いた。振り子が大きく揺れている時計は、小さな店内でのモニュメントのように飾られ、どの席からでも目に入る。

 三栗屋は、右手を額に当ててため息をついた。吐息がカップへとかかり、黒い水面が波立てる。そして一度目を伏せて上を仰いだのちに三栗屋は静かに瞼を押し上げた。そして文庫本に栞を挟んだかと思えばテーブルに優しく置く。細いフレームのメガネを外してテーブルに置けば、レンズが窓から差し込む光を受けて輝いている。

「桃瀬女史。僕が気づいていないと思っていたのかい」

 突然、木と金属がぶつかり合ったような音が鳴り響いた。

 桃瀬は、それまで持っていたフォークを手から離し、これを机に落としてしまっていたのだ。

「えっ……どうしてそんなこと」

 戸惑いそう問いかけ返す彼女の言葉を、三栗屋が最後まで聞くことはなかった。声を重ね覆い隠してしまうように、こう言ったのだ。

「君は、何を僕に言いにきたんだい」

 

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