#018 試練

「どうして、それを、取り調べの時に言わなかったんだ」

「むこうは僕を犯人だと決めつけている。その状況で僕から見た真実を話したところで僕の立場が悪くなるだけだと思ったのだよ。取り調べは情報戦だ。僕は警察を信用していなかったし、警察も僕を信用していない。その状況で僕ばかりが手の内を明かしていくことは逆効果だろう。僕は、あくまでも巻き込まれただけの一般人であるその姿勢を崩さず、どんなことを言われても誰から見ても揺るがない事実でない限りは肯定しなかった」

 累維は、はなから事件を、自分に課せられた試練の一つとでも思っていたのだろう。だから、全てを話しはしなかったし、真っ向から潔白の証明をしなかった。彼の口ぶりからすれば、おそらくはこれまでも同じような経験をしていたに違いない。一体何があったのか、それにはこの際触れないとしても、ともかく彼のおおやけに対する信頼は地の地まで落ちていたのだ。そして、彼らが累維を疑っている間に、累維は本当の犯人を考えていた。

「僕の真実は僕のもので、警察の真実は警察のものだ。両者に共通する、揺るぎない絶対的なものは事実しかない。僕があの時笑っていたのは事実であるけれど、それが緊張と恐れから来ていたものだというのは僕の中にしかないのだよ。それを話して聞かせて何になるというんだい」

「それは」

「答えたくなければ、別にかまわないよ。君の中には葛藤というのもあるものだろうからね」

 図星だった。累維と出会ってから俺は何度も彼に心を覗かれている感覚がしていたが、それが本物であることをもはや信じざるをえない。

 実際、俺は彼を信じることができるという安心感の反面で、彼の言葉から感じる不信の念がどうにも心に響いた。自分が信じていたものの裏を見てしまったという実感だった。

 今回だってもし累維に確かなアリバイがなかったのなら意地でもこじつけでも彼を被疑者として検察へ引き渡していたであろう。真実を求めすぎはあまりに他の事実を覆い隠してそういう間違いを犯してしまう。

 その間違いを今まさに彼によって正されている。俺たちが時折見失ってしまう事実から目を背けず、真実を過信しすぎないように、と。彼の温かさを感じない黒目が俺を真正面から捉えて離そうとはしなかった。

「あの時僕は、置かれていたスマートフォンを見て、僕と彼女の関係を知っている何者かに嵌められたということに気がついた。そして、その相手が誰かをずっと考えていたのだよ」

「嵌められた、か」

「ああ、そうだよ。そうなのだよ。そして、推測が先ほど確信に変わった」

 累維は、ゆっくりと目を伏せたのちに、柔らかく口角を上げた。それは、勝利を確信したような表情に見えた。

「僕があのとき、話しかけたのは」

「宅配業者、か?」

「ああ、そうだよ。僕は、彼か否かを確かめたくて、話しかけたのだよ」

 累維は、その場からゆっくりと立ち上がって、俺のことを静かに見下ろした。彼は、俺よりもはるかに体格としては小柄だ。しかし反面、彼の人格は俺よりもはるかに格上であるような、畏怖さえ感じられる。

「あの時のその人の反応は、明らかに焦りを感じているものだった。それはそうだろうね。自分が犯人として仕立て上げた相手が、まさかこの場にいるなんて」

 あの時の業者は、けして突然話しかけられたことに対して動揺していたのではなく、自分が罪をなすりつけた三栗屋累維があの場にいることに衝撃を受けたということであったのだ。

 あの短時間の間で……。いや、それよりももっと前、俺と会う前から、世間知らずで時代遅れな若者の演技をし、相手の心を読もうとしていたとでもいうのか。

「俺は、お前がわからない」

「他人を知ろうとすることほど無駄なことはないのではないかい?」

「それでも、知りたいと思うのが人間だ」

「そうかもしれないねえ」

 累維は、そう呟きながら、俺の横をすり抜けて玄関へと向かっていく。

 どこへ向かったことだろう。俺は、立ち上がって、彼の姿を追っていくことにした。すると、累維は、玄関の前で立ち止まり、響くような大きな声を出す。

「ああ、とうとう絶えきれなくなったと見えて、やって来たよ! 妙な偶然だねえ! ちょうど話をしている時に、君がやってくるなんて!」

 すると、おもむろに玄関の戸が開いていき、そこにあったのは乱れた髪と私服姿で死相をしながら立ち尽くしている昼間の宅配業者の姿があったのである。

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