#014 悪魔

 笹生莉奈はそういうと、おどおどとした表情で、口元を両手で覆う。

 俺の隣に座る相川優人を見れば、あっけらかんとした様子で顎が下がっていた。

「つまり……相川さんが聞いた悲鳴は、あなたの悲鳴だった、と」

「はい、多分。でも、本当に怖くって!」

 笹生莉奈は、ぶるりと身を震わせた。血の気が引く表情からもわかる通り、よっぽど演出が凝ったものであったのだろう。

「ストーリー性とかは本当に低レベルだったんですけど、怖さだけは本物で……」

 そういうと、彼女は相川優人に向かって頭を下げる。

「ご近所さんですよね!? 本当にごめんなさい! 今後は気をつけます!」

 心底申し訳そうに謝る彼女に、それ以上俺は何も言えなかったし、相川優人は申し訳なさそうに「いえ……」と呟き俯いたままだった。

 本当にごめんなさい、と両手を合わせて言う彼女に見送られながら、俺は相川優人とともにその部屋を後にする。玄関を出た先にいたのは、結果がすでにわかっていたかのように両袖に両腕を通して待っていた累維だった。

「こういう木造建築だと、よくある話なのだよ」

 そして、右手を袖から抜き出して、ぽんと相川優人の肩に手を置く。小柄な累維は、相川優人に見下ろされるのがデフォルトであるのだが、ここでだけはそれが逆転していたようにも見えた。

「音が反響して、それが隣から聞こえたものなのか、上下から聞こえたものなのかわからなくなることはままある話だからねえ。よっぽど聞き耳を立てていない限りはそういう勘違いはするものさ」

 累維が、彼の肩から静かに手を下ろそうとした時、途端、相川優人は累維のその手を掴む。

「どうしたんだい」

「本当に、水野さんを殺したのはあんたじゃないんだな……?」

 それは、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

 これまでの自分の考えを全てひっくり返して、累維のことを信用しようとしているのは側から見ても明らかなことだった。俺には、どうにもそれが異様な光景に見えてしまう。

 まるで、人間をたぶらかそうとする悪魔のようだ。

「君の見たものを信じたまえよ。事実は、そこにあるんだからねえ」

 微かに相川優人の頬が赤く染まったのが見える。それは、一体何からくる熱であったのか、よくわからなかった。

「じゃあ、信じます。さんざん、疑ってごめんなさい」

「かまわないよ。君の心も最もなことであろうからねえ」

 相川優人は、もう何も見えなくなってしまったかのように一目散に階段を駆けて自分の家へと戻っていったようだった。心地よい秋風が吹き始めるオレンジ色の空の下にいるは、二人だけ。

 俺にはもう、三栗屋累維がわからない。

 彼はいったい何者なのだろう。

 本当に殺人犯ではないのだろうか。

 自分の脳みそが正常な判断ができなくなりつつあるのがわかって、どうにも苦しい気持ちになる。しかし、それを今この目の前にいる彼に伝えるわけにはいくまい。

 脳をフル回転させながら悪魔のような目の前にいる此奴を、俺はただじっと見つめていると、彼は母親のようなやさしい微笑みを浮かべたのである。

「次は、君の番だよ。詩季」

 桃色で潤い溢れるその唇を、泡を吐く魚のようにぱくぱくとさせながら、彼は黒々としたその瞳で俺のことを見つめ続けている。

「君は、僕に聞きたいことがあるんだろう」

 かつりという音と共に、彼は一歩踏み出した。

「それに、どうしても確かめたいと思っていることも」

 もう一歩、もう一歩、彼は俺に近づいてくる。

 俺には、確かめなければならないことがある。

 それは、三栗屋累維の従兄弟としてではなく、一人の真相を追求する刑事の仕事として客観的かつ正確に聞くべきことだ。

「それなら、水野凛音の部屋に連れていっておくれ。そこなら丁度良いはずだから」

 彼が悪魔か、そうでないか。

 この目と耳を持って確かめなければならない。

「ああ、そうだな。水野凛音の部屋へ行こう」

 今、この山を乗り越えれば、おそらく真相はもうすぐだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る