#010 細腕
「いやあ、一日ぶりだねえ……。いや、そんなにたっていないかね?」
「よりにもよって、なんでここなんだ」
目の前には、お世辞にも綺麗とは言えないが、かといって汚いでもない、そんな集合住宅だった。いわずもがな、水野凛音の殺人現場である。からのゴミ集積所を狙っているカラスが数羽、木にとまっているのが、余計に不気味さを感じさせていた。そんな場所で三栗屋は、ずかずかと遠慮もなしに歩みを進めた。
「そんなもの、犯人は現場に戻ると相場が決まっているからじゃあないか」
ないとは言い切らないが、結果論ではないかと言う主張も許してほしいところだ。とはいえ、小さな歩幅でいそいそと進む彼を追うことしか俺にはできなかった。
すると、後ろから俺たちを追い抜く影が見える。数個の袋や箱を抱えながら、同じく住宅に向かっていくようであった。紺色の制服に黄色い線の入った制服から見るに、宅配業者であろう。
「忙しないねえ」
「時代が変化してネットショッピングがさかんになったから、大変な職業だろうな」
「ねっとしょっぴんぐ? なんだいそれは」
「知らないのか? インターネットで欲しいものを注文すれば、それを家に届けてくれるあれだぞ」
「へえ、そんな便利なものがあるんだねえ」
冗談じゃないのだろうか。
心底感心したような彼のそぶりは到底信じられないものだった。
「知らないなんてことあるのか……?」
「機械は苦手なのだよ。パソコンなるものも最近買ってもらったのだが、使い方がよくわからず、面白いトランプゲームをやっているんだ」
「冗談だろ……?」
「意外とやれば楽しいものだよ」
ソリティアのことを言っているのだろう。俺の祖父母も、たまにやっているところを見るが、流石にそれしかやっていないもうすぐ三十歳になるだろう男と会ったのは初めてだ。累維の生まれ育った環境が環境であるからして、仕方のないことなのかもしれないが、自立してそれなりの時間が経っているだろうに、ここまで世間知らずとは恐れ入る。
「水野凛音の部屋は、二〇二だったな」
「そうだね。いこうか」
雨風にさらされて、錆びている階段をテンポ良く上がっていけば、そこにはずらりと等間隔でドアが並んでいる光景が見える。全部で六個の扉があった。郊外に全部で三階建てのちいさなアパート、ここであんな殺人事件が起こってしまったのだ。
「おやまたすれ違うねえ」
累維が、ふと立ち止まると、二〇三号室前で荷物を置き機械を操作しているらしい先ほどの宅配業者の姿がある。
すると、突然。
「呼び鈴は、鳴らさないのかい?」
と、累維は突然、仕事中の宅配業者の者に話しかけた。
「おい、累維……」
俺の制止は全く功を奏さない。話しかけられた宅配業者は、その声に驚いてきょろきょろと視線を泳がせた後、控えめに口を開いた。
「えっと、置き配って言うんですよ。直接会わなくても荷物を受け取れるんです」
「へえ! それはすごいねえ! お兄さんも、再配達で何度も訪れなくて済むというわけだ。性善説のなせることであるね」
「そう、ですね」
無邪気な子供に応対するような形になってしまった宅配業者は、たじたじになっているのがあからさまだった。このままにはしておけないと、累維の腕を引っ張り、後ろへ引き戻す。
「もういいか? この方は仕事中だろう。そこまでにしよう、累維」
「ああ、これは失礼したねえ。お話を聞かせてくれてありがとう。お仕事、頑張っておくれ。ご苦労さま」
「……は、はあ、失礼します」
そう言って、彼は足早に去っていく。累維は、ずっと彼の姿を眺め続けているようだった。
「そんなに興味があるなら、宅配業者にでもなったらどうだ」
「よしておくれ。この細腕で荷物が運べるわけがないだろうよ」
累維はそう言って、着物の袖から腕を見せる。あまりにも青白く、あまりにも細い、節が骨ばった腕であった。脂肪や筋肉が全くなく、皮が骨に張り付いているようにすら見える。着物は、それを隠すためなのだろうか。
「それは……確かに難しいな」
先ほどの握った感覚を振り返って述べた。
二〇二号室の前で、そんな風に話していれば、隣の部屋つまり、先ほどの宅配業者が荷物を置いていった二〇三号室のドアが開いていくのがわかった。出てきたのは男性で、スウェット姿をして髪は乱れている。
「おや……?」
「え……」
男性は荷物を取ろうとした拍子に顔をあげて、累維の方を見る。そして累維もまた、男性の姿を凝視していた。そして、目を見開いて口を開け放ち、大層大きな声で叫んだのだった。
「あっ! お前っ……殺人犯の男っ!」
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