#009 要素
俺と累維は、従兄弟であったがよく会っているというわけではなかった。それはたぶん、お互いにどうしても会いたくない事情があったからだろう。
最後に会ったのは、俺が十歳のころだ。その年に俺は、わけあって両親の元を離れて祖父母の家へ引っ越しをし、生活することになったからだ。そのころの記憶が少しずつ蘇ってくる。
「もう、ぼくの家族はだめかもしれない」
「なんで?」
「お父さんもお母さんも、いっしょにいるところをみなくなっちゃったんだ」
とても気の弱い累維は、涙目になりながらぽつりとつぶやいた。共感性が高いせいか、どんなことでもすぐ泣いてしまう彼は、周囲の友人ともあまり仲良くなれないでいたような気がする。俺は、そんな彼を弟のように思っていたし、仲間のようにも思っていた。
累維の母親は厳格で厳しい人だった。俺の母である
「るいは、どうするの」
「わからない、どうしたらいいのかな、しきくん」
「わからない」
子は親を選べない現実をむざむざと突き付けられていたにもかかわらず、俺らはその現状をどうすることもできないでいるのがどうしても悔しかった。
「るいも、にげようよ。そうしたらきっと幸せになれるよ」
「にげる……?」
「そう、にげるんだよ」
その時、累維から一切の感情が消えたのを今でも覚えている。うつむいて、その目に光を移さなくなったのは、忘れることができなかった。
「むりだよ、ぼくには。しきくんは、他の大人がたすけてくれたけど、ぼくには」
拒絶だった。仲間意識を持っていたのは、俺の方だけであったのだ。
彼は、俺のことを助けてもらった幸運な人間として見ていたのだ。それを、当時の俺は全く意識していなかった。
「そんなこと」
「あるじゃん! しきくんは、いいよね! かんたんにそんなこと言えて!」
その時の俺はなんにもわかっていなかった。彼が家でも阻害され、学校でも嫌がらせの対象となっていた上に、なによりも恵まれすぎたほどに優して反抗することのできない存在だったことも、知らなかった。それを聞いたのは、しばらくたってからだったのだ。
それからは彼にもいろいろあったらしく、父親の旧知の人物に一時的に預けられるようになったとか、さまざまなもめ事を重ねてついに離婚にいたったとかいうことを遠回りに遠回りを重ねて聞いたのだ。
この年になって、二十年ぶりほどに彼と会っても気づけなかったのは、俺の中の彼が構成する要素が全く消えていたことによるだろう。あんなにも、絶えず笑い続け、気の弱さも感じられず、それどころか人のことを好奇の目で視るようになり、腹の中に何を抱えているのか全く読めないなんてこと、昔の姿からは全く想像ができない。
いつのまにか、手の届かないところに行ってしまったみたいだった。ハイカラというのがふさわしいだろう彼の姿は、もう昔の小さな彼の姿を覆い隠してしまっているようだ。
俺よりも幾分か若いにもかかわらず、もう人生を二周三周経験して今に至るといわれても納得できる。それほどまでに彼の深さを感じる。
あの時、最後に彼はなんと言っただろうか……。
「幸せになってね」
「自由になってね」
「生きていってね」
いろいろな声を想像してみるが、どれもはっきりとあてはまらない。どれもいいそうな言葉であるのに。どうしてか、しっくりとこないのだ。
後部座席から、柔らかい声が聞こえてふと現実に戻される。
「……詩季? そういう僕は、いったいなんだっていうんだい」
累維は、窓に肘をついたまま、怪訝な顔だけをこちらへと向けているようだった。
「いや、なんでもない」
「もったいぶるなんて、ひどいねえ。教えてくれたっていいだろうよ」
「何を言おうとしたのか忘れたんだ。思い出したら言うさ」
「しょうがないねえ。しょうがないから、ゆるしてあげよう」
「それはありがたい話だ」
あの場から逃げ出してしまった当時の俺は、去る直前、彼に声を掛けられた。
ひどく悲しそうで、今にも泣きそうな目をした累維に声を掛けられたのだ。
「ゆるすから、だから、ごめんね、ゆるして」
累維は、拒絶に心底絶望した俺の心を理解してしまっていたのだろう。たしか、そういう風にわれたことを思い出す。
辛いことだがさらに、俺はそう言った彼に何も返事しなかったことを思い出して、ため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます