#008 車窓
目の前で信号が赤に変わる。ゆるやかにブレーキを踏んだ。車内には、一定のリズムでカチカチカチとウィンカーの音だけが鳴り続いている。バックミラーで後方座席を見れば、累維は、興味に満ち満ちた目で窓の外を眺めているばかりだ。
***
「帰ってたのか、ご苦労」
「穂村は、戻っていないんですね」
「……そうだな、今日はこのまま帰らないという連絡は来ていたぞ」
かえりを待っていてくれた海崎さんは、いつも通りのように見える。
警視庁内は、かなり騒然としていた。わずかに落ち着きがあるのは、特命捜査室八係内だけで、帳場には、張り詰めた空気が流れ込んでいた。
三栗屋累維が犯人でないのならば、他の容疑者を探らねばならない。それが、連続星座女性殺人事件というコールドケースの解決にもつながるからだ。早々に聞き込みや調査に向かったことだろう。だれもの行動が素早い中でただ一人、俺だけがその速さについていくことができなかった。もはや、俺が手を出す範囲内を越えつつあったからだ。無論協力は要請される。しかし、朱担当ではない、あくまでもこれまで調べていたものとして協力してほしいと頼まれるだけだろう。宮戸川署で
「どうした、何か思うところがあるのか」
「あれは、ステラではないんです」
すると、あんなにも平然としていた海崎さんの顔が一瞬にして陰る。
「どういうことだ」
「はっきりとした根拠はないんです。ですが、ステラを生み出した犯人は、自分のやったことであると顕示したい魅せ方をしていたと思います」
「もう少し詳しく教えてくれ」
「俺が見てきたステラは、皆、死亡時刻を過ぎた後に防犯カメラで姿を残しています。それは、現実にはそぐわない。ステラに変装した犯人が、残したと考えるのが妥当ですし、それがこれまでの我々の見解です」
「そうだな。ともすれば、犯人でない人間に擦り付けようとすること自体が違和感だというわけだ」
俺は、首肯した。しかし、海崎さんはそこでまた質問をしてきた。
「それは、三栗屋累維が犯人だったとき、破綻するだろう。それに思想だけで、単一の事件だと考えられるほど甘くはない。人はどうしたって変わる。そうなれば、どうしても物証が必要になる」
「そうなんです。だから、彼が本当に無実か、調べなければならいと思っています。そして、もし三栗屋累維が犯人でないのならば、誰が誰を模倣したのかということも」
海崎さんは、わずかに眉間のしわを伸ばして、ため息をついていた。
***
ゆるやかに左にハンドルを切り、曲がる。
「……そんなに面白いものなのか」
「どうだろうねえ、一一八七、とかなら面白いかもしれないねえ。それから紺色に黄色のラインとか」
彼の発言は、少しどころではなく、意味が分からなかった。
「どういう脳をしているか少し見てみたいくらいだよ」
「そんな君を、どういう運勢なのか占ってみたいねえ」
三栗屋は、さきほどとは変わって、つまらなさそうな顔になってしまった。とはいえ、ずっと笑っていられるよりも、幾分か人間らしさを感じるようにも思えた。
「……そういえば、累維は結婚しているのか?」
静まり返っていた車内に一声発すると、これまで見たことがないほどびっくりしたような表情をした。動揺している様が伝わってくる。
「どう見えるんだい。してそうなのかい」
「いや、全くそうは思えないんだが、そういう相手がいたって不思議じゃないだろ。お互いに」
「その点に関していえば、君はめっぽう縁がなさそうだけれど、どうなのだよ」
「興味は……ないな」
「いろいろな意味で安心したよ。君は変わっていなかった」
「そういうお前は……」
そう言いかけて、口を噤んだ。
少し彼の過去の姿を思いだして、どうにも辛くなってしまうのだった。
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