#007 選択

「供述によると、三栗屋累維と水野凛音は、恋人同士だったそうです。実際、現場に残されていた水野のスマートフォンでもメールのやりとりを頻繁にしている様子が見られました。痴話喧嘩の延長だとすれば、理由になるかと」

 平然とそう答える彼とは対照的に、俺はわずかに動揺をしてしまっていた。

「恋人、だって……?」

「ええ、本人が言うには恋人のうちの一人だそうで」

「恋人のうちの一人……?」

「三番目、だったそうですよ」

「冗談じゃない……」

 あいつの倫理観はどうなっているんだろうか。全くもって理解ができない。三番目、ということはそういう相手が少なくとも他に二人いるということだろう。さらに言えば、四番目、五番目がいてもおかしくないということじゃないか……。

 それに関しては後でしっかりと言って聞かせようと心に決めて、ふと浮かんだもう一つの考えを聞く。

「自殺の線はないのか?」

「なくはないと思いますが、そうなると後につけられた傷の意味がわからなくなりますし、なにより女性の力で自らをあそこまで深くさせるかははなはだ疑問です」

「なるほどな……」

 事件の概要がおおよそわかったところで、真相にはまだ辿り着けそうにはない。

 しかし、もしかするとこの事件は本当にあの事件と繋がっているのかもしれない。調べる価値は大いにある。何よりも、このままにしておくことは犠牲となった彼女が報われない。そんな綺麗事を言ってみる。本当のことを言えば、死んだら何も残らない。どんな思いも、残りはしない。

 それでも追うのは、いったい誰のためなのだろう。俺のためなのだろうか……。

 電流が走るような、首の痛みと頭痛を感じて、強く抑える。……うざったい耳鳴りがした。

 その様子を見て、何かを不思議に思った彼は、小首を傾げてこちらを覗き込む。

「あの、柿原刑事、大丈夫ですか?」

「……ああ、いつものことだ。心配かけてすまない」

「それならいいんですけれど」

 彼は、こほんと小さく咳払いをして、遠慮がちに口を開いた。

「それで……この事件はそちらで引き継いでいただけるんですよね」

「ああ、そうだな。ステラの疑いがある事件だ。こちらで引き継ぐことになっている」

 こちらに持ち帰れば、おそらくは捜査本部を立ち上げて本格的な捜査をすることになるだろう。無論、元々ステラを調べていた俺たちも関わらざるを得ないはずだ。

「わかりました。それでは捜査資料の方をお渡ししますね」

「ありがとう」

 他の資料も取ってくると言い、この場を離れた彼に代わり、俺は目の前の書類を整理し直す。そして、封筒の中へしっかりとしまい、落ちてしまわないように封をした。

 もろもろの後始末をしたのちに、俺は彼に見送られることとなった。

「それでは、これで」

「はい。お気をつけて」

 そうして踵を返し、部屋を後にした。

 歩いて行った先でふとロビーを見渡すと、何を考えているのかもよくわからない不可思議な表情のまま、椅子に座っている累維の姿が見える。本当にあれからずっと待っていたらしい。一通りの説明を受けて、引き継ぎも行なって、少しばかり話をしていた時間を考えれば、まあまあ時間がたっているだろう。

 そちらの方へ一歩踏み出せば、勢いよくこちらの方を向き、にへらりとした。

「待たせただろう」

「案外、面白かったものだよ。ここでは色々な人間が見られる」

「そうか」

 あまり深入りしない方がいいという妙な感から、適当にあしらう。しかし累維は一切嫌な様子を見せずに微笑んでいた。

「用事はおわったと言いたいところなんだがな。まだ行かなければならないところがあるんだ」

「そうなんだねえ。いそがしそうだ」

「事件が起きれば、満足に眠れない日なんて珍しくない」

「それなら、僕も連れていっておくれよ」

「何を言い出すんだよ」

「歩くのも疲れるんだい。頼むから、どうか」

「自家用車じゃないんだ」

「知っているから、こうして頼んでいるんじゃないか」

 愛も変わらず顔はにたにたとしていて、どうにもいうことを聞きそうにないのは明らかだったが、かといって公私混同はいかがなものかと良心が問いかける。

「そんなに悩ましい顔をしないでおくれよ。ほら、ちょっとばかし大きな荷物にでもなっておくから、それでもだめかい?」

 良心は痛むが、俺も彼に聞きたいことがある。それは、決してどうでもよいことではなく、この事件に深くかかわることなのだ。

「足になってやる代わりに、質問に答えてくれるなら、乗せてもいい」

「ほんとうかい? よろしく頼んだよ」

 俺は、今も選択が正しかったか、正常な判断をできないでいる。


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