#006 水瓶

「被害者の名前は、水野みずの凛音りんね。二十五歳の保険会社に勤めるOLでした。物静かな女性で、近隣住民とのトラブルはなかったそうです」

 淡々とした声を聞きながら、ステラを眺めていた俺は、ますます思考が定まらなくなってきた。これまで見ていたステラよりも幾分か綺麗じゃないな、という印象を受けたが、口には出さなかった。写真に写っている女性の姿は、女性らしいネグリジェを来た姿だった。しかし、無念にも桃色のそれは、元の色を覆い尽くさんとして赤く染まっている。

「死因は止血死。凶器は被害者の所有していた果物ナイフで間違いないでしょう」

「第一発見者は?」

「隣に住む男性でした。午前一時ごろ、悲鳴を聞いて、何事かと外に出たら、水野の家のドアが開け放たれていたため、覗いたそうです。そうしたら、凶器を持って立っている男がいて、そのまま通報という流れでした」

 初動捜査を担当した警察官は、書類を眺めながら、淡々と丁寧な口調で述べる。

「その凶器を持っていた男が、三栗屋累維というわけだな」

「そうです」

 警察官は一回大きく頷いたのち、少し苦い顔をした。

 一度、聞いた話を整理しよう。


 被害者の水野凛音は、とりわけ近所と揉めることもない静かな女性だった。水野は、事件当日仕事を終えて、午後六時ごろ帰宅。その後特に変わった様子はなし。同じくしてアパートに住む者の話によれば、この間、彼女の部屋の明かりはついていたらしい。

 そして、どうやら水野の家で午後十時ごろに一度インターホンが鳴り、隣の部屋にはドアを開く音が聞こえたそうだ。その後、水野と誰かが口論している声が聞こえる。

 午後十一時ごろには部屋の明かりが消える。午前零時ごろになると、扉が開く音と去っていく足音が聞こえてきた。

 そして午前一時ごろ、突如として悲鳴が聞こえ、何事かと思った隣人は水野の家に行く。そうして家の中を覗けば、そこに凶器を持った三栗屋が立っているのを見て、一一〇番通報したということらしい。

 検死によると、直接の死因となった傷は一つであるが、しばらく経ったのちに新しい傷が数箇所つけられていたらしく、その傷こそが水瓶座アクエリアスを模したものであったという。


 現在わかっているのは、この程度だろうか。

「準現行犯として逮捕しました。しかし、事情聴取をし、捜査するうちにどうしても崩せないアリバイがあって、釈放したのがつい先程の話です」

「そのアリバイというのは?」

「鑑識いわく、死亡推定時刻がおよそ午後十時から午前零時とされているのですが、その時間はずっと区内の小さなバーで飲んでいた言い、事実確認をしたところ、バーのマスターも他の客も彼がいたことを証言しました。本人の発言に相違ありません」

 そこで、急に彼は辺りをきょろきょろと見渡した。かと思えば、ここだけの話ですが、と小声で言う。

「ですが、取り調べをした人の一部はアリバイ工作なのではと疑っています。逮捕時の彼の態度があまりにも狂気に満ちていたからだそうです。さすがに私怨も混ざっているかと思いますが……」

 いったいアイツは警察官相手に何をしたというのか……。

 そうは言っていても、複数人の証言によるアリバイが保証されているとなれば、崩すのは容易ではないだろう。

「防犯カメラは?」

「被害者のアパートには、ありませんでした。また、周辺地域に協力してもらい、他の防犯カメラは調査中です。現状確認できているカメラには写っていませんでした。アリバイを証明したバーにも特になし、といった感じですね。あまり目立たない場所にあるので」

 となると今は物証待ち、といったところか。彼らに嘘をつく理由があるのかわからないが、もしなんらかの利害で口裏合わせていたとすれば、それらの証言は証拠としての価値がなくなる。

 見せてもらった資料を眺めていても、どうにも決定打に欠けるという印象だ。

「もし仮に、三栗屋累維に殺す理由があるとすればなんだと考えている?」

 そう聞くと、わずかに顎に手を当て、天井を仰ぎながら、そうですねえ、とつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る