#005 透視

「……はあ?」

 何を言っているんだ、という思いがそのまま声色に乗ってしまった。心当たりは全くない。初対面のはずではないか、少なくとも俺はこの男に見覚えないのだから。

 しかしながら、単なる人違いにしては、自分の名前を当てられる理由を説明できやしない。はたして同名の全く同じ姿の人間がいるというのだろうか。そんなの、おそらく宝くじとかそのレベルの話じゃないか? そう考えるよりも、俺が覚えていないだけの、俺の知り合いだと考えた方が圧倒的に辻褄が合う。

「失礼ですが……どこかでお会いしましたか?」

 申し訳なくも、そう聞いてみる。すると、男はあっけらかんとした。何を言っているんだという声を返されたような気がしてならなかった。

「心外だねえ……いや、本当にだよ。君は、柿原かきはら詩季しきだろう? ああ、よーく覚えているよ、僕はね。さあ、思い出しておくれ。君の数少ない血縁なんだからさ」

 つらつら一息でそう述べたのち、男は、黒い目を細めて愉快に笑う。

 血縁があるだって? そもそも俺は、過去のことが原因で、親戚どうしの繋がりが希薄であるんだ。そんな中でどうしたら本名を知られるまでになるのだろう。数々の疑問の上に得体の知れない恐怖が俺に襲いかかってきて、冷や汗が流れたのを感じていた。

 そんな心を見透かしたように、男はくつくつくつと笑みを浮かべる。

「そんなに怖い顔をしなさんな。詩季。僕だよ、三栗屋みくりや累維るいだよ。覚えてないかい?」

 その音を聞いて俺はようやっと全てが結びついた。はっ、として彼を見やると意味深長な顔をしていた。

「一応、君とは血の繋がった従兄弟なんだがねえ」

 点と点が結びついた。母の妹の息子、すなわち従兄弟の、三栗屋累維。気弱で大人しく口数の少ない心優しい純真な弟のような従兄弟だ。

「累維、そうか、累維か……。美紀みき叔母さんのところのだろ?」

 そういうと、男——。累維は、肩をすくめて困ったそぶりを見せる。

「残念ながら……今となってはその人との間にあるのが単なる血のつながりしかなくてねえ」

 なるほど、こいつもいろいろあったということらしい。

「にしても懐かしいな。二十年ぶりくらいか?」

「そんなになるのかい。時間が経つのは早いものだねえ」

 二十年もなれば、人は変わるものだ。

 数年で人間の細胞は全て新しく置き換わるらしい。それに伴って精神だって変化する。子供だったあの時の俺たちと、今の俺たちとでは全く違ったって、なんら疑問ではない。あの頃の、大人しくて可哀想な姿の累維とは打って変わって、表向き明朗でありながらその実、腹の底が見えない人物になっていたって疑問ではない。無論だ、自分にそう言い聞かせる。

「久しぶりにお前と会ったんだ。思い出に浸っていたいところではあるんだが……。残念ながら仕事中でな。だからここで失礼するよ」

 そういうと累維は静かに口元に手を当てて首を傾げる。

「へえ、仕事かい。いったい何を?」

 確かにそれは、気になる部分なのかもしれない。

「刑事なんだ。それで……ここに用があってな」

「そうかい、そうかい。あんな少年が今や刑事かい。いやはや、大出世だねえ」

大出世、その言葉を聞いて俺は思わず苦笑した。

「……あながち間違っちゃいない」

「それなら尚のこと君の用事が終わるのを待っていようか。積もる話というのも、あるもんだ」

 何を聞かされるんだか……。気になりはするところだ。

 とはいえ、俺の用事はすぐに終わるようなものでもない。関係者でもない累維を長時間放置するわけにはいかないのである。

「それならば後で連絡するさ。待ってもらうのも申し訳ないからな」

 俺は、最大限に累維を尊重し、そう言ったつもりだった。しかしながら累維はまたもや怪しく愉快にあはは、と笑い、そして不気味に目を細める。

「きっとお前さんは、僕と話したくなるよ」

 三栗屋はそれを微塵も疑っていない。そんなふうだった。そして、俺はその後の三栗屋累維の言葉に耳を疑ってしまったのである。

「僕はねえ……」

 累維は、心地がよくて明るいトーンの声で、そう口を開き始めた。

「ある星座の女性——彼女の殺しを疑われている容疑者だったんだ」

 なぜ俺がステラを追っているとわかったのだろう。そして、なぜお前が容疑者となっていたのだろう。どん、という心臓一鳴りと共に、重なる疑念に押しつぶされて、そしてお前の笑みに惑わされて、その場で立ち尽くすばかり。……俺は何もいえなくなってしまう。それを見て、彼はなおのこと不敵に笑って見せた。そうに違いないなかった。

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