#003 分針

「穂村、そこまでにしろ。こぼれてしまった水は決して元には戻らねえんだよ。それ以上、柿原を責めたってなんにもならねえ」

 海崎さんは、厳しい目をして穂村を睨みつけた。俺は、なんとなくたまらなくなって、視線を落とす。俺は一体、どこでまちがってしまったんだろうか。どうすれば、皆死なずに済んだのだろうか。首筋に電流が走ったような痛みを感じる。穂村は、海崎さんは良くても俺はいったいどうするんですか、とひとりごとを呟いていたが、俺はそれを聞かなかったふりをして仕事へと向かった。


 しばらくそうして書類と顔合わせをし続けていると、ふと海崎さんがこちらを見る。

「そういえばお前、まだ“ステラ”を見てるのか?」

「現状、これが一番解決に近そうな予感がしているので、なんとなく、根拠はないのですが」

「連続女性星座殺人事件な。お前の勘はよく当たるから怖いところだな」

「そうでしょうか……」

 海崎さんは、不敵に剽軽な態度でからからと笑って見せた。


 ——連続女性星座殺人事件。

 それは、今から十年前に一番最初の“ステラ”が生み出されてから、三年に渡り一定の期間ごとに五人の女性が殺された事件である。被害者に共通するのは、女性であること、そしてアイスピックのようなもので刺されその胴に刻まれた牡羊座アリエス牡牛座タウラス双子座ジェミニ蟹座キャンサー獅子座レオの傷跡、もとい複数の空洞である。被害者の共通点は見つけられず、容疑者でさえ見つからないという、未解決事件の一つだ。わかっていることは、全員家の近くで死体が見つかっているということのみで、それ以上進展していない。それどころか、七年前にぴたりと事件が止んでしまったため、捜査が停滞し、解決に至らないままで今日に至っている。

 遺体に星座が刻まれている、そのことを根拠にして星座殺人事件の被害者のことを、皆、“ステラ”と呼んでいた。


 呆然と少し黒くなった人差し指を眺めてみる。

「まあ、お前の天気予報は他のどの予報よりも当たるからなあ」

「それは、ただ天気予報を毎日欠かさず見ているだけです」

「冗談だ」

 そんなことを言っていた時だった。


 ——部屋に、内線の呼び出し音が響き渡る。


 訝しげな顔をしながら海崎さんが受話器を手に取った。

 一瞬にして何かを悟ったように張り詰めた空気が充満する。どうしてだろうか、どうして、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのか。

 穂村と共に、海崎さんへと視線をむけ、その様子をじっと見守っている。

「……な、んだと?」

 一体、電話口で何を話しているのだろう。これほどまでに海崎さんが驚愕の表情をしているのは見たことがない。普段は冷静沈着で何事にも心揺るがない海崎さんがどうしたらそこまで驚くというのだろうか。

 その理由は、すぐにわかることとなる。

 話し終えたのだろう。少々荒く受話器を置き、内線を切ると、深妙な面持ちのままで俺たちに言った。

「今すぐお前ら二人で宮戸川みやとがわ署に行ってこい!」

「はあ!? 嫌ですよ、この人と二人は!」

「そんな嫌な顔すんな!」

「嫌なものは嫌です! 死にたくありません!」

 騒ぎ立てる穂村と、珍しいことに声を荒げる海崎さんを、なぜか冷静に俯瞰的にみていた俺は、真っ先に聞かなければならないことを思い出して、ゆっくりと口を開いた。

「……何が、あったんですか」

「“ステラ”だ。ステラが見つかったらしい。水瓶座アクエリアスだったそうだ……」

 よりによって、この日、この時になぜ?

「はあ、しょうがねえ。署に話を聞きにいくだけなら無理して二人で行動しなくてもいいだろ。形だけ二人一組とっておけ。上には言っておく。いいな、穂村」

 俺は、手元にあるファイルの背表紙を静かにやさしく、指でなぞる。部屋にかけられている時計が、カチッと静かに分針を動かすような、そんな音がした。

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