第3話 居場所
俺は今年五十歳になった。もう人生折り返し地点だ。俺の引きこもり人生を変えたのは、両親だった。父は俺が住んでいた〇〇市で三本の指に入る金持ちだ。観光業、飲食業、私立学校など手広く事業を手掛けている。以前から山を持っていて、そこに温泉宿を作ってくれたのだ。
俺はそこでほぼ自給自足の生活をしている。でも、三人で暮らしているわけじゃなく、身寄りのない松子さんと美代子さんが一緒だ。二人とも七十代だが、ここに来た当時は、どちらも借金取りに追われていた。その二人に宿を手伝ってもらっている。
子どもたちも大きくなった。将生は十二歳。優梨愛は十歳だ。どちらもフリースクーラーだ。つまり学校に行かず自宅学習をしている。YouTubeで田舎暮らしを配信していて、すでに収益化もしている。
俺の温泉宿は隠れた秘湯で、客を取っているけど、滅多に人は来ない。月に二組くらいだ。なぜかと言うと、うちは歩いてしか来れない場所にあるからだ。こういうのにそそられる人もいるだろう。しかし、実際来る人は滅多にいない。経済的な援助は両親がしてくれているから、全く困っていない。月に何度か物資を運んでくれる人がいる。
もうすぐ、妹を迎えに行く。妹とここで暮らすんだ。
何故かと言うと、それが両親の希望だからだ。
両親は俺や子供たちの存在を消したいようだ。
そして、離婚して婚約破棄までしたのに、フリーターと再婚しようとしている妹。こいつも消したがっている。
***
小百合は後部座席に座った。
「よしよし。犬なんか乗せて大丈夫なの?お父さん動物嫌いでしょ」
柴犬を撫でながら兄に声を掛けた。
「うん。この車、俺にくれるって」
どういうことだろう・・・。会社名義の車じゃないのかな。
「お兄ちゃん、どこにいたの?」
「口ではうまく説明できないけど、山奥にいたんだ」
「どこの?」
「う~ん。〇〇山脈のどこか」
「子どもたちは一緒なの?」
「うん」
「会わせて!」
「もちろん。今から行くよ。スマホ出して。電源切ってくれる?」
「え?彼氏に連絡しないと心配する」
「いいの?切らなかったら、子どもたちには永遠に会えないよ」
小百合は観念してスマホを取り出して、兄に渡した。
「電源を入れたりしたら、子どもたちには二度と会えないと思えよ」
「はい。わかりました・・・」
小百合は兄の言いなりだった。従順な妹はかわいく見えた。
「将生も優梨愛も大きくなったよ。学校には行ってないけど、YouTubeで頑張ってるんだ。ゆたぼんみたいだろ?あそこまで有名じゃないけど。チャンネル登録者が一万人いるんだ」
「え、YouTubeに出てるの?」
「うん。『キッズの田舎暮らしチャンネル』っていうのをやってるんだ」
「知らなかった」
「お前、興味ないだろ?そういうの」
「うん」
「田舎がきらいだったしな」
「うん。山とかキャンプとか苦手」
「子どもたちはすごく楽しんでるよ。のびのび暮らしてる」
「でも・・・学校は?」
「学校なんて意味ないよ。俺は県で一番の学校を出て、〇大に入ったけど、うつ病になってやめたし。受験のストレスのせいで二十年棒に振ってしまった。順調だったころとちょうど同じ時間を無為に過ごしてしまったんだ。こんな風になるんだったら、ストレスのない生活をした方がいいだろ?」
「でも・・・勉強は?」
「俺が教えてるよ。俺は腐っても〇大だからな」
そうか・・・勉強は問題ないのか。小百合は納得した。
「じゃあ、友達は?」
「YouTubeで世界中の子どもたちと交流があるから問題ないよ。二人とも英語できるんだよ。すごいだろ?」
「でも、将生は中学生でしょ。思春期の子どもをそんなところで育てるのは・・・」
「大丈夫だよ。みんな恋人ができるのは大学からだよ」
「でも将生も優梨愛も死んだことになってるんじゃない?」
「大丈夫だよ。死亡宣告は取り消しできるよ」
兄はさすがに頭脳明晰だ。完全に論破されている。小百合は感心した。山奥で暮らしているだけあって男らしい。日焼けして、痩せて、逞しくなっていた。態度も自信に満ち溢れている。
「お兄ちゃん、変わったね」
「うん。そう思うか?前は人目を気にしてばかりだったけど、今は自然相手に暮らしてるからそういうストレスがなくなったよ。自分らしく生きてる」
「そう・・・いいんじゃない。そういうのって大事だよね」
「俺は死んだ人間だけど、今が一番充実してるよ。今生きてるってことを自分が理解してればいいんだ。別に世間に俺が生きてますなんて言う意味はない」
「なんだか百パーセントは納得できないけど応援したくなって来た」
小百合は兄とこんなに会話するのは初めてだと思った。子どもたちと兄と一緒にいた時でさえ、二人はあまり話さなかった。
***
男は高速に乗らずに車を運転し、砂利道を登りながら、ある山の中腹にたどり着いた。そこで車を停めた。
「ここで朝になるのを待とう。ごめん、車中泊で。暗いと何も見えなくて危ないからな」
そこは駐車場だが、ぽつんと街灯があるだけだった。恐らくその先には何もないのだろう。
「うん。すごい田舎に住んでるんだね」
小百合は心細くなって来た。
「まあね」
もしかしたら殺されるんじゃないか。その時が実感として迫って来た。
「この山はお父さんが買ったんだよ」
「何で?林業でもやるの?」
「お父さんがここを買った理由は・・・死体を捨てるためさ」
「え?」
「慶次郎兄ちゃん・・・いなくなっただろ?」
「うん。駆け落ちしたって聞いたけど」
「父さんが殺して女と一緒に山に埋めたんだよ」
「え?」
「ここは大きな死体隠し場所なんだ。まあ、俺たちの墓場さ」
「え?お兄ちゃん、私を殺すの?」
「殺さないよ・・・俺の奥さんになってほしいんだ」
ルームミラー越しに兄のにやけた顔が見えた。
「でも、兄妹だよ。私たち」
「お前もう子どもいらないだろ?」
「うん。じゃあ、別に誰といても変わらないだろ?」
兄はいやらしく肉感的だった。日焼けした肌に刻まれた皺が獣のようだった。兄となんて考えたこともなかったが、今なら現実味があった。
「すぐには決められない。そんなこと」
小百合は震えながら答えた。
「自然にそうなるよ」
兄はそうするのが子どもたちのためにもなると切々と訴えた。
「毛布、出すから待ってて」
男は車を降りてトランクから毛布を取り出した。
「ありがとう」
小百合は固いウールの毛布を受け取った。
「ちょっと眠った方がいいよ」
判断力がなくなって兄がいい人に思えて来た。
「うん」
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