第2話 妹
小百合はやがて実家に戻って来た。子どももいないのにアパートを借りる必要がないからだ。同時にそれまでやっていたファミレスの午前中のバイトをやめた。実家にいれば、衣食住困ることがない。ずっと背負っていた重荷がなくなって身軽になったが、それと同時に気が狂ってしまった。
母親は毎日午後三時にはお茶を入れて、部屋に引きこもっている娘に声を掛ける。娘はスエット姿のままリビングにやって来て、ぼんやりしたままソファーに座った。朝から何も食べていない。テレビを見る余裕もなく、一日中子どものことばかり考えていた。
「お兄ちゃん、どこにいるんだろう・・・うぉぉぉぉ」
小百合は泣きながら親に愚痴った。
「何で連れて行っちゃったんだろうね。あんなにかわいがってたんだから、お母さんと一緒じゃなかったら悲しむってわかるだろうに」
母も同調した。犯人は息子でもあるのだから複雑だった。皮肉なもので、今は頭のおかしくなった娘だけが残されている。
「あたし、もう家に来ないでって言っちゃったから・・・お兄ちゃん、あの子たちに会えなくなると思ったのかも。そんなことないのに!わぁぁぁぁ・・・仕事もしないで家で遊んで暮らしてたのに、人の子ども誘拐するような犯罪者になるなんて!殺してやりたい!くそぉ!!!死ね!!!クズ!!!」
両親は掛ける言葉がなかった。昔から乱暴な言葉遣いをする子だったが、子どもを失ったせいもあって、精神的に錯乱していた。
「将生!将生!優梨愛!戻って来て!お願い!!!」
小百合は子どもを失って、しかも、犯人が兄なのだから余計に病んでしまった。兄なんかに子どもを預けなければよかったの。自分が馬鹿だった。兄を怒らせるようなことを言わなければ。兄と同じうつ病を患うようになっていた。
子どもがいなくなって七年が経った。悲しみも時間が解決していた。小百合は普通に生活できるようになっていた。相変わらず兄からは何の連絡もなく、警察が発見したという情報もなかった。親の勧めもあり、小百合は区切りをつけるために、子どもたちも兄も死亡届を出した。
小百合は独身で、法的にも子どものいない立場になった。ただのバツイチだ。年齢はまだ三十三歳だし、もう一回結婚できそうだった。両親は娘の将来を心配してしきりに結婚を勧めるようになった。
「あなたも、そろそろ再婚したら?ほら、お見合い写真を見てみたら?今回の人は素敵なの。お医者さんでね。イケメンよ」
小百合はイケメン好きだったから、興味津々に見合い写真を開いた。スーツ姿で眼光鋭く知的な感じがした。
「こんな人が私なんかでいいの?」
「いいのよ。開業資金目当てなんだから」
写真を見ていると腹黒そうに思えて来た。
「実家がサラリーマンでお金がないから、資産家の娘と結婚したがってるんですって」
「彼女いそうな感じね」
小百合は想像した。彼女は男に振られても忘れられず、相手が結婚した後も不倫を続ける・・・どこかで聞いたような話だ。
「そんなの普通よ。お父さんだってそうだったんだから。でも、いいわよ。お金がある人と結婚すれば、豊かに暮らせるし、好きな物を買って、毎日遊んでいられるんだから」
「お母さんみたいね」
「私みたいになったら楽よ。お医者さんだったら自慢できるし。消防士なんかと結婚したから、離婚したのよ。金持ち喧嘩せずって言うじゃない?後は旦那に頑張ってもらって、あなたは優雅に暮らしなさいよ」
「じゃあ、その人と結婚するわ」
お金やステイタスがあれば相手の性格なんてどうでもいいのかもしれない。小百合はそんな気がしてきた。父親には愛人がいて、婚外子もいるが、両親がもめているのをみたことがなかった。
それから小百合は医師の男性と婚約した。会う前から結婚を決めていたから、その人に話を適当に合わせて、大人しく従順なふりをしていた。
しかし、いざ付き合ってみると、小百合を馬鹿にしたような態度を取るから、すぐに嫌になってしまった。婚約を破棄したいと相手の男に宣言して、慰謝料を払って別れることになった。当然両親は怒った。顔を潰されたとなじるようになった。
家に嫌気がさした小百合は、友達の友達の清掃会社勤務の男性と交際するようになった。イケメンで、明るい人で、性格が良かった。小百合はその人の家に転がり込んだ。五歳は年下で実家暮らしだったから、両親と長男一家と同居する形になった。小百合は長男よりも年上だった。バツイチで子どもを二人亡くした小百合に対して長男夫婦はいい顔をしなかった。
確かに、多少嫌なことはあったが、小百合にとって農家の仕事を手伝うのが楽しく、両親には気に入られた。そして、三カ月後には入籍しようという話しになっていた。入籍したらさすがに一緒に暮らせないと思ったから、二人でアパートを借りるつもりでいた。
「俺、今の会社で正社員になるよ」
年下の彼氏が笑顔で言う。眩しいくらいにかわいかった。
「うん。私も外で働く。二人で働けば何とかなるよ」
小百合は最初の結婚の時と同じくらい幸せだった。お金がなくても愛があればいいのよ。母親の言うことより自分を信じよう。私の人生なんだから。
***
小百合には日課があった。毎日、朝晩、彼氏の実家で飼っている柴犬を二匹散歩させていたのだ。その家は林の奥にあって、散歩コースは舗装されていない私道だった。本当は危ないのだが、段々と慣れてしまい夜一人で歩くのも怖く無くなっていた。
小百合が歩いていると、向こうから車が来た。じっと見ていると白のクラウンだった。
あ、お父さんの車だ。連れ戻しに来たんだ・・・。
瞬時に小百合は思った。何て言おうか。
親だから祝福してほしいし、できれば結婚式もやりたい。
まずは高齢の両親を気遣う言葉をかけよう。
車が近付いて来るのを立ったまま見ていた。
車は静かに小百合の目の前で止まった。小百合は緊張しながら運転席に近づいた。父とはもともと距離があって、会うといつもぎこちなくなってしまう。もともとよく思われていないのだ。
すると、運転席のドアウインドウがすっと空いた。
「お父さん・・・」
小百合が覗き込むとそこにいたのは別の男だった。
「小百合」
ちょっと雰囲気が違うが、声が兄だった。
「お兄ちゃん!生きてたの?」
「うん。帰るぞ」
「え!帰るってどこに?私、帰らない。彼氏と結婚するの」
「何言ってるんだ・・・まあ、いい。後で聞くから一度戻って来るんだ」
「お兄ちゃん、今までどこにいたの?子どもたちは?」
「これから説明するから」
「でも・・・犬、散歩してるし」
「犬も乗せなさい」
「でも・・・」
「迷ってるなら俺はもう二度と目の前に現れないぞ」
「わかった・・・」
小百合は車に乗った。久しぶりに会う兄は以前のように気弱な雰囲気ではなく、有無を言わさない態度だった。小百合は兄に男を感じてしまった。そして、その時、昔兄が好きだった時の気持ちに戻っていた。
***
その頃、小平家では息子の彼女が柴犬の散歩に行ったまま戻らないと、心配しはじめた。
「どこ行ったんだろうな?」
「犬がいなくなって探してるんじゃねぇか?」
「行ってみるか」
男三人は懐中電灯を持って、行きそうな場所を歩きながら大声を張り上げていた。
「用水路に落ちたんじゃないか?」
父親が言うと、長男が言い返した。
「でも、お年寄りでもあるまいし助かるじゃろ?」
どうせ生きてる。明日仕事なのに面倒くさい。それが長男の本音だった。そのうち無情にも雨が降って来た。
「雨が降ると臭いが消えて警察犬でも探せなくなっちまうから、すぐ警察に連絡しよう」
もう夜九時だった。こんな時間まで犬と行方不明なんて事件に巻き込まれたんだ。次男は思って頭を抱えた。拉致されたんだろうか。そう言えば、お兄さんが子ども二人を誘拐して行方をくらましていることは聞いていた。もしかして、お兄さんに会って付いて行ったのでは・・・。息子はそのことを警察にも伝えた。
小百合はそれっきり戻って来なかった。その家の人たちは小百合よりもかわいがっていた柴犬の方を惜しがっていた。そして、もう生きていないかもしれないと言って泣いた。次男はショックで清掃のバイトを辞め家に引きこもっていたが、突然、大阪に働きに行くと言って行方不明になってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます