ハーメルンの笛吹き男

連喜

第1話 兄

 俺は四十代で童貞のつまらない独身男だ。有名大学に進学したけれど、受験で燃え尽きてしまい、気が付けば朝ベッドから起きられなくなっていた。出席の厳しい大学だったから、一年で中退することになった。早々と留年が決まってしまったからだ。普通の人なら、たとえ一年留年しても、その後の四年間で絶対卒業すればいいと思うだろうが、俺の場合はどうしても体が言うことをきかなかった。


 その後、実家に帰って、精神科に通院したが、そこで判明したのはうつ病だった。それからはずっと引きこもりだ。もう、友達や彼女を作ることは諦めた。正直誰にも会いたくなかった。住んでいるのが田舎だから、『あいつは今引きこもりだ』と面白がる人もいて、夜に散歩に行くだけの生活になった。


 近所のババアが俺の母親に「息子さんどうしてるの?」と毎月聞いて来る。母がその度、「いつまで家にいるのよ!恥ずかしいったらありゃしない」とブチ切れる。そんおババアをいつか〇してやろうかと思わないでもない。しかし、そんなことをしたら親に迷惑をかけてしまうし、そのうちくたばると思って我慢していた。


 そしたら、引きこもってから十五年経った頃、そのババアの家に救急車が停まっていた。心臓発作で亡くなったのだ。それからは、昼間買い物に行ったりできるようになった。


 こんな生活だから働いたことはないし、町内会の集まりに出たこともない。ちょっとオーバーだが、俺の世界には両親と兄たちと妹しかいない。長男と妹はすでに結婚したのだが、二人は甥っ子、姪っ子を祖父母に会わせるために連れて来る。俺は独身でふらふらしているから気まずい。特に兄のお嫁さんからは気味悪がられていた。きれいな人だけど、嫌われてるのがわかっているから好意は持っていない。俺も義理が怖いから挨拶しかしていない。妹の方は離婚してシングルマザーだ。元旦那は消防署に勤めていた。消防士は男らしくて、もてるから、浮気する人が多いらしい。旦那から離婚したいという話が出た時には、すでに相手がいたそうだ。しかも、妊娠中だったとか。妹は別れたくないと元旦那にしがみ付いたが、結局、子どももろとも捨てられてしまったのだった。妹のことは好きじゃなかったが、その時ばかりは同情した。


 妹はまだ二十代半ばだが、それほど美人じゃないし、性格がきつい。だから、男の俺から見たら、旦那が浮気したのもわかる気がした。


 妹には二人の子どもがいた。上は幼稚園で将生まさき。下は来年年少の優梨愛ゆりあちゃん。二人とも俺になついてくれた。俺は二人がかわいいから自分の子どもはいなくてもいいと思うくらいだ。妹は実家に子どもたちを預けて働きに行くのだが、実際世話をしているのは実は俺なのだ・・・。精神疾患があるのに大丈夫かと言われるかもしれないけど、子どもの世話は本当に楽しくて、体がしんどくても頑張れた。


 それから、運動会などの行事には俺が行った。最初は妹に呼ばれて観覧するようになった。そういう場に男がいないと、見るからにシングルだと思われるからだそうだ。妹は世間体を気にする。俺は調子に乗ってパパのふりをする。子どもたちもパパがいないのが恥ずかしいみたいで、パパと呼んでくれたりする。


 子どもがいたらいいなぁと本気で思う。どうして俺には彼女の一人もできなかったんだろうか。それにしても、彼女ができるっていうのはすごいことだと思う。イケメンでも金持ちでもない普通の人を愛してくれる人がいるって奇跡のようなものだ。


 俺はいつしか妹と夫婦みたいに暮らせたらいいなと思っていた。俺が二人の子どもの父親代わり。でも、働いたこともない父親なんているか?俺は自分がおかしなことを言っていると気が付いた。それで、まず土日だけ働きに出ることにした。人と会話しなくていいように、清掃の仕事にした。面接の時、初めて履歴書を書いた。大学をやめて二十年以上、空白の時間を生きて来たことに自分でもショックを受けた。こんな履歴書だと落ちるかもしれない。俺は怖かった。しばらく、人から評価されるとか、選ばれることがなかったが、選んでもらえる自信はない。しかし、清掃業は人が足りないからか、無事に一社目の応募で採用された。


 仕事はホテルの清掃だった。個室じゃなくて結婚式場のトイレとか床などの清掃だ。これまで結婚式に出たのは親族のみだが、みんなかしこまっている席だからそんなに汚くはないだろうと思っていた。当日現場に行くと、先輩のバイトが待っていた。六十代くらいの薄気味悪い、猫背の男だった。

 

「清掃経験ありますか?」

 上司でもないのに尋ねる。どうせバイトのくせに。

「いえ。初めてです」

「どうして今まで働いてなかったんですか?」

 俺の経歴を見て尋ねてるんだろう。会社の社員の人も、長年引きこもりの人だと伝えていたと思う。

「別に働けって言われたことがなかったので」

「いいですね。うらやましい」

 俺は何と言っていいかわからなかった。

「はぁ」

「引きこもりだったんですよね?シフト通りちゃんと来れますよね?」

「はい。大丈夫です」

「休まれると回らないんでね。遅刻とかもしないでくださいよ」

「はい」


 面倒臭そうな男だった。ここは逆らわずに穏便に付き合おうと決めた。俺が初めて仕事を見つけて来たから、両親は大喜びだった。父は会社社長で、母はお嬢様学校を卒業してお見合い結婚した専業主婦だ。俺は父の会社の役員にもなっているから、報酬をもらっている。こんな家庭に育ったから、俺は特段働く必要がなかったのだ。

 しかし、働かず給料をもらっている身分に疑問を感じ始めていた。本当はもっとかっこいい仕事がしたかったが、清掃の仕事にしたのは、その位しかできないからということである。清掃をやっている人に大変失礼ではあるが、人と話すのが苦手で接客が出来ないからその仕事を選んだのだ。一人で黙々とやる仕事だから、体力的にはきついけど何とかこなせそうだった。


「一日やってみてどう?」

 さっきの猫背男が声を掛けて来た。今度はため口だった。何と言えばいいかわからない。

「いい運動になります」

「はぁ?ふざけてないで仕事なんだから真面目にやれよ」

「はい」

 俺が働かなくても生活できるのが気に食わないようだった。毎日働かなくては生活できない人もいるのだ。俺はやっかまれないように余計なことを言わないようにしようと、さらに自分に言い聞かせた。


 ***


 給料は翌月の二十五日。俺は労働の対価として、初めてもらった給料で子どもたちにお土産を買った。二人の喜ぶ顔を浮かべると笑みがこみ上げて来た。そして、日曜日の仕事終わりに妹のアパートに寄った。ちょっと汗ばんでいて、今思うと汚かったかもしれない。


 手には駅前で買ったケーキを持参し、インターホンを鳴らすとドアの所まで子どもたちの笑い声が聞こえてきた。


「どちらさまですか~?」将生だ。

「おじさんだよ」

「キャー」優梨愛の歓声が聞こえた。

「早く!」

 俺はドアを開けて中に入る。

「キャー」

 二人とも黄色い声を出す。まるでアイドルにでもなった気分だ。


 年長の将生まさきには、毀滅のグッズを、来年年少の優梨愛ゆりあにはすみっコぐらしのぬいぐるみをプレゼントした。二人とも大喜びだった。

「パパ、ありがとう!」

 二人は俺に抱き着いた。妹は何も言わないで座っていた。俺は妹がお礼も言ってくれないのが気になった。変なことをしただろうか。贅沢させたくないのかもしれない。あげるまえに相談すべきだっただろう。俺はいつも妹が怖かった。


 はぁ・・・。


 妹がため息をついた。

「せっかくもらった給料をこんなことに使わなくても・・・欲しい物はじいじとばあばが買ってくれるんだから、別にいらないってば。前から言おうと思ってたんだけど、もう、うちに来ないで。男が来てるって近所で噂になりそうだし、精神病のおじさんがいるってわかったら、子どもがいじめに遭うといけないから」

「え?」

 俺は唐突にそんなことを言われて、ショックだった。

「わかったよ。その代わり、将生と優梨愛の面倒はみないからな。いつも幼稚園に迎えに行ってるのは俺なんだぞ」

 俺はカッとなって言い返した。

「ううん。そうじゃなくて、家に来ないでってこと」

 随分調子がいいなと思う。俺ははらわたが煮えくり返りそうだったが、子どもたちの前だったから我慢した。


 ***


 次の日、小百合は午前中のパートを終えると、延長保育を頼んでいる幼稚園に子どもたちを迎えに行った。兄にはもう迎えに行かなくていいと伝えてあった。最近は父親みたいな態度を取るようになって鬱陶しかったのだ。ろくに働いてもいないくせに勘違いしやがって・・・。子どもたちだって、今はわからなくても、将来兄がどんな人か気が付くだろう。メンタルを病んでる引きこもりなんだ。二十年も引きこもってる・・・。小百合は引きこもりになってからの兄が嫌いだった。高校までは勉強ができてかっこよかったのに。


「こんにちは」

 小百合が幼稚園に子どもを迎えに行ったのは、もう一年以上前のことだった。人に会うのが嫌だったせいもある。

「将生君のお母さん!」

 先生が驚いたような顔をしていた。

「すみません。将生、お願いします」

「さっき、お兄さんがお迎えに来ましたよ」

「え、今日は私が迎えに来ることになってたんです!」

「でも、毎日お兄さんがいらしてるので・・・」

「勝手にそんなことしないでください!警察に言いますよ!」

「申し訳ありません。お兄さんも将生君に、今日は妹さんが病院だとおっしゃって」

「違います!!!そんなの嘘です」


 小百合は叫んだ。兄は何を考えてるんだろうか。すぐに軽自動車を走らせて実家に乗り付けた。実家には誰もいなかった。父は仕事だろうと思ったが、母も兄もいない。実家の鍵は持っていないから入れなかった。すぐに兄と母にLineを送った。なぜか兄はLineをやめていて、母からは今着物の展示会に来ているという返事が戻って来た。


「将生と優梨愛がいないの。知らない?お兄ちゃんは?」

「朝会ったけど・・・知らない」

「お兄ちゃん探して!いますぐ!」

 小百合は車の中で絶叫した。


 それっきり、兄の聡史と二人の子どもはいなくなってしまった。

 警察にも捜査を依頼した。すぐに見つかるだろうと思っていたが、結局、見つからなかった。

 

 まさにハーメルンの笛吹き男さながらに、子どもたちは忽然と消えてしまったのだ。



 

 

 

 

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