漢朝大かくし芸大会(陳琳と阮瑀)

 中華が誇る天才(自称)陳琳孔璋は年に一度、どうしても自分では解決できない難題に悩まされていた。筆を執れば瞬時に美麗な詩、荘厳な文、人をおちょくる罵倒などすらすら書ける天下無双の頭脳を持ちながら、どうしてかこの問題に対しては毎年悩みに悩んでいた。

 その問題とは、漢朝年忘れかくし芸大会である。

「元瑜、俺はもう駄目なのかもしれん」

 今年も頭を抱えている同僚に、阮瑀元瑜は目を白くした。この年上の後輩は悔しいが自称する通り天才だ。なのに、かくし芸大会ごときでどうしてここまで悩むのか、毎年のことながら理解に苦しむ。

「孔璋、去年は何やってたっけ」

「苦し紛れの曲芸。結果は散々でみんなにしばらく馬鹿にされた!」

「ああ、あれね」

 言われてみれば、見せる芸の無い他の官吏たちと一緒に何やら練習していたような気がする。しかし大会当日は、はてどうだったか覚えていないと阮瑀は首をひねった。この阮瑀という男、興味のない事にはとことん頓着しないタチである。かくし芸大会も自分の番が終わればただの酒盛りとしか考えていないため、当然陳琳の曲芸など覚えていないのだ。

「お前はいいよなあ、琴も舞いも歌もある」

 陳琳は恨めしげな眼を阮瑀に向ける。

「舞いと歌はともかく、琴は文化人のたしなみでしょ。なんで君ともあろう奴が弾けないのさ」

「いや、弾けないこたあないけどよ。お前と比べられちゃ敵わねえし」

 そんな上手くもないけどな、と首をかしげる同僚を、陳琳は更に半目で見た。阮瑀は曹操の怒りを買ったとき、即興で琴を爪弾き朗々と歌い、その見事さで許されたことがある。要は尋常じゃなく上手いのだ。かくし芸大会で毎年阮瑀の琴を聴いている陳琳としては、とてもじゃないが同じ土俵に立ちたくなかった。

「じゃあ今年も曲芸で良いんじゃないの」

「元瑜~~~!! 俺を見捨てないでくれよ~~!!」

 阮瑀はそろそろ面倒になってきた。何十人も参加するかくし芸大会なのだから、何をやってもどうせ分からないのに。現にみんな適当にやり過ごしている行事だ。荀彧と荀攸は毎年箱の中身はなんだろなクイズをしているし、夏侯惇に至っては毎年弟の夏侯淵に視力検査をされ(片目が無いから)壇上から降りると惇が部下を呼んで淵を袋叩きにするのが恒例であった。陳琳という男、主君を二回変える節操無しの尻軽のくせに、ちっぽけな矜持にこだわる所がある。愛嬌と呼ぶにはあまりにも自己中心的だ。

「もう何だっていいじゃん。文挙さんなんか毎年論語の暗誦だよ」

「あれは別枠だろ。文挙さんのはみんなで野次を飛ばす時間として成立してんだから」

 確かに、孔融の番には聴衆がどれだけ論語の文言にひっかけて下世話なことが言えるかの知恵比べになっているきらいがある。汚い言葉が飛び交う中で朗々と暗誦し続ける孔融は、流石と言うかなんというか。どうしてこの人が裸踊りの禰衡と仲がいいのかは、漢朝七不思議の一つである。

「ううん、文挙さんのはほら、孔子の末裔っていう自分ならではの芸でしょ。なんか君ならではの持ち味とか無いの」

 阮瑀はこめかみを人差し指で押さえながら考える。どうして陳琳のために自分が悩まなければいけないのだろうと思わなくもない。

「俺ならではって言ったらそりゃあ、あるじの鞍替えだけど」

「そうだね、武官じゃあるまいし君はフラフラしすぎだものね」

 武官であれば例えば張遼や関羽など、複数回主君を変える者はそこそこいる。しかし文官となれば話は別。武功をもって忠義を示すことができる武官とは違い、文官は根も葉もない適当な讒言でコロッと首が飛ぶ。多少武に通じているとはいえ、陳琳は異質中の異質である。

「あ、歴代主君の真似とかどうだ。何将軍と袁冀州」

「将軍はともかく冀州殿は絶対に駄目だよ??」

 冀州もとい袁紹本初は陳琳の今の主君、司空曹操孟徳の元旧友である。その禍根は大きく、袁家の後継はことごとく司空軍に討ち取られたところである。曹司空の前で冀州の話はしてはいけないというのが、ここ最近の司空陣営の不文律であった。

「そんなに駄目か?」

 首をかしげる友人に阮瑀はガクガクと首を縦に振る。革新派とはいえ、曹操は人一倍縁というものを気にする男である。そこのところを、尻軽の陳琳はよく分かっていないのだ。だから袁紹配下にいた際など、曹操の父や祖父をこき下ろすような悪口をいとも簡単に書けてしまうのだ。

「じゃあ何だよ。やっぱり今年も曲芸じゃねえか」

 不満そうな陳琳に、ふむと阮瑀は考える。もっと単純なところに、この男の「芸」はありそうなものだが。

「……あ」

 声を漏らした阮瑀に、陳琳はがばっと向き直る。対する阮瑀は打って変わってばつの悪そうな顔。

「なんだその顔。思いついたんだろ。言えよ」

「いやあ、その……怒らないでよ」

 阮瑀は陳琳から目をそらし、少し口を尖らせて言った。

「君と言えば……悪口だろう」


 いよいよ漢朝年忘れかくし芸大会の当日。琴を奏で謝辞を受け取った阮瑀は、今年ばかりはただの酒盛りには戻れなかった。自身の次の発表者が、まさしく陳琳だった。

「どーも、主簿から記室でお馴染みの陳孔璋です」

 途端に聴衆に動揺が走る。主簿とは陳琳第一の主君・何進に仕えた時の役職である。要は開口一番尻軽アピールをしでかしたのだ。

「おい記室! 今年は何の曲芸だよ!」

 既にボコボコにされた夏侯淵が囃し立てる。それに従い聴衆から次々と元気な野次が飛ぶ。

「今年はなァ、即興で悪口を披露することにした。誰か題を出せ!」

 陳琳は腹から声を出すと意外とでかい声が出る。阮瑀が「本当にやった」とその肝に感心していると、盛り上がった聴衆は調子に乗って、誰の奥方とか何処の爺とか捲し立てる。(張遼が「関雲長~~!」と言おうとしたのは李典に阻止されていた。真後ろに最近また関羽にフられた曹操がいたからだ)すると流石は悪口の天才、陳琳は事もなげにすらすらと痛快な悪口を並べ立てていく。

「よし、じゃあ次の奴で最後にする! 最後の題はァ!」

 得意顔の陳琳は高らかに呼びかける。最後となっては聴衆も誰にしようか慎重になるようで、一瞬沈黙が下りる。すると。

「曹操」

 聴衆の後ろの方から、よく通る、みなの耳によく馴染んだ声が飛んだ。

「曹操孟徳だ」

 陳琳は眉を寄せた。それは、曹操その人からの題であったのだ。

「……生憎貴方の悪口はもう出し尽くしちまってましてね」

 流石に主君、しかも時の権力者相手である。陳琳の緊張が伝わったのか、さっきまで騒がしかった聴衆は杯を置く音さえも立てない。静観を決め込んでいた阮瑀は、にらみ合う双方を見比べて慎重に生唾を呑んだ。

「では、既出の作で構わぬ。申してみよ」

 曹操は涼しい顔で微笑を浮かべている。この状況を楽しんでいるようだ。時間にして数秒、しかし体感にして数分の沈黙が流れる。曹操の目をじっとにらんだ陳琳は、一つ大きく息を吸って、朗々と。

「騰作妖孽、饕餮放横。父嵩、傾覆重器」

(曹操の祖父である騰は獣のように貨財をほしいままに貪り、父である嵩は天子の象徴である重器をくつがえし、国家を転覆させた)

 阮瑀は一瞬、息ができなかった。それは、かつて陳琳が袁紹配下にいた際に書いた、彼一世一代の「悪口」。阮瑀は件の文を竹簡で読んだことはあったが、本人の口から聞くのは始めてだった。言葉にするとより分かる、その言葉がもつ重み。

 陳琳は続けて、より語気に血色を込めて朗じた。

「操、贅閹遺醜、本無懿徳、僄狡鋒協、好亂樂禍。」

(曹操は国の疣が遺した醜悪、もとより善徳を持たず、矛先のように狡猾で、騒乱を好み災禍を楽しむ)

 四音に調えられた言辞に、かえって当時の血なまぐささが滲む。悪口、もとい檄は戦乱へ身を投じるあらゆる兵士に向かって読み上げられるもの。耳に、身にすぐに入ってくる檄は、兵士の敵への闘争心を掻き立てる。阮瑀はぞっとして、陳琳を見た。我が同僚は、友は、確かに血の中にいたのだ。

 阮瑀は次に曹操を見た。そうして、友以上に戦慄した。

「私のことは構わぬ。だが、何故父祖にまで言及せねばならなかったのか」

 表情は先程と変わらぬ涼しいもの。しかしその目に、燃える怒りが渦巻いている。阮瑀は直感した。いま二人は、あの当時に戻っている。

 陳琳は居ずまいを正し、激情を押し殺しきれないといった低い声で、言った。

「引き絞った矢は、もはや射るほか無かったのです」

 はっとした。その言葉は、かつて曹操の前に引きずり出された陳琳の言葉として、阮瑀の耳にも入っていた。阮瑀はこれをずっと「檄を書かされた言い訳」だと思い、故に陳琳を節操無しの尻軽だと思ってきた。しかし、この言い方はなんだ。この目は、びりびりと震えた空気はなんだ。

 張りつめた空気を割るように、曹操はクツクツと笑い始めた。すると陳琳もふぅっと大きく息を吐く。

「ままごとを皆の前でやらせんでください、閣下」

 曹操は愉快そうに杯を傾けた。その様子に、どっと聴衆の緊張が解ける。夏侯淵の「びっくりさせんなー!」という野次に、陳琳は「すまねえな!」と返しながら壇上から降りる。ようやく会場は元の賑わいを取り戻し、司会の荀彧が「そ、それでは次は徐晃さんで瓦割りです!」と流れをかくし芸大会に戻していく。

 席に戻った陳琳は阮瑀を見つけると、ニカッと笑って親指を立てた。阮瑀はべ、と舌を出して応え、杯を呷った。ああ、変なこと言うんじゃなかった。


引用

――「為袁紹檄豫州」『文選』巻四四

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