第10話 由夏
「藤澤は毎日毎日走ってた…って知ってるよな、本人なんだから。」
圭吾は小さく笑ったが、由夏は呆然としてとても笑うことなどできなかった。
二年間本当に
「なんで…」
由夏が呟いた。
「なんで気づかなかったんだろう、二年も…だって、ずっと金髪だったよね…?」
圭吾は一瞬間を置いた。
「だから“藤澤は本当に前しか見えてないんだ”ってこと。」
ついさっき気にもとめず受け流した言葉を再び言われて、由夏はやはりきょとんとしてしまう。
「俺は藤澤に気づかれてないってずっとわかってたよ。だから毎日勝手に見学してから帰ってた。」
圭吾は続けた。
「あからさまに俺のこと嫌ってんだろうなって態度だったし。」
「嫌いまではいってない…苦手意識があっただけ。」
「過去形。」
「うん。今日苦手じゃなくなった。」
むしろ親近感を覚えてるくらいだ。
「で、なんで藤澤が俺に気づかなかったかっていったら…さっきの話に合わせて言うなら藤澤は100m走る間、ゴールしか見てない…いや、見えてなかったから、だな。走ってる藤澤ってただただ真っ直ぐ前だけ見てるんだって知ってた?」
走る時に前を見るなんて由夏自身は全く気づいていないくらいに当たり前のことだ。ただ、二年間も圭吾の存在に気づかないほど周りが見えていなかったことには驚かされる。それほど自分はゴール地点しか見ていなかった、それほど純粋にゴール地点を見つめられていたのか、と。
「うちの学校って運動部がそれほど好成績なわけじゃないからさ、一年からあんなに遅い時間までほとんど毎日部活やってるのなんて藤澤くらいで——」
圭吾も由夏も一年生だった夏を思い出していた。
「なんかすごく励まされたっていうか…さっきも言ったけど、俺なりに孤独を感じてた時期だったから同士、よりも…そうだな、目標にしたい人間を見つけたような気持ちになった。」
思いもよらない圭吾の言葉に由夏は目を瞠った。
「目標!?わたしが?」
圭吾はこくっと頷いた。
「高橋の…?」
「だからそうだって言ってんじゃん。」
由夏があまりにも動揺しているので、圭吾は思わず笑ってしまった。
「なのに“ダメ”とか“ダサい”とか言っちゃうんだもんなあ。」
「あの日…私が高橋に気づいたから…だから調子悪いって思ったんだ…」
由夏はようやく理解できた。
「そう。急に一瞬こっち見たからすげーびびった。そしたら毎日気づくようになったからさ。」
(たまたまでも、なんとなくでも、テキトーでも——何も知らないわけでもなかったんだ…)
「時期が時期だから、受験のことだってのはすぐにピンときた。……んだけど、なんか話しかけ方間違えたよな。」
圭吾があの日の由夏の態度を思い出して言っているのは、由夏にもわかった。
「あれは…あの時はびっくりして…。高橋とあんまり話したことないし、教室で遊んでる
帰りに
「いや、俺が
なんだかお互いに謝るようなかたちになってしまった。
「…でも」
圭吾は続けた。
「声かけずにいられなかったんだ。俺がずっと励まされてた藤澤が、俺と同じようなプレッシャー抱えてるんだなって思ったら。」
圭吾があまりにも真っ直ぐに自分への憧れの気持ちを語るので、由夏は照れくささと同時に素直な嬉しさを感じていた。
「ちょっとでも藤澤の気持ちが軽くなればって思ったけど無理、ってか逆効果だったな。」
そう自虐的に言って、圭吾は「ははっ」と小さく笑った。
波の音は相変わらず不思議なリズムを繰り返している。
「今」
「え」
「今、なってるよ、軽く、気持ち。」
由夏は込み上げる感情に言葉が追いつかず、おかしな倒置法になってしまった。
由夏が必死に喋るのを圭吾は少し笑った。
「なんていうか、上手く言葉にできそうにないけど…私が誰かの…ていうか高橋の“憧れ”とか“励まし”になってたなんて考えたこともなくて、信じられなくて…なんていうか…」
上手く言葉を紡ごうと必死になればなるほど、言葉が絡まって頭の中で
「すごく単純に、嬉しい。」
由夏が選んだのはシンプルな言葉だった。
「孤独だなんて考えたこともないくらい必死だったけど、高橋の言う通り孤独でプレッシャーに押し潰されそうだったんだなって。」
「過去形。」
圭吾に言われて、由夏は一瞬ハッとしてから考えこんだ。
「んー…多分今のは
「だけど今日から変われそうな気がする。」
由夏は圭吾を見て言った。
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