第7話 太陽

走って、少し止まって、また走って


海風や砂から建物を保護まもるためか、この海辺の街は入り組んだつくりをしている。

何度も何度も角を曲がってどんどん進んでいく。

森先もりせんがどんなに早く学校を出ても、行き先を知らない限りはすぐに追いつけないだろう。


角を3回ほど曲がった時点で、由夏には圭吾がどこへ向かっているのか想像がついていた。


胸が高鳴った。


授業を抜け出すなんて、とくに受験生にはあるまじき行為だ。

教師せんせいに怒られるだろうというスリルと少しの背徳感、そして、それを共有する圭吾の存在。

あんなに苦しかった“走る”という行為が今この瞬間はとても楽しい。


風に混ざる潮のにおいが少し濃くなった気がする。

アスファルトの上に被る砂もだんだんと増えてきた。


「高橋、結構走るの速いね。」

「そう?」

圭吾は少し笑ったように答えた。

目立っていたから目に入っていたはずのクラスメイトのことを何も知らないんだ、と由夏は不思議な気持ちになった。


目の前、目線より少し上にある金色の髪が陽光に透けてキラキラ光っている。

あんなに苦手だった金色。



(太陽みたい)



今は眩しい光のラインのように見える。


防砂林の松林まつばやしが見えて、足元が砂と石だけになった。

松が森のようにたくさん生えている薄暗い景色が視界の横を通り過ぎていく。

足元の砂が深くなって、走ろうとすると脚を取られて重く、もたつく。

圭吾は少しスピードを落とした。

「さすがにわかっただろ?どこに行くのか。」

「うん、結構前から気づいてた。」

由夏が息を切らしながら、それでも愉しそうな笑顔で言った。


「海」


松林の最後にびゅうっと強い風が通り過ぎると、視界の先が開けてぱっ明るくなった。

砂浜と深いブルーグリーンの水平線が目の前に広がった。



しばらくの間、二人は何故だか呆然と海を見つめていた。

「海だ…」

由夏が言った。

「海だな。」

圭吾が言った。

二人は顔を見合わせると、フッと吹き出すように笑った。

「当たり前だろ。」

「当たり前でしょ。」

声が揃った。


教室の窓から眺めるだけだったキラキラした世界が目の前に広がっている。

「…信じらんない、授業抜け出して海にいるなんて。」

由夏が感慨深げに呟いた。

「うちの学校の生徒なら…なんなら先生たちも、絶対一回は考えてるよな、授業サボって海に行きたいって。」

圭吾の言葉に由夏はうんうんと深くうなずいた。


誰もが憧れのように想像するが、実際に授業を抜け出して海に来る生徒はいないに等しい。

学校から海までは直線距離で200mほどだが、入り組んだ街並みを抜けるには1km以上の距離があり、辿り着くには時間がかかる。

海に着いたら着いたで、靴や服の隙間に砂が入って不快だし、汐風で髪がベタつきキシキシとした触感になってしまうのを女子はとくに嫌う。

そもそもこの街に住む人間には海が身近すぎるのかもしれない。


それでもこうして海に来ることを実行してしまえば、例えようもないくらいの爽快感で満たされた。

グラウンドではときどきキツく感じる潮の匂いも、不思議と浜辺では全く気にならない。


「水、気持ちいいんだろうなぁ。」

由夏が言った。

「足だけ入れば?」

「でもタオルとか持ってないし。」

残念そうな表情かおをした。

「高橋は入れば?」

「タオル持ってないのに入るヤツいねえだろ。」

「え、なにそれ!今私に入らせようとしたよね!?」

圭吾がニッと笑った。

もう!と由夏はムッとした。この数十分で、今まで過ごした長い時間以上に圭吾という人間がわかってきたような気がする。


二人はなんだか満足して、砂浜に座り込んだ。かと思ったら、圭吾は仰向けで寝そべってしまった。

「えー!砂だらけになるよ…。」

「今日はいい。」

「きょうはいい…」

由夏は圭吾の言葉を飲み込むように繰り返した。

「そっか。」

と納得したように言って、由夏も空を仰いで寝そべった。


空には太陽が輝いていた。

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