第5話 体操着と制服
今日の体育はハードル走だった。
当然由夏にとって体育は得意科目で、中でも走りに関する陸上競技は水を得た魚のように活き活きとする時間だ—本来なら。
体操着に着替えはしたが、どうにも気分が乗らない。“走る”と考えただけで足が
お腹が痛いことにして、見学させてもらうことにした。
午後2時
今日にも梅雨明けかと言われている夏の入り口にしては穏やかな陽射しで、クラスメイトの声を遠くに聞いていると寝不足のせいもあって
「藤澤も見学?」
ふぁ…とあくびを噛み殺した瞬間、突然近くから話しかけられて由夏の肩が小さく揺れた。
右を見上げると高橋が立っていた。
昼過ぎの屋外にいるせいか蜂蜜色の金髪がいつもより眩しい。
“も”ということは圭吾も見学ということだろうか、と社交辞令程度に聞こうかと思ったが、その必要は無かった。
「着替えてないんだ。」
圭吾は開襟シャツに黒いズボンの制服姿だった。
「なんで見学なのに着替えるんだよ。時間のムダじゃん。」
たしかに由夏も事前に見学を決めていれば体操着になっていなかっただろうとは思うが、圭吾に言われると必要以上にムッとしてしまう。
「…体調悪いの?」
少し冷静になろうと由夏が聞いた。
「んー俺って虚弱体質だから体育自体無理。」
「うそつき…」
圭吾は体育を時々サボっているようだが、球技大会やマラソン大会などには参加しているのを由夏は知っている。
だいたい一日も休まずに学校に来てあんな時間まで勉強している人間が虚弱体質なわけがない。
圭吾が休まず学校に来ていることにも、吉田とのやり取りの後に気づいてしまった。
体育のサボりも自習にあてているんだろうと想像がつく。
「バレたか。実は皮膚が弱くて日光に当たれないんだよね。」
もっともらしく圭吾が言う。
「皮膚が弱い人はそんなにブリーチできないと思う。だいたい今外に出てるし。」
「藤澤するどいね。」
「そういうの、本当に困ってる人に失礼だからやめなよ。」
呆れたように言った。
「制服のままだったら教室で自習でもいいんじゃないの?時間のムダじゃん。」
なのになぜわざわざ外に出てきて由夏の心を乱すのか、と由夏は思った。
「まあそれはそうなんだけど、今日はハードルだから、ひさびさに藤澤が走るのかなと思って見にきた。」
“ 藤澤が走るのかなと思って見にきた”
すぐには理解できない言葉だった。
体育座りで膝を抱えた由夏と立ったままの圭吾は、それぞれ遠くのクラスメイト達を見ていた。
圭吾の言葉に一瞬固まった由夏だったが、どん底の自分がまた
けれど、高橋が真面目な努力家だと知ってしまい、どうにも言葉が見つからなかった。
「また、うそ」
それだけポツりと言った。
遠くのクラスメイトの声だけが聞こえる時間がしばらく続いた。
視線は前に向けたまま、沈黙を破ったのは由夏だった。
「…高橋、毎日図書室で勉強してるんだってね。」
一瞬間を開けて圭吾が答えた。
「ああうん。何、誰かに聞いた?」
「吉田に聞いた。」
「ふーん。」
あまり興味無さそうに圭吾が言った。
「…ごめんね」
由夏がまたポツりと声に出すと、今度は圭吾が理解できないというような顔で由夏を見た。
「なにが?」
「………」
ふいに出た謝罪に自分でも戸惑ったのか、気持ちを整理するように由夏は一呼吸置いてから話し始めた。
「…私、高橋に八つ当たりで失礼なこと言った。まるで高橋が真面目に努力したことない、みたいに。」
圭吾はなんと言って良いのかわからないのか、ただ聞いていた。
「高橋に指摘された通り、私あの頃から調子が悪いんだよね。」
「…………」
「それを急に高橋に指摘されて…」
言葉が
「あぁ、
ゆっくりと言葉を吐き出す。
「…ダメなんだ、私…って思って…」
「…ダメ?藤澤が?」
意外そうな
「それが“努力しないでも勉強ができる天才”って思ってた高橋だったから…」
由夏の声が少し掠れた。
「…嫉妬して、あんなこと言っちゃったの。それで部活では走れなくなって、今日なんてただの授業で種目も違うのに…走るって考えただけて脚が重くなっちゃって…。」
そこまで言い終わると由夏はふぅ、と小さく溜息を吐いた。
「高橋が金髪ってだけで、毎日遊んでるって思ってたの。嫉妬して、勘違いして、自分だけが努力してるんだーなんて思って…最高にダサいよね。」
「………」
「私、高橋が羨ましいんだと思う。」
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