第4話 天才

家に帰ってからも雨音はますます強く鳴り続けていたが、ベッドの上の由夏にはその音は届いていない。


高橋は天才じゃなかった。

努力をしていた。


その事実に由夏の気持ちはドン底に突き落とされていた。

自分だけとは言わないが、自分や自分と同程度のレベルの“普通の”人間だけが努力をして、それでも報われるか報われないかというところで、もがき苦しんでいると思っていた。


(勉強してたんだ。

良い成績を取れる、ちゃんとした理由があったんだ。)


“高橋は努力してないけど、天才だから成績が良い”

それが由夏にとっての圭吾像だった。

そして“努力しても天才じゃないから上手くいかない”という、自分の置かれている状況に対しての慰めだった。

そんな、いわばギリギリのところで支えになっていたものがぽっきりと折られてしまった。


『高橋に何がわかるの?』

『ちゃんと真面目にやってるのに』


(あんな言葉、聞いてどう思った?なんで何も言い返さなかったの?

「努力してもできないんだ」ってやっぱり馬鹿にしてるの?

あーあ

あーあ

あーあ

恥ずかしい

馬鹿みたい

ダサい

最低

消えたい)


思い切り自分を罵った。

そしてふと、もう無理だ、と思った。

プツっと何がが切れてしまう感覚に襲われた。


月曜の放課後

由夏はいつものようにグラウンドにいた。

ただ今日は隅のほうに座って後輩の走りを見つめているだけで、自分では走らなかった。

顧問には体調不良と伝えている。律儀に見学をする必要も無いが、いつもより早く家に帰って親に質問されるのも面倒で息苦しい。


自身が走ろうが走るまいが、潮風と砂埃は変わらない。

短い髪が重苦しくベタつくし、砂埃がときどき視界を霞ませた。


ピンポン、と

校舎消灯の校内放送が響いた。

いつもは由夏がさして気にしていなかった音だ。


(あ、この時間って…)


由夏の心臓がキュ…ときしんだと同時に、フェンス越しに聞きたくない声がした。

「あれ?今日は走ってないんだ。」

圭吾は変わらず淡々と話しかけてくる。

「……うん」

それだけ言うのがやっとだった。

「何?具合悪いとか?」

由夏は言葉では答えず、ただ首を横に振った。

具合が悪いと言う理由で見学しているはずなのに、そう言ってしまうのはズルいような気がした。

圭吾は由夏の表情が曇っていることを察したようだった。

「まあ、たまには休んだほうが良いかもな。おつかれ。」

そう言って歩き出した圭吾に、由夏は挨拶さえ返せなかった。

毎日、校内放送が聞こえた少し後に圭吾がここを通ることに由夏はこの日はじめて気がついた。


圭吾は図書室が施錠されるまで毎日勉強している。


そのことに気づかされた。


それから一週間、部活がある日は毎日グラウンドの隅で過ごした。

顧問には、大会までには体調を整えるという確証のない約束をした。

由夏の様子を察してか、三日目には圭吾は立ち止まらずに通り過ぎるようになった。

フェンス越しに「おつかれ」とだけ言って。


愛想良く接していたわけでもないのに、由夏はどこか、見捨てられたような虚しい気持ちになっていた。


次の月曜日

由夏は部活だけでなく、体育の授業もグラウンドの隅で小さくなって見ていた。

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