第2話 キラキラ

由夏たちの教室は校舎の4階で、窓からは遠くに海が見える。住宅街の向こうに防砂林の松林があって、その奥には砂浜と波でキラキラと光る海。夏が近づいてきたこの季節は窓からの景色と風が一番心をざわつかせる。

教室を飛び出して砂浜に行って、走ったり叫んでみたり、海に足をつけてみたい。

今この教室にいる生徒の誰しもが一度は想像したはずだ。

もちろん受験生の由夏たちがそんなことを想像したところで、大半の生徒には夢でしかない。


夏が近づくことを知らせるこの景色が、ここのところ由夏にとっては焦りのタネでしかなくなっていた。

夏に大会がある。そこでの成績が、由夏が希望する大学への推薦入学の最終的な判断材料になる。

それなのにタイムは下げ止まったまま。

上がることも、自己ベストになることも無いが、一定のところから下がるわけでもない。


(いっそもっと下がってくれたら投げ出してしまえるのに。)


海を見ながら由夏は考えていた。


「じゃあ高橋くん、ここ読んでみて」

英語教師の声で、由夏の意識が教室に引き戻された。

あの日から圭吾が毎日部活の時間にフェンスの向こうを通っていた。いつも何か言いたげに3分ほど立ち止まって由夏の走りを見て帰る。目が合ってしまえば「おつかれ」とだけ言った。


(嫌がらせってほどではないかもしれないけど、揶揄からかってるんだ。馬鹿みたいに部活でもがいてる私を。)


教師に指名された圭吾は、きれいな発音でスラスラと英文を読んでいく。

由夏の心臓がキュ、と一瞬息苦しさを感じさせた。

あまりにも当たり前の光景になってしまっていて、今までは何も思わなかった。


(いいな、スラスラ読めて。先生にも褒められて。

いいな、天才で。)


圭吾という存在を改めて意識すると、きっとどこかにしまってあったんだな、という埃まみれの感情が顔をのぞかせた。


その日も次の日も、圭吾は午後6時過ぎにグラウンドの脇を通った。

はじめのうちは気になって、半ば睨むように圭吾と目があった由夏だったが、だんだんと無視するようになった。

由夏のタイムは一向に上がらなかった。

それすらも、圭吾が気を散らせるせいのように思えてきた。


「藤澤さぁ…」

2週間ほどが経った日、フェンスの側にいた由夏に圭吾が話しかけてきた。

「え?」

「もしかして調子悪かったりする?」


由夏の心臓と眉の端にピリッと小さな刺激が跳ねた。


「なんで?ってゆーか、突然何?」

「いや、なんとなく。」


連日横を通っているとはいえ、“なんとなく”で ろくに見学していたわけでもないクラスメイトに調子の悪さを言い当てられるのはたまらなく不愉快だった。

この2週間で由夏のタイムは下がり始めていた。


「高橋に何がわかるの?関係ないじゃん。なんとなくでムカつくこと言わないでよ。ちゃんと真面目にやってるのにそんなこと言われたら腹立つ。」

ムッとした表情を隠しきれない由夏に、圭吾は一瞬だけ考えるように沈黙した。

「それもそうだよな、ごめん。テキトー。」

本当に“テキトー”な軽い口調であっさりと謝罪した。

「まあ、もし調子悪かったとしてもさ、もっと力抜いてもいいんじゃね?今まで頑張ってきたんだろ?」

“今まで頑張ってきた”という言葉に由夏は腹立たしさを超えて、胸が苦しくなった。



(何も知らないくせに)



声に出ていたかもしれない。少なくとも顔には出ていた。

「おつかれ。」

と言って、圭吾は校門の方向に歩き出した。

「…おつかれ」

由夏も言いたくなさげに言った。


そんな見た目でそんなノリで、テキトーにやって良い成績取れちゃうやつにわかるわけない。

努力して努力して努力して

努力してるのに、どこが悪いのかわからない調子の悪さに押しつぶされそうな私の気持ちなんか。

潮風でベタつく髪がいつもより重たく感じた。

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