第9話 V Sお風呂大戦争
カナタは温泉はもといい、お風呂は好きな方だ。
定期的に銭湯のサウナに通い詰めているし、自宅の風呂に入浴剤を放り込むこともしばしば。
だが残念なことに、彼は一番風呂というものを経験したことがない。
基本的に自宅での風呂は妹が先に入り、彼の順番は2か3番目。
追い焚き機能の破壊された風呂では100%のポテンシャルを発揮することは不可能。
カナタの理想は潰えたかのように思えた、
否、断じて否。
現在のシェアハウスでは、それらの問題点を全て解決できる。
街の銭湯と同じだけの広さを誇る大浴場。
意味もなく常備されたミスト機能。
匠の思念がこもったサウナルーム。
これだけで銭湯開設できる最低限の機能が詰まった風呂場を見て、彼はヒロインの大勢よりもここに見惚れた。
「4月6日!! 日没と同時に!! 俺は一番風呂を行う!!!」
某呪詛師がごとく、カナタは宣言した。
莉音は実家に呼び出され、
玲奈はコスメを買いに行った、
エレノアは言わずがな撮影で、
普段ニートしているはずの渚沙が気まぐれにゲームセンターに行った。
美夜にはそれとなく猫の写真をばら撒いて探索気分を高め、一眼レフを渡してそそのかした。
つまり彼女たちはいない。
人生初の一番風呂。
何をやっても怒られない。
入浴剤をぶち込んでも何も言われず、シャワーヘッドと二刀流しても文句はない。
熱波師の真似事で他人から睨まれることはない。
これがカナタの
そして外気欲まで完璧にこなしたカナタは完全体となる。
人間としての格が上がり、差し詰めフェーズ2だ。
「今の俺に死角はない」
一人で十二分に楽しんだ後、綺麗に証拠隠滅。
後でバレて「なんで呼ばなかったのか?」などと言われたら面倒になるのは目に見えている。
それにサウナとは静かに入るのがマナーだ。
いくら身内とはいえ神聖な場所で騒ぐことは良しとしない。
どこに出しても立派な淑女に育て上げるのだ。
静かに、華麗に、そして優雅に。
サウナとはそういうものだ。
「また一つ、世界平和に近づいてしまった」
風呂から上がり、高速で寝巻きに着替えたカナタは寝る準備万端。
いくら5日は寝ずに動けるからといって油断は禁物。
布団に潜り込まれないためにも、彼女たちが帰っていない段階である程度の睡眠が必要になる。
◾️
渚沙は苦悩していた。
初日にカナタの布団に潜り込んで以降、明らかに警戒レベルが跳ね上がった。
学校で存在感を消し続けている彼女にとって、息を殺しての忍足はプロの域。
空き巣と並行して歩いても気づかれないほどに研ぎ澄まされている。
だが初日以降、部屋に忍び込もうとするが彼は居ない。
どこで何やっているのかは不明だが、少なくとも渚沙が忍び込むときいつも居ないのは偶然ではない。
一度や二度ではない。
明確な意思を持って回避している。
偶然に見せかけたラッキースケベは通用しない。
彼女がそう絶望するそのとき、少年漫画は裏切らない。
ラブコメの王道展開。
「お風呂場でバッタリ! 何してんのよエッチ!」である。
かの有名なラブコメはお風呂に転移までやった。
これならいける。
これなら勝てる。
感謝っ……! 圧倒的感謝っ……!
美味しいヤミーまである。
ならばこのバイブルに従い、
「お風呂でバッタリ!」
「成り行きで一緒に入る」
「何やかんやあってゴールイン」
何やかんやについては、少年漫画と少女漫画の知識しかない渚沙は理解していない。
だが25センチの厚みを持つ胸の膨らみに目を落とし、勝ち筋はある。
エレノアが贅肉だ何だと言っている脂肪の塊だが、あれは負け惜しみ。
「やーい、負け惜しみー」と言ってみたが、それ以降部屋にこもって謎の機械を使っているのをみた。
とにかくだ、お風呂ラッキすけべ作戦が成功すれば他の追随を許さないほど突き放すことができる。
そう考えた渚沙は柄にもなくオシャレな美容院へと赴き、心臓バクバクのまま帰還。
カナタが風呂に入るのを見計らって突入すればいい、そう考えていたのだが、
「カナター! 疲れちゃってお風呂入れなーい!」
怨敵、エレノアが立ち塞がる。
「明日も早いから、洗って欲しいなー! いいでしょ?」
リビングで堂々と、ぬけぬけとそんなことを口走ったエレノアだが、渚沙の帰還を眼にすると「一歩遅かったなマヌケ」と言わんばかりに口角が釣り上がる。
渚沙の目は血走った。
深い愛を喪失した時に発現するとされる、忍者の眼に似た何かを宿した。
「お前をハードラックでダンスしてやろうか?」とブリキ人形のようにカクカク動く渚沙は起死回生の一手を探る。
これでもIQは600ある。
神の一手を探りに探り、何とかエレノアを引き離す。
「私が入れる」では自身を道連れにすることで相手の目論見を破壊する最後の手段、できるなら使いたくない。
かといって一緒に入ればエレノアは確実にラッキースケベを成立させることができる。
彼女にそれくらいの演技力と実力があることを、渚沙が誤魔化すことはない。
手詰まりか、
そう思われたその時、玄関の扉が開く。
そして次の帰還者は美夜。
彼女はホクホク顔で帰ってきたが、リビングで行われている並々ならぬ修羅場の気配を、歴戦の感覚から感じ取る。
「とりあえずシャワーだけでも浴びて、寝て起きたら真面目に入れよ」
「疲れてそれどころじゃないー! ほら洗って、代わりに私のこと好きにしていいから、ね!」
完全にパワープレイに走ったエレノア。
後手に回っては不利、そう感じた渚沙はとにかく前に出る、
力ずくでもこの女狐を引き離さなければ勝ち目はない!
だがそのとき、思わぬ伏兵の存在を失念していた。
現在この場にいるのはカナタ、エレノア、渚沙、そして美夜だ。
最後の一人は部屋に帰ったのか?
認識から外れたと首を振って確認しようとしたその瞬間、
「カナタ。さっき転んで泥に塗れてしまった」
先ほど帰ってきたときには「一切ついていなかった泥を被った美夜の姿」が、そこにはあった。
「カメラは偶然無事だ、足も大丈夫。ただ何故かボクの上半身にわたってとても取れにくい泥が」
「お前とりあえず入ってこい」
「それが眼に入ってしまって前が見えないんだ。だから、その……洗ってくれないか?」
「お前もかあああああ!」と反応しては負ける。
彼女は恥をかなぐり捨てた。
さっきとは違ってジャージになっている気もするが、特に他意はない。
だが問題なのは渚沙よりも美夜の方がバスト大きい問題が存在することだ。
美夜は剣道の邪魔になると言ってサラシで押し固めているが、それで渚沙と同程度。
外せば何が起こるかは火を見るより明らかだ。
彼女は危険だ。
けれど取れる手段は限られている。
ゴリ押しはエレノアがやった、偶然を装った事故は美夜が行った。
二番煎じでは「こいつやったな」と思われるため、それは避けたい。
それら全てを考慮してI Q600が導き出した答えが、
「……カナタ、最近私のこと避けてる?」
袖を掴んで上目遣い。
罪悪感に漬け込むことだ。
これにはエレノアの鉄壁の演技力も崩壊。
明らかな憤怒の表情を浮かべ「捩じ切ってやる」とばかりに歯を食いしばる。
(この贅肉ニート、罪悪感に漬け込んだ!)
罪悪感に漬け込み、交渉を有利に進める心理学は存在する。
よって彼女の類まれなる頭脳から導き出された結論は、奇しくもこの場で最も効果的に作用した。
エレノアの取った行動は甘えによるゴリ押し。
有効ではあるものの、この場において最も手札が弱い。
新たな手札に切り替えてもいいが、それをすると「さっきまでの嘘だったの?」となるので使いたくはない。
あくまで誠実に思われたい。
時間はない、ここで決めなければ後がないのだ。
だがその時間は思っていたより早かった、
「アンタたち何やってるの」
氷結の支配者、玲奈の降臨。
そして彼女の後ろにはこの家のオカン、莉音がいた。
「どうせまたくだらないことで喧嘩してたんでしょ。カナタだって疲れてるんだから、たまには労ってあげないと」
「いや、俺は……」
「アンタたちさっさと風呂入ってきなさい。コイツはアタシが責任持って面倒見るから」
エレノアを引き離し、仲介に入ったように見えた彼女だったが、その口元に笑みが浮かんでいる。
そしてそれを、見逃す道理はない。
(まさか……)
(聞いていたのか、今までの会話を!)
全部理解した上での仲裁。
アクシデントを装うことなく、ゴリ押すわけでもなく、罪悪感にも漬け込まない。
彼を救ったように見せて、全ては手のひらの上。
彼女が一緒に風呂に入る駒の一つとして、踊らされていたのだ。
(悪いけどタイミングを見させてもらったわよ。アンタたちから助けて恩を売る、そして自然なムーブでお風呂に入る。アタシはガツガツした女だって思われたくないの)
だがシェアハウスに拉致した時点で草食系とは思われていない。
「玲奈、謀ったな玲奈!」
悪い笑みを浮かべる彼女にエレノアは恐怖する。
(駄目だこいつ……早く何とかしないと……)
最も警戒するべき相手。
それはわかっていた。
「ふん……まさかここまでとはな」
勝敗は決した、かに見えた。
だが、
「……もう隠す必要がない」
ここにいる全員が同じ気持ちで、同じものを狙っているとすれば。
もう隠す必要はない。
正面から白黒つけるしかない。
「……手に入れたければ勝つまで!」
カードゲームのデッキを取り出す渚沙だが、
彼女に被せて莉音が前に出る、
「それなら良いモノがありますよ!」
そうして物置に向かった彼女は、何やら見覚えのある1メートルを超えるルーレットをガラガラと引いてくる。
そして均等に分けられた六つの枠に名前を書いた。
「これで刺さった人が、って言うのはどうでしょう」
莉音、
玲奈、
渚沙、
エレノア、
美夜、
たわし、
この六つの内、誰がカナタとお風呂に入れるのか。
デュエルスタンバイ。
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