第7話 鳴宮美夜は甘えたい

 鳴宮美夜は誇り高い人間である。


 決められた時刻に起き、長い黒髪をポニーテールに結び、道着に着替える。

 そして庭に増設してもらった剣道場で竹刀を振る。


 今もなおグータラと寝ているものが数名いるが、それを羨むこともなければ、見下すこともない。


 日の光もままならぬ中で剣を振る。

 それは幼少の頃より続けてきた日課だと、彼女は不満の一つもこぼさず鍛錬を続ける、誇り高く高潔な人間である。


「きゃあ! 猫ちゃん! どこからきたのかなー! こっちおいでー」


 そう、高潔な人間である。


 公園の隅っこで野良猫見つけて飛び込むことはない。

 ましてや、しゃがみこんでケツ振ってるなんて幻覚の類だろう、


「……ワーオ」


 だがつねっても叩いても痛みは走る。

 高潔な騎士道精神溢れる大和撫子は、なんだったのか、


 そうしてカナタがショッキングな出来事に慄き、棒立ちしていると、視線を感じて彼女も振り返る。


 お互いの目が合った。


 開いた口が塞がらなかった。


 ◾️


「みんなには内緒にしてくれ!」


 両手を合わせて頭を下げる美夜に、カナタは冷やかな目をむける。


「別に知ったところでって感じだと思うけどな」


 公園で見てはいけない物を見てしまったカナタ。

 そのまま山奥に埋められることも覚悟したが、連れてこられた先は入り組んだ路地にある隠れ家的な喫茶店。


「こいつ普段から来てるのでは」と内心疑問を抱き始めるが、


「ハイパーギガ盛りパフェでーす」


 店員が運んできたチョモランマ級に聳え立つパフェを見て、疑心は確信に変わった。


 こいつは常連だ。


「ううう、ほんと出来心なんだ。今回が初めてなんだ、見逃してくれ」


 そう言いつつも、ちゃっかりパフェ食ってる辺り、野良猫探しも初犯ではない。

 明らかに辞められなくなってるタイプだ。


「いやまぁ、猫と戯れていたくらいで文句は言わないけどさ。そんな好きなら買えば良いじゃん」


 美夜の実家は長い歴史を持つ武道家。

 当然道場の一つや二つ、山の一個や二個は所有しているし、門下生も数千に渡る。


 カナタも一度行ったことがあるが、日の出ている間は常に誰かの叫び声が聞こえるので気が休まらない。


 猫ならストレスで倒れるだろう。


 だが今は実家から出て莉音の用意した馬鹿でかい豪邸に住んでいるのだ。


 家主兼オカンである彼女さえ説得できれば飼えるだろう、そう思って切り出したのだが、


「そうなんだが『うちにはペットみたいなのが何人かいるからダメ』だと言われてな」


 誰とは言わないがカナタも理解できた。


 主に引きこもってるヤツと、やたらとベタベタしてくる金髪幼女だ。


 おの二人のお世話に忙しい莉音では猫の世話にまで気が回らないのかもしれない。

 それに彼女自身も学生の身。

 学校が始まれば宿題やらなんやらで時間が潰れ、それどころでは無くなることも考慮しての発言だろう。


「それに人の猫の方が世話しなくて良い分可愛いからな」


「……なんて身もふたもないことを」


「同棲するとお互いの嫌なところ見えてくるから嫌」に似た何かを感じる。


「なんだ、まぁ。今度猫カフェにでも行くか」


「良いのか!」


「その代わり楽しめよ」


彼女が鍛錬を欠かさないのはすでに見ている。

家でも気を張っているとまではいかないものの、完全なリラックスした姿は見たことがない。


彼女の習慣がそうさせているとした場合、無理やりどうこうするのは難しい。

必然的に気を休められる場所に連れて行ってリフレッシュさせた方が彼女のためになる。


何より、これ以上ベタベタしてくるやつが増えるとカナタ一人では手に追えない。


残りの二人はしっかりしている方ではあるが、人間いつ壊れるかなどわからないものであると、カナタはよく知っている。


抜ける時に抜いとけ、なのだ。


「ニャア」


カリカリ、と。

窓越しに引っ掻いている子猫の姿がこちらを向いていた。


「ネコちゃ……」


チラッとこちらを目配せしてくる美夜。

バレたというのに今更何言ってるんだと思いつつも、カナタは目を瞑ってお冷をのむ。


美夜ペットショップのようにガラス越しに手を当てて微笑んでいる。

だが外にいるのは猫で、閉じ込められているのは人間であるカナタたち。


立場が逆転したのか、と。

くだらないことを考えていたカナタだが、


「この猫、首輪してるぞ」


ガラス越しに指で首を指し示す。


野良猫なら首輪はしない、それに野良にしては人懐っこすぎる。

となれば飼い猫が逃げ出したパターンだ。


「見失う前に保護してくる」


「手伝おうか?」


「大丈夫だ、猫に遅れを取るようなやわな鍛え方はしていない!」


◾️


「にゃにゃにゃ!」


猫じゃらしを片手に、にじり寄る少女の姿があった。


「シャァアア!」


明らかな警戒。


どこに鍛え方が絡んでいるのか全くわからないまま、カナタはスマホで猫の情報サイトと閲覧。


「またたびって遺伝なんだ……」


どうでもいい新情報に衝撃を受けるカナタを他所に、長きにわたる戦いを制した美夜が帰還。


戦利品の猫を片手に戻ってきた美夜だが、猫は指をガチ噛みしている。


「首輪の裏に住所が書いてあってな、届けに行こうと思う」


ガチ噛みを辞めないネコにカナタは好奇心から指を差し出してみる。

すると噛むのをやめ、出された指の匂いを嗅ぐ。


「やっぱ俺って動物に好かれやすいタチなんだよね」


そして噛みついた。


「よしよーし、怖くない。良い高校生は動物に好かれやすいんだ」


血が吹き出た。


「だ、大丈夫か?」


「この程度なら二分あれば完治する、問題はない」


傷はない。


そう、彼の心以外には


◾️


鳴宮家は剣道界では名の知れた道場の家系。


祖父と父はそれは素晴らしい武芸者だった。

その界隈の人間なら必ず名を知る著名人であり、実家の道場に通う多くの門下生からも家の凄さは見て理解できた。


だから彼女はその名に相応しい人間になろうと思った。


高尚な父に恥じないよう、


家の名に泥を塗らぬよう、


彼女は完璧な人間になった。


後輩から慕われ、教師から信頼される。

同級生からも尊敬の眼差しを受ける、そんな立派な人間になった。


そしてその頃には、彼女を理解する人間はいなくなっていた。


尊敬されようと足掻いた結果が、誰にも理解されない孤独。

彼女は人々から尊敬というなの線引きで隔離されてしまっていた。


だが、


『人間に完璧なんてねぇよ』


彼はこう言った「向き不向き、いわゆる才能が噛み合っただけだ」と。


だから彼女は才能とは何かを問う。


『あぁ? お前なんで剣道やってんだ。親の看板担ぐだけの嫌々なら適当にダラダラさぼるだろ』


その時ようやく気づけたのだ。


彼女はただ、褒められたかっただけなのだ。

師範代である父に数多くの門下生よりも、自身を褒めて欲しかった。


それだけ、たったそれだけの理由を忘れていた。


ただ一つの「さすが私の娘だ」を聞きたかっただけだ。


◾️


「あれ先輩じゃないですか! うちのカオスエメラルド」


猫にとんでもない名前をつけたなと、心の中で突っ込むカナタ。


猫を飼っていたお宅は美夜の知り合いだったらしい。


「もしかしてそれが先輩の彼氏さんですか?」


悪い顔をする後輩女子。

明らかに揶揄っており、反応を楽しむためにちゃっかりスマホのカメラが起動されている。


だがそれを聞いて赤面するどころか、腕に抱きついてきた。


「あげないよ、これはボクのだから」


思っていた反応と違ったことに驚いた後輩女子は静かにシャッターを切る。


「うう、尊い」


フラッシュまで炊き始めたので手で覆ってやめさせる。


「不幸にしたら呪いますからね、ううう……晴れ舞台」


「まかせてくれ、だから心配いらないぞ!」


「あ、俺がされる方なのね」


話つながってなくないか、といったツッコミは無し。


これ以上いると話がややこしくなりそうなので、猫を押し付けて即帰宅。


名残惜しむ後輩女子を追いやって家路につく。


「そういえばカナタはなんで公園にいたんだ?」


「今日発売の漫画買いに行こうと思ってな、公園突っ切るとショートカットでき……」


買いに行く途中だったこと忘れてた。


「あっ……」




















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