第6話 エレノア=レイは努力する

「はいカットー! 今の良かったよエレノアさん、次も行こうかー!」


大量のライトに照らされたスタジオの中。

忙しなく動き続けるスタッフの中で、一際目立つ綺麗な汗を流す少女がいた。


金髪碧眼、幼さの残る端正な顔立ち。

少しばかり小柄な、それでいて大物の雰囲気を纏う。


15歳にして今をときめく大女優。

エレノア=レイである。


輝かしいまでの営業スマイルに、限界まで研ぎ澄ました気遣い。

スタッフの末端の末端でさえも優しく接する姿は、芸能界では聖母マルタと呼ばれている。


だがそんな彼女にみじんこ程の興味しかない人間がここに一人、


「……眠い」


「お前なんで着いてきたんだよ」


首から入館証のタグを掛け、部屋の隅っこに鎮座する座るカナタは、上から覆い被さる様に脱力しきった渚沙を退かした。


「……今日はアプデ、暇」


要するに時間潰しだ。


「でも凄かったですね、エレノアさんの演技。まさに女優って感じで」


興奮を抑えきれていない莉音は両手を握ってブンブン振っていた。

ナイター観戦のような勢いに見えるが、映画やドラマが好きな彼女ならそれも仕方ないことだと、カナタは理解する。


一番行きたがってた玲奈は不参加だ。


「カナタくんは驚かないんですね」


ほぼ寝ている渚沙はともかく、直接「来なさい、格の違いを見せてあげる」と言われ押し付けられたカナタが無反応なのは、莉音としても思うところがある。


何を考えているか分かりにくい彼を、覗き込むよう体ごと前に乗り出す、


すると、


「昔あいつの母親の撮影を見たことがある、多分ハリウッドとかのやつだ」


「それってロー○の休日の!」


「いやそれ普通に違う人だ」


全くの別人、それどころか本当なら今何歳なのだ。

高齢出産どころではない。


「だからまあ、大きくなったなあって感じだ」


「親父臭くないですか、それ」


「……エレノアは小さい、我らの中で最弱」


そう言って胸を押し付ける渚沙。


「本人に言ったらバチくそキレるからやめろよー」


「……大丈夫、勝てる!」


「そういう話じゃねえよ」


謎の張り合いを華麗に流すカナタ。

その一方で莉音は、


「でもなんでエレノアちゃんは日本で活動してるんですか?」


◾️


2年前



「もうやだー、疲れた! ゴロゴロしたい、スヤスヤしたい、働きたくない!」


13歳のエレノアは楽屋のソファに飛び込むと、無駄に激しく暴れる。

だがソファから落ちないあたり、本人に理性が残っているのだという事をマネージャーは理解しているため止めない。


マネージャーである彼女もエレノアとは長い付き合い。

定期的にこういった息抜きをさせておかなければ爆発四散しかねないのだ。


「ううう、なんでこんな上手くいかないのよ」


ソファに顔を埋めて静かにそう呟いた。


だが彼女は人前で弱音を吐いたりはしない。

表舞台での苦労、疲労は絶対に表に出さない。


天才女優である母を超えるため、自身も天才であるために、血の滲むような努力は全て誰にも打ち明ける事なく飲み込むのだ。


「で、でも今日のはしょうがないと言いますか、ね?」


「難しいなんて言っていられないの。子役だの、ビジュ担当だって、そんなものが免罪符になるなんて思ってない……私は天才だもの」


マネージャーから見ても難しい演技だったのは確かだ。

子役に任せるには荷が重すぎる大役で、まともな監督なら大人の役者に変更した方がいい。

そこを変えずにこだわってくるところが良くも悪くも監督だ。


エレノアは必死に限界に挑み続けている。

放っておいても彼女はなんとかするだろうが、それではダメなのだ。


「そうですね! きっとあの愛しの彼も応援していますよ!」


「えっ! 見つかった!」


他所で見せたら人が殺せるレベルの満面の笑みを浮かべるエレノアだが、


「見つかったとかではなく、物の例えと言いますか……」


視線をキョロキョロさせるマネージャーに、事の全てを察する。


「表舞台にいれば見つけてくれると思ったのに……」


「そもそも実在するのか怪しいんじゃないかと」


「いるもん! 絶対いる! だって彼は私を…………キャー!」


「ウルセェなぁ」と、内心煮えたぎる思いを抱くマネージャー、独身27歳。

友人知人が大学からの彼氏と結婚していく中、バリバリキャリアウーマンしていたせいで婚期逃しかけている彼女にとって、それは地雷。


相手が目に入れても痛くないほど可愛く、なおかつ弱音を吐かず努力している彼女だから引っ叩かないでだけで、青春ど真ん中の中高生が目の前でそんなこと口走ったらビビるくらいキレ散らかす恐れがある。


「ですが聞いてください、男なんて奴は所詮おっぱいです。胸しか興味ないんです、合コンでもそう、頭弱そうなやつでも胸ついてるってだけで……今になって腹が立ってきた、なんで私が売れ残らなきゃいけないんだよチクショー!」


「お、押さえて!」


「もしそいつが胸に靡くようなやつなら私が一発かましてあげますよ!」


インプラントで綺麗な歯をニカっと見せるマネージャー。

その姿はとても頼もしい。


そんなやりとりをしている中、来客予定のない扉が開いた。


「君がエレノアちゃんだね」


そう言って吐いてきたのはテレビ番組のプロデューサー。


若い頃に髪を染めまくった影響で頭皮を破壊し、ハゲ散らかしたお天道様。

まるまる太ったその姿は、裏でのあだ名は豚足ハゲダヌキ。


そいつがズケズケと入ってくる姿にマネージャーが立ち塞がる。


「何の用ですか、彼女は今……」


さっきまでの暴れ具合はどこへやら。

バリバリのキャリアウーマンとしての能力を発揮する彼女に、豚足ハゲダヌキは舌打ちをする。


「なぁに、ウチの番組に興味ないのかねと思ってね。君あれだろ、有名になりたいクチだろ? ちっさい映画にチマチマ出るよりもっといい手があると思わないかい?」


カエルの顔面2回殴ったような笑みを浮かべ、ヤニまみれの歯をニヤリとみせる。


こいつは学生時代にちょいワルで少しモテたのをいまだに引き摺っている。

売れなくなったホストの癖にやたら態度がでかいヤツと同じだ。


かつての栄光を今もあると勘違いしている、現実見れていない阿呆だと、マネージャーは息を止める。


(お前は豚足ハゲダヌキよりトロールだろうが)


「有名になれるんですか?」


マネージャーは自身の失念を後悔した。

エレノアは「想い人に会うために芸能界に入った」


それは紛れもない事実、

そしてその情報を豚足ハゲダヌキが知って、漬け込みに来たのだとしたら、


有名になることは悪ではない。

だが豚足ハゲダヌキには遜るわけにはいかない。


「そりゃそうだ。金も、地位も名誉も、俺は全部持ってる。君を売り出すことができる、ただまぁ、それ相応のものが必要になるけ、ど」


品定めする視線。

ヤツの目的は枕だと、この時マネージャーは確信した。


止めなければと、口を開いたその時、


「お断りします」


エレノアから出たのは拒絶の言葉だった。


「私は自分が胸を張れない生き方をするつもりはありません」


「テレビに出してやるって言ってんだぞ?」


「実力で掴むので、助力は必要ありません」


「おま……俺に逆らって!」


「その時は縁がなかったということでしょう」


冷たい拒絶の言葉だった。


だがそれは何人ものアイドルを食い潰してきたPの逆鱗に触れた。


「いい気になりやがって、このガキが! 俺に逆らってこの業界生きてけると思うなよ!」


「それはそっくり返してやってもいいんだな? 小僧」


ポンっと、豚足ハゲダヌキの肩を叩くイカついグラサン。

ヤクザに見間違えるその男性は、


「しゃ、社長!」


マネージャーは救世主を見るかのような眼で助けを求める。


「小僧。アシ時代にお前の面倒を見たのは誰か忘れたか? それとも俺より雑魚のくせにウチのモンに手を出そうっていいテェのか?」


「今の俺にはパイプが!」


「そのパイプ繋いだやつは、誰だ?」


「ふんっ!」


苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべ、のしのしと野山に帰って行った。


彼の姿が見えなくなるのを確認してから、社長はエレノアに視線を向ける、


「アレは愚図だが、俺もお前は女優よりアイドルやタレントの方が向いてると思うのも事実だ。どうだやる気はあるか?」


彼女のルックスは秀でたものだ。

女優業よりもアイドルで売って行った方が良いことは明らか。


エレノア自身、天才女優である母親を知っているため、自身がそれより劣っている自覚はある。


おそらくこのまま役者を続けるよりも、アイドルとして生きた方が苦労も減る、カナタに見つけてもらえる可能性も増える。


だが、


『他のやつが何言おうが関係ねぇよ、お前は演技の天才だ』


諦めた時、現実の前に心が折れていた時、

彼は認めてくれたのだ、


『俺を嘘つきにさせるなよ』


「私は役者で生きたいです」


辛くても、苦しくても。

思い通りにいかない現実が無慈悲でも、


「ファン1号が待ってますから」


◾️


「あー疲れた、だるい、家までおんぶしてー!」


撮影が終わり、エレノアは先に楽屋で待機していたカナタの背中に乗り掛かる。


「……そこは私の特等席」


「ざんねーん! ここは働いた偉い人にのみ許されたリムジンなんですぅ! ニートは乗れません」


「……そいつ汗臭い、離れた方がいい」


「カナタは私の匂い大好きだもんねー?」


抱きつこうとして何もない空間を空ぶったエレノアは、何が起こったのか分からずあたりを見回すと、


「あなたが面倒を見てくれたと話していました、ありがとうございます」


カナタは偶然楽屋に訪れた社長の前に立ち、握手を求めて手を差し出していた。


「なぜ俺だと」


「サングラスのヤクザはあなた以外にいないでしょう」


「それもそうか。お前のことはヤツから聞いている、流石にお前はメディアに出せん」


「初めから出る気はありませんよ」


「ならいい。それと彼女はウチの稼ぎ頭だ、泣かせたらタダじゃおかねぇ、沈めるぞ」


「肝に銘じます」


それだけ聞くと社長は無言で去っていった。


「カナター! 帰ろー!」


「……アプデ終わった、早く帰る」


「お前ら自由だな」


両者ともに歩く気は無し。


手足を放り出して抱えて帰れと言わんばかりの暴挙。


それにぐだぐだと言っては日付が変わってしまうため、仕方なく両手で右と左に装備して持ち上げ、肩に乗せる。


両手で米俵を持つよう雑に抱えたカナタは楽屋を出るが、その直前に、


「エレノア、母親に似てきたな」


顔は合わせなかったがそう呟いた。


「でしょう! 特に胸が……」


「……莉音、どこ?」


一方その頃、しつこいスカウトにつけ回されていた莉音は迷子になっていた。






















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