第3話 今の生活

「……知らない天井だ」


目を覚ました直後、ぬくぬくした布団の中でカナタは学生が人生で一度は行ってみたいセリフ第5位を口にする。

ちなみに一位は「俺のことは構うな、先に行け」だ。


ムニッ。


手に何か当たった。


なんの物体かは不明。


先日うるさいと言って目覚まし時計を粉砕した彼には「これが確実に目覚まし時計をではない」と、寝ぼけた頭でも理解できる。


ひとまずよく分からないそれを、冴えない頭のまま、何度か揉んだりつねったりして必死に頭を働かせて当ててやろうと努力するが、結論は出ない。

おそらく人生で触ったことのないものなのだから、分からなくてもおかしくはない。


考えない方が良さそうだった。


そんなくだらないことを考えながら、借りた布団を押し上げて身体を起こす。


何故か疲れが取れていない身体を無視して大きな欠伸をすると、


「……寒い、戻して」


カナタの跳ね除けた布団を、あたかも自分の物かのように引き寄せる少女、樟葉渚沙。


幼さの残る顔立ちと、寝巻きのネコミミパーカーのフードからはみ出る長い茶髪。


赤子のように丸まってスヤスヤしている彼女をみて、カナタは起こすつもりは無いが「なんでいるの?」と言った疑問を隠しきれない。


このまま放置してもいいが、誤解は誤解される状況証拠がなければ生まれない。

要は現行犯でなければいいのだ。


他のメンツが起きる前に彼女の自室に放り込めば一件落着。

インポッシブルなミッションではない。


「バレる前になんとか……」


そう言って渚沙を抱き抱えようとしたその時、部屋の扉が静かに開いた。


「あっ……」


金髪碧眼、同い年というには少々幼いエレノアは枕を片手にドアノブに手をかけていた。


「……か、カナタが寂しいと寝れないんじゃ無いかと思って!」


「もう朝だろ」


◾️


時刻は大体8時ほど。

お怒りを受けた2名のフライング女子は半泣きで朝食を口に運んでいた。


「……つい出来心で」と、シクシク泣き腫らしている彼女たちだが、目の前でご飯を食べるカナタとしては、そこまでしなくてもと思わなくもない。


「抜け駆け禁止。そのためにアンタに個室与えたんだから、これは仕方ないことなの」


暴力に訴えるつもりは無い、と。

氷雨玲奈は青い髪を耳にかけ、味噌汁を啜りながら応える。


「……俺そんな理由で自室もらってたの、プライバシーが理由じゃないの?」


「今更嫌いになったりなんてしないわよ」


「えぇ……」


そういう問題ではない。

男には秘密にしたいことの一つや二つあるものだ。


「お口に合いましたか?」


もぐもぐ食べ進めていた彼らの前に、本日のシェフ、桜花莉音が姿を表す。

シェフと言えど、この巨大な共同生活の場を提供したマジモンのお嬢様であり、カナタの記憶が正しければ世界有数の財閥のお嬢様。


そんなお嬢様に飯作らせたと知られれば殺される危険があるが、本人の希望だ。

クソマズでも飲み込んでやると覚悟を決めていたものの、


「すごく美味いよ、ありがとう」


そんな不躾な考えなど必要ないほどに美味かった。

料理など食えればいい程度にしか作れないカナタからすれば、これほどまでに到達するのにかけた時間は計り知れない。


誰かのためにと長い掛けた時間に、敬意を持って平らげると二度寝を決行。


食器を片付けて自室に引き篭もろうとするが、


「カナタくん、今日空いてますか?」


◾️


「どこかで買いに行かないとって思ってたんですよ」


跳ねるような動きで前を歩く莉音に、カナタは泣き言を言わずついていく。

部屋にこもってゲームしたい、というのが本心だが、生活必需品を買わなければいけないのも事実。


何より5人分の食材などを一人で買いに行かせるほど鬼ではない。


それに、今のカナタは無理やり家から追い出されているため、自室には借りた布団のみ。

そのあたりも買い直さなければいけない。


「必要なものがあったら言ってくださいね、私にはこれがあるので!」


そう言ってスッと取り出したのは輝く漆黒のカード。


限度額無制限のブラックカードである。


「それが伝説の」


そういえば昔、莉音の親父がクルーザー一括買いしてな、と大変だった記憶を思い出す。


金持ち連中の考えることはスケールが違いすぎて意味が分からなくなることがある。

常識にも配慮してほしい。


そう願いながら、近場の大型ショッピングモールに到着。

駐車場は混み合い、店内は人でごった返している。


「ギリ春休みだから混んでるのか」


「そうですね。家族連れはあんまりいませんし、どちらかといえば学生が多いですね」


あたりを見渡しながら、歩く莉音は思い出したように口を開いた。


「そう言えば学生は遊園地ではなく、ショッピングモールでデートすることがあるとか……」


そこまで言った直後、彼女は自分が何を口走ったのかを理解した。


ほんの思いつき、思い出し。

話題の一つだった。


だが自分で言って初めて、それを認識した彼女は両手で焼けるように熱い顔を隠した。


「他意は無くてですね! 何にも、そういう意味じゃないですから!」


「そこまで否定されると俺が傷つく」


「じゃ、じゃあ。勘違いしても、いいんですよ?」


口元を隠しながら、そっと手を差し伸べる莉音。


繋げとばかりに出されたそれを、カナタは手にとる。


「俺でいいのかなぁ」


「君がいいんです」


━━あの日、全てに絶望した私に「生きろ」と言った君だから












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