第2話 結婚という落とし前

人生にはターニングポイントと呼ばれる分岐点がある。


カナタ自身も何を言っているかよく分からない。

頭痛が痛い、もしくはお客様のカスタマーレベルで意味不明な言葉を口走っている自覚はある。


だが実際に存在する、確証も得ている。


飲み屋の席で「女房なんていなければなぁ……今頃はリムジン、いやベンツくらいは乗り回してたんだぜ」などと泣きじゃくっている中年男性を見たが、彼はどうなっただろうか。


風の噂で免停だとか聞いたが、頭頂部は濁りなく晴天でも家庭はどしゃ降りだそうだ。


他にも「結婚したらこうなるぜ、へへっ」と言った彼は公園とベンチに座って、虚な目で空を見上げていた。

手に持つアルミ缶は涙でいっぱいだった。


結婚なんてものに幻想はない。

ただ等しく突きつけられる現実の言う名の足枷と、明日へと続くローンの数々。


彼らの心休まる場所はどこにもなく、結果的にパチンコか競馬場に吸い込まれていくわけだが、


そんな人生の先駆者たちをハンカチを謹んで見送ってきた身として、恋愛はしても結婚だけはごめん被りたい。


ただ結婚すればそれは色々と楽しいイベントはあるだろう。


だがそれは後でいい。


まだ学生で、遊び足りない今のカナタに学生結婚は足枷にしかならない。


具体的にはゲームばっかしたい。


普通に高校生を満喫して、普通にそのまま流れていつの日か結婚すればいい。


(とは言っても…………どうすんのこれ)


目の前に見覚えのある少女たちがいて、名前まで言われれば面影がある。

それに冷静に思い出してみれば言ったかもしれない。


女の子など割とすぐに顔が変わるもので、小さい頃の記憶とは大分雰囲気も変わっていたから思い出せなかったが、名前を聞けば確かに会った記憶はある。


そして結婚の約束までとは行かずとも、それらしいセリフを口走った可能性はある。


(でも子供じゃん、そう言いたい年頃だろうが)


子供の頃の戯言だと切る捨ててくれればよかった。

そのうち記憶と共に風化して、いつの日か思い出せなくなっててくれてよかった。


なのに彼女たちはそれを律儀に守り続けて、忘れることなく抱えてきた。


その想い自体には、応えなければ人間そして、否、男として失格だ。


自身の発言に責任を持てないくらいなら、その喉元は掻っ切るべきだ。

一度吐いた言葉には責任がある。

故にカナタには、彼女たちの結婚に応える義務があるのだ。


「……いや、思い出した。思い出したよ。どんな形であれ、俺が言ったのならやらなくちゃ、示さなくちゃいけないことがあるな」


「ほんと、忘れてたなんて言ったらぶっ飛ばすところだったわよ」


今までの人違いでは? と言う態度から一変して発言の肯定を行ったカナタ。

その彼の姿にこのまま楽に進めるかも、などと思った次の瞬間、


「……腹を切って詫びる。5人は無理だ、選べない」


腕につけられていたはずの鉄製の手錠を引きちぎり、カナタは切腹と叫びながら手錠の破片を振り上げる。


「ちょっと何やってんのアンタぁあ! 早く誰か取り押さえて! この馬鹿死ぬ気よ!」


「落ち着けカナタ、どうどう。ひっひっふーだ」


椅子に座ったまま暴れるカナタを速攻で羽交締めした美夜は知ってる限りの落ち着かせをおこなうも、それらは基本的に人間用ではない。

人に適用するものでさえもそれは妊婦のものだ。


「離せぇえ! 5人とかどうすんだよ、分裂は無理だ! 4人を犠牲にするくらいなら俺が死んでドローにするしかねぇだろぉおお!」


「なんでアンタのライフ0になってんのよ! 普通はこの状況喜ぶとこ! こんなにかわいいアタシがいるだけでもお釣りもんでしょうが!」


「……そろそろボクも限界だ。放す前に誰か麻酔銃持ってきてくれ、できればサル用じゃなくて猛獣にも効きそうなやつを」


「わかりました! 今から手配します!」


「ふん……揃いも揃って子供みたいね、こーゆう時に一番良いのはおっぱいよ。おっぱいを押し付ければ万事解決。正気に戻って私を見つめ直す、そしてこのままゴールイン」


玲奈を押し退けて前に出たエレノアは胸部を突き出すように胸を張る。

だがその場所には、何もぶら下がってなどいないのに。


「ごめん………………なんか俺より現実見えてないやついるとさ……ほら……」


「なんなのよ! せっかく私が慰めてあげようって思ったのに」


グルグルパンチをお見舞いしようと走ってくるエレノアだが、そんな彼女の後ろから、


『時間です、利息がつきます』


無駄に甲高い音が聞こえた。


「……あぁ、ごめん。電話の音」


「本当に電話かそれ? もっとやべーやつじゃ……」


ケータイを耳に近づけて何度か相槌を打つ渚沙だったが、電話の向こう側で何が起こったのか耳を離した。


そして通話が繋がったままのケータイをカナタへと差し出す。


「……相手は分かるはず」


何の意図があるかは不明だが、差し出されたままにしておくのも忍びないと思ってケータイを手に取り、耳元へと近づけると、


『元気ぃ? バカ息子よ』


「全部お前の仕業かこの野郎ぉおおお!」


通話口の向こう側から聞こえる身に覚えがありすぎる声に思わず怒鳴り上げるカナタ。

それに周囲の少女たちは高速で指を耳に突っ込んで騒音を回避していた。


『でもさぁ、約束したのお前じゃん? 口走ったのはお前だろ? じゃあ未来の義娘になるって女の子を放っておくわけにはいかんだろ』


身内にとんでもない裏切り者がいたもんだ。


しかもド正論でぶん殴ってくるタイプの、一番タチの悪いやつだ。


「いやまぁ、そりゃそうだけど。ぐうの音も出ないけど……こうなると俺が切腹する以外に丸く収める手段ないんじゃ……」


5人全員幸せにします、なんて法律的にあり得るわけないのだから誰か一人を選ばなくてはいけない。


だがそれをすると他の四人が不幸になることになってしまい、そうなればカナタはクソ野郎になる。


既に五股してるのでクソ野郎の域を超えているが、何年も信じ続けた彼女達を裏切る行為は誰か一人を選ぶのと同じくらいやりづらい。


ただでさえ青春なんていう貴重な時期で遊び足りないのにも関わらず、許嫁なんて現れている時点で大分ややこしい。


発言によっては殺されても文句は言えない事態になっているカナタは、元凶の一人でもある父親にどうにか手段はないのか? と聞くが、


『……ん? すまん聞き取れんかった、もう一回言ってくれ』


通信が荒い。

所々が切れかけている上に、何やら後ろが騒がしい。

まるでテーマパークのような、


「おいお前今どこにいる」


『ハワイ、お前の嫁の父親が別荘くれてな』


「思いっきり買収されてんじゃねぇかぁあ!」


とんでもないことに加担していた父親に、これでは「親御さんが」の言い訳は通じない。


しかも相手側の親が完全に了承して、しかも徹底した後押しまでしている状況に逃れる術は無い。


『とにかく今あの子達に必要なのはお前の「結婚しよう」の一言だ。あとはまぁ婚姻届にサインしなくちゃいけないのと、お前の甲斐性くらいだが……そんなもん誤差だろ』


それを誤差と言ったらもはや地球上の大抵の物が誤差の範囲内で同一になる。

NASAもビックリもアバウトさだ。


ともあれ、今のカナタに要求されているのは婚姻届にサインする右腕だけ、つまるところそれ以外はどうでもいい。


だが一応温かい家庭を築くにあたって本人の意思は大事らしく、無理いじりされないのはおそらくそのためだろう。


いくらカナタが夢の高校生活だ! などとほざき、力ずくで逃げたとしても、埋められすぎた外堀では意味を成さない。


何がどう転んでも死ぬor結婚。


だが目の前の少女達は、おおよそ生きる上で絶対にお目にかかることのない美少女。


なおかつカナタのことを好いてくれているのだから、YESの返事をしたところでそこまで不幸にはならないかもしれない。


ただ5人全員というのが問題。


「やっぱり俺が切腹して誠意見せるしか……」


そう言って上着を脱ぎ、腹を切る準備に取り掛かるカナタだったが、


「それなんだけど……」


少女たちが口を挟んだ。


「カナタくんがくる前に、私たちも話し合ってあるをしたんですよ」


確かに言われてみれば、こんなところに一堂に会している時点で面識があるのは明らかだ。


なんなら全員許嫁となって話がややこしくなり、全員から包丁で刺される髭面危機一髪。

もしくは女たちのドロドロした殴り合い、バ○ュラーが見れてもおかしくない。


なのに彼女たちは喧嘩するどころか協力して彼を縛り付けている。


名前も知っているし、明らかに初対面ではない。


言われてみればそうだなと、自決を踏みとどまったカナタは少女たちへと視線を向けた。


「アタシは不服だけど、仕方ないからこんな茶番に付き合ってるだけよ」


「私は別にいいのよ。どうせ勝つって分かりきってる出来レースほど楽しいものはないもの」


「ボクはただ、ちゃんと手順を踏んだほうがいいかと思って」


「……既成事実だけ作ればいいのに」


各々が不穏な発言をするが、今のところカナタに情報開示は行われていない。


勝手に話がまとまりかけているが、できればうんとかすんとか言って欲しいと、ほとんど機能の停止している脳みそで考えるが、


「今から高校3年間、カナタくんには私たちと一つ屋根の下で一緒に暮らしてもらいます!」


「えっ? 待って聞いてない」


「それでアンタからプロポーズを受けたやつが正式に結婚、ダメだったやつは選ばれなかったって潔く諦めるって寸法よ」


「ちょっ……まって」


「ちゃんと惚れさせて他の女のことなんて考えられないようにした私が勝てるって話なのよ」


「まっ……」


「大丈夫だよ、Wi-Fiはある」


「…………」


「ボクがしっかり面倒見てあげるから、怖くはないぞ!」


『ああそれと、お前の部屋妹にあげたから家帰っても寝るとこ無いんで。しっかりそこで骨を埋めろよ』


「誰か助けてぇえええ!」


『てなわけで、お前の家は今日からそこだ。期限は高校卒業までの3年間、それまでにお前が誰にも惚れなかったら無事釈放、落とされて惚れたらお前の負けで潔くその相手と結婚しろ』


要するに【5人の美少女達から毎日迫られるアプローチに耐えきって見せろ】ということ。


そして負ければ、フリーダムな学園生活は消える。


絶対に惚れさせる美少女VS絶対に惚れない男子高校生の人生をかけた戦いが幕を開ける。


「…………………………帰りたい」


本人の意思を除いて、だ。

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