第4話

 とにかく後者の僕の部屋にあるというおまけを確かめるため、僕は急ぎ帰る。

 僕が高校進学のために、四月から住むこの街は、とかく坂道が多い。平坦な土地はとても貴重なもので家賃もバカ高く、金のない庶民は周りのまさに「山」に住むしかない。僕のアパートもその例に漏れない。まあ、医学部のキャンパスは平坦なところにあるからまだいいのだが。理学部のキャンパスなどは、バスに乗るか、バイクの免許を取らなければとてもではないが、通うことができない。学校に行くためだけに、登山するのはごめんだ。

 汗をかきかき、坂道を登る。高校、コンビニ、スーパー、…、どこへ行くのにもこの坂道を避けては通れない。ご高齢の貴婦人や紳士などは、バスやタクシーに乗り、若者である僕を悠々と追い越していく。体力もなく、体育祭や球技大会というものを心から憎んでいる僕であっても、ひとつだけこの立地に魅力を感じることがある。アパートの前まで着き、回れ右する。展望台などへ行かなくとも、街を一望できるのだ。それも山々に囲まれる高層ビルや建物などは、僕の手にすっぽりと収まってしまう。夜は夜景がきれいだし、朝方霧に包まれる街はとても幻想的だ。いつものように、来た道と遠くに見える景色を眺めながら、息を整える。しかし、すぐにこんなことをしている場合ではないと気付き、甲高い音を響かせ、アパートの二階へと向かう。

 部屋の中は蒸し暑く、西日が眩しい。玄関先から見る限りは何の変化もない。部屋の中へ入り、網戸にすべく、窓を開け放つ。夕方の涼しい風に一息つき、腰をおろすなり僕は絶句することになる。玄関からは死角になって見えなかったが、ベッドの上に壁を背につけ、小さな女の子が眠っている。

「鍵、かけてたよな…?」

 確かに鍵はかかっていた。それを今さっき、開けて入ってきた。窓も僕が帰るまでは、施錠されていた。オレンジ色の夕陽に照らされた女の子は眩しくないのだろうか、すやすやと気持ちよさそうに眠り続けている。女の子に近づき、とりあえずベッドに腰をおろす。くねくねの癖っ毛は汗で額やうなじにはりついている。おしろいを叩いたように、白くてきれいなおでこ。割とはっきりした眉毛に、濃いまつげ。頬ばかり紅くて、化粧した女性のようだ。誰かに、似ているような気がするが、誰だか思い出せない。

 そのとき、音がするくらいに勢いよく目が開き、僕を捉える。黒目がちなまんまるとした目だ。小さなピンクの唇が開く。

「お帰りなさい!」

「いや、いや、いや! 『お帰りなさい!』って?」

 女の子はきょとんとする。

「違う? おはよう?」

「そうじゃなくって、君の名前は?」

「せのん」

 せのん。どんな字を書くのだろうか。せ、世界史の「世」? の、「乃」とか? ん、「ん」なんて漢字は確か日本には存在しない。まあ、そんなことはどうでもいい。

「せのんちゃんはどうして、ここで寝ていたの?」

「せーや君が帰ってくるの待っていたの。でもね、眠くなって」

 そういうせのんはまだ眠そうだ。

「何で、僕の名前…」

「せのんが知らないわけないよ」

 せのんは誇らしげに言い切る。

「僕は君の名前、知らなかったけど…」


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