エピローグ 2つの革命

 21世紀初頭、多くの新興国で急激な経済成長が起きたと言われている。だがこの20年間のGDP成長についての公的な記録と、人工衛星から観測した夜間の光量に基づく推計値とを比較すると、面白いことが分かる。民主的な国家においては両者の差はほとんどない。だがインドのように部分的な権威主義国家だと、公表値では20年でGDPが210%ほど伸びているのに対し、推計値は170%ほどにとどまっている。より権威主義的な国家になると、ロシア(70%と45%)や中国(380%と175%)のように両者の格差は目に見えて大きくなる(01)。

 この分析を行った研究者は、多くの権威主義国家で成長率の公表数値は実態に比べて1.15倍から1.3倍過大に報告されていると見ている(02)。政府の出す統計数値に必ずしも信用できない例があること自体は誰もが知っていると思うが、ではなぜ権威主義国家はGDPを過大に発表しているのだろうか。それに一体何の意味があるのか。


 ここで思い出すのが、第1章で紹介した4つの軍事革命に関する議論だ。ターチンは4つの軍事革命を調べるうえで、その時点で最大の面積を持つ3つの帝国の領土サイズをメルクマールとした。軍事技術の急速な発展に伴って軍事革命が生じると領土面積が急拡大する。だが革命に伴う変革が一通り行きわたると、その後は長期にわたって領土サイズが横ばいになる。この傾向は基本的に4つの軍事革命(青銅器、チャリオット、鉄器・騎兵、火薬)に共通しているのだが、1つだけ例外がある。今現在だ。

 火薬革命を経て面積1000万平方キロを超える大帝国がいくつも生まれたことは既に述べた。ところがそうした大帝国の多くは植民地の独立を経て20世紀以降に領土面積を急激に減らした。今では、鉄器・騎兵時代に存在した最大の帝国サイズ(300万平方キロ超)を基準にしても、それを上回る国は7ヶ国しかなく、しかもその中には中国やロシア、ブラジル、インドなど、1人あたりGDPでトップ50にも入らないような国家がいくつも並んでいる(03)。要するに国力を評価するうえで、もう面積はメルクマールになっていないのだ。代わりにその地位に上ったのがGDP、つまり経済力である。

 ターチンは元々社会の複雑さを示す様々な指標の1つとして政治体の領土サイズを取り上げていた。農業を基盤とした社会であれば、この方法にも一理あったのだろう。面積が大きい方が全体的に収穫量も多い、という傾向が成り立つ社会なら、領土サイズは国力とある程度比例する。しかし産業革命によって生まれた、化石燃料をエネルギー源とした産業社会において、面積の持つ価値は相対的に大きく低下した。今ではGDPのような抽象的数字の方が、国力とそれを支える社会の複雑さを示すうえでずっと使い勝手のいいデータになっている(04)。

 権威主義国家がGDPを過大に公表したがる理由がここから推測できる。彼らは自分たちを実力より強く見せることにこだわっているのだ。それが国内事情のためか、外国を威圧するためかはケースバイケースで異なるだろうが、兵士の数を過大に見せてはったりをかますのは昔から使われていた手段だ(05)。おまけに領土サイズと異なりGDPは抽象的な数字であるため、権威主義的な政府にとっては操作しやすい。他にも経済の開放的な国はあまりGDPを操作しないが、分権的な国では操作が増え、また政治的な開放度の高い国でもGDPを過大報告している国では操作が増えるという研究もある(06)。

 社会の複雑度、そして国家の成功度を示す指標が領土面積からGDPに変わったとはいえ、変わらないものもある。過去に中国や火薬帝国が陥った「成功の罠」の存在だ(第16章)。特に古くから帝国が存在しているユーラシア中核では、しばしば帝国内の安定確保のためか権威主義的で多様性を認めない体制が作られる伝統があるように見える。体制が環境に合っている間はそれでも上手くいくが、環境が変化した場合、それに合わせて変わるための要素が体制内に残されていないため、適応力には乏しい(07)。

 革命の時代は変化の激しい時代だ。グループ内の安定を最重要視する権威主義体制は、変化の乏しい農業社会においては適応的だったかもしれないが、急速に変わる産業社会ではむしろ体制内での競争を認める多元的な自由主義体制の方がより適応的なのだろう(08)。GDPの操作は外見的な適応力の短期的ごまかしにはなるかもしれないが、長期的には実際の国力こそが物を言うわけで、張りぼての国力では本当に戦争になったときに化けの皮が剥がれるだけである。


 領土サイズではなくGDPを重要な指標へと変えたのは産業革命だが、この事実は新たに別の問題も提起する。18-19世紀に起きた産業革命は、火薬革命とは別の形で社会を大きく変えた(09)。いやそれどころか、実のところ19世紀に火薬兵器技術を大きく進歩させた(第18章)のも、産業革命によってもたらされた生産技術の革新だ(10)。2つの革命はどちらも社会や国家を変貌させる要因になったのだが、では産業革命が火薬革命の移行期がほぼ終わったタイミングで起きたことにはどのような意味があるのだろうか。

 両者の関係については色々なパターンが考えられる。まず、先行する火薬革命が何らかの原因となり、その結果として産業革命が生じた可能性だ(11)。例えばあるワーキングペーパーでは、様々な国の鉄道輸送やエネルギー消費といったデータを使い、権威主義的国家の方が工業化が進みやすいことを指摘。その際には国家が重要な役割を果たしていると記している(12)。火薬革命によって国家機能が高まったからこそ工業化が進んだと解釈できそうな研究だが、使ったデータは古いものでも19世紀初頭以降であり、つまり最初に産業革命を成し遂げた英国の場合にも同じく国家が重要な役割を果たしたかどうかは不明だ。

 だがその英国に関しても実は戦争が産業革命を促したとの説がある。例えば18世紀には英国が行ったいくつもの戦争をきっかけに英国内で特許の数が増えており、戦争に伴って軍事技術への需要や価値の高い技術の発展が進んだ結果として産業革命が促されたという考えがある(13)。銃の製造は金属加工のハブとなる技術であり、それを手掛けたバーミンガムの銃製造業者たちはジェームズ・ワットやヘンリー・コートといった当時のイノベーション関係者とつながりを持ち、技術革新を進めたと主張する向きもある(14)。

 1800年頃の英海軍の固定資本は、243ヶ所の織物工場を抱えるウエスト・ランディングの5倍に上るなど、当時の戦争ビジネスは他のビジネスを圧倒していたようで(15)、マネジメントなどでも民間より軍が先行していたとの主張がある。また海上における英国の優勢が英国からの輸出増や輸送・保険といったサービスの独占的提供につながった(16)、あるいは海軍の強化が艦船建造という需要を生み出したほか、帆布や鉄・銅などの加工業者に対する政府の補助金もあって産業育成が進んだ(17)、といった見方もある(18)。

 さらには軍事革命が生み出した財政=軍事国家が、戦争を通じて新たな市場を切り開いた効果が大きいという研究も存在する(19)。産業革命を進めるためには大量生産を行う新技術へ多くの企業が投資する必要があるが、実際に大量の需要がなければそうした投資は無駄になる。従って国家単位で市場が分断されていた時代には新技術への投資も進まない。しかし税収を有効に活用できる官僚組織や敵対勢力相手に勝てるだけの軍事力といったものが備わった財政=軍事国家であれば(20)、植民地という形で新たな市場を開拓することで国内企業に新技術への投資を促すのが可能になる、という理屈だ。

 実際、産業革命の時期に英国が商業と植民地、海上の利益の源泉を手に入れたと指摘する同時代人もいた(21)。交易や商業に伴う利益は軍事力がなければ手に入らないという観念をこの時代の人々が持っていたのは事実だろう。特に騎兵革命を通じて帝国ベルトに数多くの巨大帝国が生まれていた(第1章)ことは、そうした帝国を植民地化することで巨大な市場を手に入れられるという条件を財政=軍事国家にもたらしていた。英国によるインド支配と、それに伴うインドでの工業化レベル低下は、この仮説を裏付ける1つの論拠となる。

 ただしこの説では、市場を拡大するうえでの軍事力の有効性は19世紀に入ると低下したと見ている(22)。その意味では軍事革命が産業革命につながる効果は期間限定的だったのかもしれない。もちろんそうではなく、2つの革命には何の因果関係もなく、たまたま似たタイミングで重なって生じただけとも考えられる。あるいは一方が他方の原因ではなく、その背景に1つの共通原因があってそこから時間差を置いて火薬革命と産業革命が順番に発生したのかもしれない。

 そもそも産業革命の原因についてさえ百家争鳴の状態(23)。火薬革命の位置づけを語るこの文章内で踏み込むには大きすぎるテーマだ。ただ、農業社会から産業社会に代わったことで、特に技術革新のペースが大幅に上がったのは間違いないだろう。農業社会なら1度起きた軍事革命の影響は1000年以上続いた。だが農業社会から産業社会に移行した今、火薬革命の影響がどこまで続くかは、おそらく誰にも見通せない。


 でも足元ではまだそうした変化は見えない。それはウクライナ戦争に従軍したロシア兵の残した記録から分かる。パーヴェル・フィラティエフは志願兵として空挺部隊に加わった。彼は銃を撃つ訓練を受け、攻撃の朝には火薬のにおいをかぎ、侵攻後は何度も塹壕を掘り、砲撃を受け、そしていくつもの村が火器によって灰燼に帰すのを見た。うんざりした彼は負傷を機に後方へ戻り、ブログに不満をぶちまけ、国外に亡命することになった(24)。彼が経験した戦争は、どう見ても火薬革命がもたらしたものだ。火縄銃も、青銅製の大砲も、黒色火薬すら戦場から姿を消してしまっているが、それでも彼が味わった戦争はまさに火薬の戦争だった。

 我々は今も火薬の時代を生きている。



01 A study of lights at night suggests dictators lie about economic growth: https://www.economist.com/graphic-detail/2022/09/29/a-study-of-lights-at-night-suggests-dictators-lie-about-economic-growth(2022年11月3日確認)

02 Luis R. Martinez, How Much Should We Trust the Dictator’s GDP Estimates? (2018), pp32

03 世界銀行、1人あたりGDP(購買力平価): https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.PP.CD(2022年11月3日確認)

04 産業社会の複雑さを示す際にはGDP以外にも、例えば1人あたりエネルギー消費なども使えるかもしれない; Blair Fix, Why America Won’t Be ‘Great’ Again (2020): https://economicsfromthetopdown.com/2020/07/11/why-america-wont-be-great-again/(2022年11月3日確認)

05 クセノフォンの時代から兵の数を敵に対して誤魔化す方法が論じられている; Xenophon, On the Cavalry Commander, Chapter 5

06 Bruno S. Frey et al., When Do Governments Manipulate Official Statistics? An Empirical Analysis (2022)

07 古い環境への過剰適応が変化した後の環境下での失敗につながるという研究もある; 戸部良一ら, 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (1984)

08 得意な事業分野において過剰適応になるのを避け、組織内に変化への対応力を持たせる必要があるという主張は、経営学の世界でも見られる; チャールズ・A・オライリー, マイケル・L・タッシュマン, 両利きの経営 (2019)

09 パーカーは産業革命より軍事革命の方が重要だと見ており、世界の陸地面積の7%を占める欧州が1800年時点で35%を、1914年に84%をコントロールしていたことについて、後半の拡大は核心的な問題ではないと主張している; John F. Guilmartin jr., The Military Revolution: Origins and First Tests Abroad (1995), pp299

10 Williamson Murray and MacGregor Knox, Thinking about revolutions in warfare (2001), pp9-10

11 例えばホフマンは18世紀半ばの欧州においては平和な時期でも軍事関連の支払額がGDPの3-7%に達していたと指摘。軍事産業を通じた経済発展の多くは戦争による被害で相殺されたが、英国のように陸上での被害がなかった国では18世紀に軍事産業からの波及効果で経済成長が生じたのではないかと推測している。また他の西欧諸国がナポレオン戦争後の19世紀に産業革命を迎えたのも、戦争に振り向けられていた才能やインセンティブが民間事業に振り向けられたことが要因だとも記している; Hoffman (2011), pp56-57

12 John Gerring et al., Regimes and Industrialization (2020)

13 Stephen D. Billington, “War, What Is It Good For?” The Industrial Revolution! (2018)

14 Satia (2018), pp154-158

15 Scheidel (2019), pp383

16 Patrick O’Brien, The Contributions of Warfare with Revolutionary and Napoleonic France to the Consolidation and Progress of the British Industrial Revolution (2017)

17 Sok (2015); Nicholas Kyriazis, Seapower and Socioeconomic Change (2006)

18 ただし英国での産業革命期における工業生産額の比率を見ると織物の比率が圧倒的に高く、金属加工など軍需に直結しそうな産業の比率は低いとの指摘もある; Judy Stephenson, Empires guns and economic growth: thoughts on the implications of Satia’s work for economic history (2019), Table 1

19 Jordan Roulleau-Pasdeloup, What Made Great Britain so Great? From the Fiscal-Military State to the First Industrial Revolution (2016)

20 昔ながらの帝国である中国と、財政=軍事国家にシフトしていた英国、フランスとの1人当たり課税額とを比較すると、特に産業革命期には大きな差がついており、後者の方がより効果的な政府を作り上げていた様子がわかる; Hoffman, Why Was It Europeans Who Conquered the World? (2012), Table 3

21 Antoine Henri Jomini, Histoire Critique et Militaire des Guerres de la Révolution Tome Premier (1820), pp36

22 Roulleau-Pasdeloup (2016), pp11

23 最近では以下の書物などが産業革命の原因について論じている; ポメランツ (2015); グレゴリー・クラーク, 10万年の世界経済史 (2009); R.C.アレン, 世界史のなかの産業革命 (2017)。他にも以下参照; Joel Mokyr, The Gifts of Athena: Historical Origins of the Knowledge Economy (2002); Robert C. Allen, The British Industrial Revolution in Global Perspective (2014); North and Barry R. Weingast, Constitutions and Commitment: The Evolution of Institutions Governing Public Choice in Seventeenth-Century England (1989); Daron Acemoglu, Simon Johnson and James Robinson, The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change, and Economic Growth (2005)

24 ZOV.pdf Machine Translation to English; https://czmyt.substack.com/p/zovpdf-machine-translation-to-english(2022年11月3日確認)

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