第3章 焼夷兵器

 「身に力の有し程は山にのぼって、硫黄といふ物をほり、九国[九州]よりかよふ商人にあひ、食物にかへなどせしかども」(01)


 平家物語の足摺は、鬼界ヶ島に残される俊寛の悲哀を描いた有名な物語である。彼が流された鬼界ヶ島は「島の中にはたかき山あり。とこしなへに火燃、硫黄と云物満みてり。かるが故にこそ硫黄が島とは名付けたれ」(02)という人里離れた火山島であり、ろくに食料も手に入らないような場所だった。そこで彼は生き残るため、硫黄を集めて九州から来た商人たちに売り払っていたという。

 なぜ平家物語の舞台となった12世紀に、硫黄が売り物として食糧と交換できるだけの価値を持っていたのか。理由はおそらく1つ。火薬需要だ。プロローグで述べたように10世紀後半に火薬兵器を発明した宋では、火薬作成のための硫黄の需要が急増していた。だが北宋の領土内には目立った火山がなかったため、彼らはそれを海外に求めた。ジャワ島などと並び、日本では薩摩硫黄島(平家物語の鬼界ヶ島)が大きな供給源になっていた可能性がある。

 火薬兵器が発明された後の988年から1145年までの間に、日本から中国への硫黄輸出について記した記録は7件ある(03)。特に1084年には北宋政府が300トンの硫黄大量買い付けを決定し、その翌年に多くの商人が大宰府を訪れている。直前に北宋は西夏との戦争を行なっており、軍に「火砲箭百万有余」を配備したという記録もあるそうで(04)その際に消費した火薬を補充する必要があったのだろう。俊寛は遠く大陸の戦争のおかげで食いつなげた、のかもしれない。


 ただこの時代の火薬兵器を、後の銃や大砲、爆弾と同じものだと想像するとおそらく間違える。プロローグで紹介したのが「火矢」であったことから分かる通り、火薬はその爆発を利用するのではなく、あくまで放火を目的とした焼夷兵器として生まれ、使われていた。

 この点は馮継昇に続くように火薬兵器の開発に貢献した者たちの実績を見ても分かる。まず1000年には神衛水軍隊長の唐福が火箭、火球、火蒺藜(05)を宮廷に献じ、褒美として銭をもらっている(06)。さらに1002年には石普が火毬と火箭を上手く作成できると訴え、重臣たちが見守るなかでこれらの兵器のテストが行われた(07)。いずれも火矢のような焼夷兵器が含まれているが、ニーダムは、わざわざテストを行い褒美を与えていたのだからこれらは火薬兵器であっただろうと推測している(08)。

 こうした一連の開発を通じ北宋初期に出そろった火薬兵器について、まとめて掲載しているのが『武経総要』だ。1044年に成立したとされる同書の中でも特に重要なのは、火薬の製法そのものが書かれている部分(09)。例えば火薬法についての記述を見ると、硫黄や焔硝(硝石)の他に、乾燥した漆、蝋、種油、桐油、松脂といった色々な炭素系可燃物、さらには鉛の化合物などを材料に作ると書かれている。可燃物としては主に油を使っており、木炭は含まれていない。また後に紹介する蒺藜火毬のところにも別途火薬法が書かれており、そこでは硫黄、焔硝の他、乾燥漆や桐油、蝋などに加え、上の火薬法には載っていなかった粗い炭や瀝青といったものも素材として加わっている。

 いずれも後の黒色火薬のシンプルさに比べるとややこしい製造法になっており、いかにも開発初期の技術といった風情ではあるが、黒色火薬に必要な硝石、硫黄、炭素系可燃物は揃っており、火薬としての機能を果たしていたことは確認できる。さらに毒薬煙毬というシュールな名前の兵器もある。こちらは硫黄、焔硝や各種可燃物の他に、トリカブト、狼毒、ハズ、ヒソといった毒物を混ぜて作るもので、その煙に巻き込まれれば口や鼻から血を出すそうだ(10)。

 『武経総要』に載っている火薬兵器とされているものには上記の他に煙毬、鞭箭、蒺藜火毬、鉄嘴火鷂、竹火鷂、猛火油、霹靂火毬、弓弩、火箭(11)などがあり、火薬は使っていないが火を使った兵器としては金火缶法、飛炬、燕尾炬、引火毬といったものが登場する。唐福が開発した火球や火蒺藜、石普が作った火毬といった兵器はこれら『武経総要』に出てくる兵器類と似た名前を持っており、彼らが開発した兵器(もしくはそれに似たもの)が同書に採録されたと見て間違いないだろう。

 特に重要なのは、投石機を使って投じる火薬兵器と、火矢だ。前者に相当するとはっきり書かれているのは毬の中に火薬を入れた煙毬と、束ねた草や竹の中に火薬を仕込んだ鉄嘴火鷂、竹火鷂あたりだが、そもそも火薬法で製造された火薬自体が砲で投じるとあるので、蒺藜火毬、霹靂火毬あたりも投石機で投げたと考えて問題はなさそう。蒺藜火毬は丸めた火薬の中に鉄製のまきびしを入れたもので、点火して投じれば炎と一緒に熱したまきびしをばら撒く。霹靂火毬は竹の節を火薬で包んだ兵器で、点火すると加熱された節の中の空気が膨張して竹が割れ、大きな音を出す。またうちわであおげば坑道内の敵を燻しだすこともできる。

 火薬を使っていない兵器でも投石機を使って投げることを想定したものは多い。熱して液体状になった金属を入れた容器を使う金火缶法や、飛距離を測る目印として使われる引火毬については、はっきり投石機で投げると書いているし、油を注いだ植物などで作られる飛炬、燕尾炬についても投石機を使用した可能性はある(12)。火は使わないが糞砲缶法も毒物を容器に入れて投石機で放る。また鞭箭は、たわめた青竹を使って火藥箭を飛ばすというものであり、弓や弩とは異なる方法で矢を放つ兵器だ。

 要するに大半の火薬兵器やそれ以外の火を使う兵器は、予め点火した兵器を何らかの方法で敵に向かって投擲するという使い方を想定している。例外は点火剤として火薬を使う猛火油くらい。まさに焼夷兵器なのだが、それには大きな理由があった。当時の火薬の製法を使って現代の研究者が実験したところ、筒の中(銃や大砲)や密閉容器内(爆弾)に入れた状態では酸欠になって十分に燃焼できなかったのだ。おまけに点火するのがかなり難しく、熱く熱した鉄の錐を火薬に挿し込むことでようやく点火できたという(13)。現代の我々が思い浮かべる「火薬」とはかなり性質の異なる兵器であったと考えるべきだろう。


 また、この後も中国での火薬技術発展にマイナスの影響を及ぼす出来事が、早くも北宋の時代から発生していた。「平和」だ。ターチンは他の政治体との生き残り競争が軍事技術の発展と社会の複雑化をもたらしたと解釈していたが、国家間の平和が保たれ、競争がほとんどない状態だと、この効果は一気に薄れる。

 アンドラーデは北宋から南宋にかけての時代を「宋戦国時代」と呼び、統一帝国による平和がデフォルト状態の中国では珍しく戦争が続いていた時代だったと指摘。それが火薬兵器の発展をもたらしたのだと推測している(14)。確かに大帝国が中華一帯からその周辺まで幅広く支配し全体に平和が行きわたっている時代に比べれば、北宋から南宋にかけての時代に戦乱が多かったのは確かだろう。だがその時代においても、例えば北宋と遼の間では100年以上にわたって平和な状態が続いたし、北宋と西夏の間では5回の戦争が行われたが、戦争期間が長くて6年だったのに対し、その間の平和な時期は十数年から長いと30年以上続いていた。

 中国の平和とよく対比されるのは欧州の戦乱だ。アンドラーデは自著の中で、欧州は常に高い頻度で戦争を行なっていたのに対し、中国は特に強力な統一王朝ができた時には戦争の頻度が大きく低下したと指摘している(15)。火薬技術が歴史を変える有効な軍事技術に育った場所が、その生まれ故郷たる中国ではなく西欧だった大きな理由はここにある。研究者の中には、ローマ以降、統一王朝の呪縛から解放されたことが、西欧が最終的に覇権を握った大きな要因だとの主張もあるほどだ(16)。

 とはいえこの火薬が焼夷兵器だった時代、中国以外に火薬の存在を知る地域はなかった。これには北宋の政策も関係している。彼らは火薬について秘匿し、外国に情報が漏れないようかなりの注意を払っていた(17)。もちろん完全に秘密にし続けることは無理だったとしても、彼らが華北地域を奪われるまで火薬技術をほぼ独占していたことはおそらく事実。逆に言えば、彼らが発展させない限り、この時点で火薬技術が進歩する可能性はなかったと見ていいだろう。


 そんな彼らが再び火薬技術を大きく進化させるきっかけが12世紀前半に起きた。それは北宋の滅亡という、王朝にとっては不運な出来事だった。



01 平家物語巻3

02 平家物語巻2

03 山内晋次, 日本史とアジア史の一接点 (2011), pp201-202

04 続資治通鑑長編巻342

05 唐福の献上した武器については火箭火毬火鎗だとしている文献もある; 群書考索後集巻43。Stephen G. HawはThe Mongol Empire — the first 'gunpowder empire'? (2013) の中で、この史料を論拠に10世紀に火槍が存在したと主張している(pp444)が、群書考索は12世紀に成立した書物であり、やはり10世紀に遡る論拠とするには弱い

06 宋史巻197

07 玉海巻150

08 Needham (1986), pp149

09 武経総要前集巻11, 12

10 ニーダムはこれらの製法から11世紀時点の火薬における硝石や硫黄、炭素系可燃物の比率を算出しており、それによると硝石比率は低いと27.0%、高くても61.5%と、理想的とされる75%に比べ低い水準にとどまっていた; Needham (1986), pp120-124

11 煙毬は武経総要前集巻11、弓弩、火箭は巻13で、残りは巻12

12 岡田 (1981), pp55

13 Andrade (2016), pp30-31

14 Andrade (2016), pp24-28

15 Andrade (2016), pp312-315

16 Walter Scheidel, Escape from Rome (2019)

17 宋史巻165; 塵史巻上

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