第2章 道士の夢

 若く貧しい主人公が仙人と出会い、最初は富貴を、次に自らも仙人になることを望む。ならば何があっても声を出してはならぬと仙人に言われた若者は、数多くの苦難に遭遇しながらも決して声を出さなかったのだが……。


 芥川龍之介の小説『杜子春』は、日本では広く知られている。その元ネタが中国唐代の伝奇小説(01)であることも、それなりに有名かもしれない。だがその話の源流がさらにインドに遡る(02)ことを知る人はおそらくそう多くはない。さらにこの唐代の小説中に火薬が登場しているかもしれない、という説に至っては、おそらく専門家を含めた少数の者しか聞いたことがないだろう。

 中国技術史の研究で知られるジョゼフ・ニーダムは、小説中にある「見其紫焔穿屋上」という記述について、「これは爆発的に燃焼する組成についての記述に見える。おそらく道士は硝石、硫黄及び何らかの炭素系可燃物を混ぜたのだろう」(03)と指摘している。硝石(硝酸カリウム)と硫黄、そして炭素(木炭)は、よく知られている通り黒色火薬を構成する3つの素材だ(04)。伝えられるように杜子春の話が唐代に成立していたのなら、その時代に既に火薬があったことを示すのではないか、というのがニーダムの考えである。

 だがさすがにフィクション内で「紫色の炎」が上がっただけで火薬の証拠と見なすのは無理がある。火薬革命の「前史」を語る前に、そもそも黒色火薬がいつ発明されたのかを確認しておこう。


 火薬という言葉に「薬」という文字が含まれていることからも明らかだが、火薬が生まれるまでの歴史には不老不死や若返りなどの薬を求める道士たちの努力があったと考えられている。実際、火薬の起源を探す研究者が注目する文献の中には道教絡みのものが多い(05)。また火薬を構成する個々の素材についても、医学や薬に関する中国の古い文献内にしばしば登場する(06)。

 もっとも、例えば硝石という文字が出てきた時点で火薬の材料を中国人が見つけていたと判断するのはいささか軽率だろう。ニーダムは火薬の原料である硝酸カリウムについて、「中国では決して欧州のように炭酸ナトリウムと混同されることはなかったが、硝酸ナトリウムや硝酸マグネシウムとは混同されていた」(07)と指摘。実際に硝酸カリウムについての知識を中国人が持ったのは紀元3世紀頃ではないかとしている(08)。硫黄に関して言及する中国の文献が登場するのも同時期だ(09)。

 この2つの素材と、火を使い始めたホモ・エレクトゥスの時代(10)からヒトが親しんできた炭素系可燃物を最初に混ぜ合わせた記録としては、4世紀のものがある(11)。ただしその使い道は「練り合わせて服用する」というものであり、その効能は「長生きでき、百病を除き、傷痕を消して、白髪が黒くなる」といった内容。あくまで内服薬として使われたのであり、兵器へと発展するようなものではなかった。

 さらに火薬の誕生を探るうえで厄介なのは、この手の道教文献が書かれた年代がはっきりしない点にある。例えばニーダムが取り上げているのが(12)、唐初期の医者・道士である孫思邈が筆者に擬せられることもある文献(13)。ただしこの文献は明代に編纂された『正統道蔵』に収録されているものであり、本当に唐代に書かれたものとは認めがたいとの意見がある(14)。

 中国の軍事史を研究しているトニオ・アンドラーデは、808年という記載のある文献(15)を基に、9世紀前半に火薬が発見されたとの見方を示している(16)。だがこの文献に書かれている干支を見ると、実は808年にはあり得ない日干支が記されているうえに、文献全体として11世紀に成立した書物(17)からの引用が多く、成立年代には疑問が呈されている(18)。そしてこの文献もまた『正統道蔵』に収録されているものだ。

 色々な可能性を示しながら、ニーダムが最終的に一番信頼できるのではないかと見ている文献は『真元妙道要略』である(19)。「硫黄、雄黄を以て硝石並びに蜜と合し、これを焼けば焔起き、手、面を焼き、及び屋舎を焼き尽くすものあり」(20)と書かれている通り、火薬の持つ爆燃性をはっきりと記した文章だ。問題はこちらも『正統道蔵』に収録されていることで、成立年代ははっきりしない。

 ただヒントはある。同書の注釈部分に10世紀前半に活躍した煙蘿子という人物の名が出てくるのだ。加えて同書の著者とされている鄭思遠は、唐末から五代の時期に生きていた人物だとの指摘もある(21)。これらを踏まえるのなら『真元妙道要略』が成立したのは早くても10世紀前半となる。北宋の官人たちが火薬を武器としてテストした少し前の時期だ。

 だがニーダムはそう考えていない。彼は、煙蘿子について言及された部分は後から挿入されたものだと指摘。『真元妙道要略』自体はもっと前の850年頃、9世紀半ばに成立したと主張している(22)。彼が論拠として持ち出しているのは、10世紀前半に火薬兵器が使われた記録があるという主張。同じようにアンドラーデも10世紀前半の別の事例を基に、9世紀のうちに火薬が発明されたとしている。

 ニーダム説の肝となっているのはギリシャ火だ。7世紀に生まれたと見られるギリシャ火は(23)、実はその後、アラビアからインド洋を経て中国まで伝わっていた。その証拠に、917年に遼の君主に献上された猛火油(24)や、919年に狼山江の戦いで使われた火油(25)について記録が残されている。そして火薬史の上でも重要な11世紀の書物『武経総要』に出てくる猛火油櫃(26)という中国版ギリシャ火の説明文には、点火剤として火薬が使われていると書かれている。猛火油櫃で火薬が使われていたのだから、その前に出てきた猛火油や火油でも火薬が使われていたに違いない、というのがニーダムの考えである(27)。

 だがこれはいささか妙な理屈だ。第一に、オリジナルのギリシャ火は点火する際に火薬を必要としなかった。中国で点火用に火薬を使ったのが事実だとしても、それは中国側が利便性を高めるために後から付け加えた機能だと考える方が妥当だろう(28)。アラビア経由で伝わった当初の時点では、別に火薬を使っていなかったと考えるのが普通。それにそもそも10世紀初頭の兵器について11世紀の文献を証拠に論じることが可能なら、20世紀の記録を根拠に19世紀の文献中に出てくるタンクという文字は戦車を示している、という主張だってできてしまう。

 アンドラーデの説も同様の問題を抱えている。彼は904年に行なわれた戦闘に出てくる飛火という兵器(29)が火薬を使ったものだと主張し、その論拠としてやはり11世紀の文献に出てくる「飛火は火炮火箭の類」(30)という文言を紹介しているのだが、この議論の展開方法はニーダムと同じ。おまけに飛火という兵器はアンドラーデ自身もまだ火薬が生まれていたとは考えていない8世紀後半に書かれた書物の中に「火箭飛火を防ぐ」(31)という形で登場している。飛火という字面だけでこの兵器が火薬を使ったものと判断するのは、いささか無理がある。

 ニーダムは著名な学者であり、彼が唱えた火薬の誕生時期を9世紀とする説は通説として扱われることが多い。だが史料を慎重に見るのなら、火薬の誕生は遅くて10世紀前半、としておいた方が安全だ。つまり騎兵革命が始まって1800年超が経過したタイミングで。その時代を終わらせる新たな技術が密かに産声を上げたことになる。


 道士たちが若返りや不老不死を求めて探求した素材は、彼らの顔や手を焼いて家を炎上させた。やがてその炎はさらに広がり、最後は時代そのものを灰燼に帰せしめた。だが一本調子でそうなったわけではない。初期の火薬は我々が思い描くものとは随分と違う存在だった。



01 掲載されている太平広記巻16は北宋時代の書物だが、文末に唐代の李復言が記した続玄怪録から引用したとある

02 大唐西域記巻7に、玄奘がインドのべレナスで集めた大元の逸話が載っている

03 Needham (1986), pp113

04 岡田登, 本草硝石より黒色火薬への発展(1978), pp45

05 一例が明代に編纂された正統道蔵

06 例えば馬王堆漢墓から出土した先秦時代の五十二病方に、消石という文字がある

07 Needham (1986), pp96

08 神農本草経上経に消石についての説明があり、その注釈本である本草経集注には「強燒之紫青煙起」と書かれている、ニーダムはこれがカリウムの燃焼を示すものだと推測している; Needham (1986), pp97

09 神農本草経中経; 呉普本草玉石類

10 ジェレミー・デシルヴァ, 直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足 (2022)

11 抱朴子内編巻11仙薬編。ここでは炭素系可燃物に相当するのは松脂

12 Needham (1986), pp116

13 諸家神品丹法巻5伏火硫黄法

14 小曽戸洋,火薬の発明と中国伝統医薬学 (2001), pp183

15 鉛汞甲庚至寶集成巻2太上聖祖金丹秘訣

16 Andrade (2016), pp325。ただし彼は808年ではなく804年と記している

17 證類本草

18 王家葵, 《鉛汞甲庚至寶集成》纂著年代考 (2000); Zhen Fan, The Tripods in Daoist Alchemy: Uncovering a Material Source of Immortality (2022)

19 Needham (1986), pp111

20 小曽戸洋 (2001), pp183

21 中華道教大辞典 (1995), pp103

22 Needham (1986), pp112

23 Partington (1960), pp12

24 遼史巻71

25 呉越略史巻3

26 武経総要前集12

27 Needham (1986), pp81-82

28 「黒色火薬を用いることが必要であるのか否かも疑問の残るところである」と指摘している研究者もいる; 岡田登, 中国、宋代における火器と火薬兵器 (1981), pp56

29 九国志巻2

30 虎鈐経巻6

31 通典兵5

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