第1部 終わり

第1章 第3の軍事革命

 「だがパルティア軍[の弓騎兵]は互いに長い隙間を空け、あらゆる方面から即座に矢を放ち始めた。狙いは正確ではなかったが、矢玉を大きな力で放つことができる大きく力強い湾曲した弓からの激しく強力な射撃が行われた」(01)


 紀元前53年、三頭政治の一翼を担っていたローマのクラッススが行ったパルティア遠征は散々な失敗に終わった。カルラエ付近でパルティア軍1万騎強と遭遇したローマ軍は、5万人前後の兵力を抱えていたにもかかわらず、遠間から絶え間なく矢を射かけてくるパルティアの弓騎兵によって一方的に損害を受け、状況を打開しようと突撃した右翼部隊は敵に誘い込まれて壊滅した(02)。指揮官のクラッススはこの戦いの後に殺害され、第1回の三頭政治はここに終わりを告げた。

 パルティア人の弓騎兵といえば、よく知られているのがパルティアン・ショットと呼ばれる馬上で振り向きざまに矢を放つ動作だ。大英博物館に飾られている「エフタルの銀鉢」と呼ばれる銀器には、まさにこの姿勢を取っている弓騎兵の姿が刻まれている。それ以外にもユーラシア各地には弓騎兵の姿を描いた物が多数存在しており、古くは紀元前第1千年紀の前半、新アッシリア時代のレリーフにまで遡ることができる(03)。

 ユーラシア東部でも弓騎兵の存在は歴史に大きな足跡を残している。有名な「胡服騎射」の逸話では、中国戦国時代の趙武霊王が蛮族の服装を着て馬に乗りながら弓を射る方法を百姓に教えたと伝えられている(04)。自分たちの伝統に逆らってでも弓騎兵を育成することがメリットになっていたわけで、つまり弓騎兵という軍事技術は中国の文化を変えるほどのインパクトを持っていたのだ。


 火薬以前にも社会や政治を変えた軍事技術が存在したのではないか、という議論は以前から存在していた。例えば鉄器の発明が古代の軍事革命をもたらしたという説(05)や、戦車(チャリオット)の存在が軍事革命を生み出したという主張(06)がその例。軍事技術が社会を変える現象を「軍事革命」と呼ぶのであれば(07)、火薬以外にも革命をもたらす技術があったと考えても不思議はない。

 そして実際にそうしたいくつかの革命の存在を統計的に立証しようと試みたのがピーター・ターチン。歴史データバンクSeshatを立ち上げた彼は、統計分析を通じ、国家が成立した時期から産業革命後の時代に至るまでに4つの軍事革命があったと主張している(08)。即ち、青銅器革命、チャリオット革命、鉄器・騎兵革命、そして火薬革命だ。

 ターチンは時代ごとに領土の大きな国家トップ3の平均面積を求め、それを対数グラフにまとめた。見ると短期間で急激に面積が拡大する時期と、それに続く長期にわたって面積が横ばいになっている時期が交互に来ているのが分かる。さらに彼はパーカーやロバーツの説を紹介しながら、規模の急拡大期は軍事革命によってもたらされていると指摘。火薬革命よりも昔に、かつて「騎兵革命」があり、特に弓騎兵は古代世界における「大量破壊兵器」だったとの見方を示している。この時代区分に従うなら、火薬兵器を発明した北宋の官人たちは3番目の「鉄器・騎兵革命」がもたらした時代を生きていたわけだ。

 軍事技術の進化が社会の変化をもたらす一因となっていたことも、ターチンは証明している(09)。彼はまずSeshatのデータから社会の複雑性を表す指標を作成し(10)、時代とともに複雑性が増してきた原因となっている要素が何なのかを調べた。結果、原因として挙げられたのが、農業生産性や農業へ移行してからの期間、そして戦争の激しさと、鉄器・騎兵に代表される「軍事革命」だった。ロバーツやパーカーの唱えた「軍事技術が社会を変える」という論(11)について、農業の影響を付け加えたうえで統計的に実証したと言える。


 ターチンの論に従うなら、過去に起きた4つの軍事革命はそれぞれ以下のようなものだった。まずは紀元前第4千年紀(紀元前4000~3001年)の末期から始まった青銅器革命。各軍事革命の舞台となったユーラシアのコア10地域を対象に広まった軍事装備を調べてみると、青銅器に加えて剣、槍、そしてロバの使用がこの時期に急激に拡大していることが分かる(12)。槍は数十万年前からヒトが使ってきた兵器だが、青銅器革命時にその使用量が大幅に増えた。

 この時期の軍がどのようなものであったかを示す分かりやすい例が、大英博物館にあるウルのスタンダード(紀元前2500年頃)だろう。戦争の場面と祝祭の場面を両側に描いたこの出土品には、槍やロバの曳くチャリオットが登場しており(13)、Seshatのデータから導き出された青銅器革命の特徴と合致している。スタンダードに描かれたチャリオットは逃げる敵を蹂躙しているが、ターチンは実際のロバの使用例としては物資の運搬などが中心だったのではないかと想定している。

 青銅器革命はちょうど最初の文明国家が登場したのと同じ時期に起きているが、両者の関係は明確ではない。いずれにせよ青銅器革命を経て領土面積が10万平方キロを超えるような国(エジプト古王国やアッカド帝国)が生まれた。ただしこれらの国家は非常に脆弱だったようで、時間が経過すると再び領土が縮小する傾向が見られる。

 続く、牽引用にロバではなく馬を使うチャリオット革命がもたらされたのは、紀元前2000年頃。ウラル山地の南西部にあったシンタシュタ文化で最初にスポークを持つ車輪でチャリオットが作られたとされる(14)。こうした新たな技術の広がりは、例えば紀元前第2千年紀の後半にヒッタイトの調教師であるキックリが残したチャリオット牽引用の馬匹の訓練に関する書物の存在からもうかがえる(15)。新しい家畜であった馬を使いこなすことが新たな軍事技術につながっていたわけだ。

 この時期には馬の他に、戦車の上から放つのに便利な取り回しのいい複合弓、そして戦争が激化したのに対応するように身を守る兜と盾の利用が急速に拡大した。身に着ける防具として真っ先に兜が登場したのは、頭部の重要性を反映したものだろう。また新技術の登場に合わせて再び国家の領土が拡大し、およそ50万平方キロ(ヒッタイトや中国の商)、時には100万平方キロを超える帝国(エジプト新王国)が生まれるに至った。

 3つ目の革命となったのが、紀元前900年頃に始まった鉄器・騎兵革命だ。2つの軍事技術が同時に広まったためか、この革命はその後2000年以上という長期にわたって世界に影響を及ぼすことになる。この時期に使用が急拡大した軍事装備には、騎兵や鉄器に加え、胴体と四肢を守る鎧もあった。またこれらの装備がユーラシアのコア地域に普及するのに要した時間は、過去の2つの軍事革命期に比べてかなり短かった。2回の革命を経てアフロ・ユーラシア各地のつながりが強まったためだろう。

 騎兵革命が帝国のサイズを巨大化していった流れと関連するメカニズムとしてターチンが唱えているのが、「鏡の帝国」というモデルだ。騎兵の多い遊牧民が暮らすユーラシアのステップ地帯や、同じく牧畜民が多い乾燥地帯と、それに隣接する定住民の間で、相互に対抗するため政治体が巨大化するメカニズムが働いていたという説で、実際に産業革命前に存在した面積100万平方キロ以上の帝国(そのほとんどは騎兵革命後に誕生している)のうち、9割以上はステップや乾燥地帯に隣接する地域で生まれていた(16)。特にステップ周辺にはそうした帝国が帯のように多数存在しており(17)、彼はこの地域を帝国ベルトと呼んでいる。

 さらにターチンらはユーラシアの4地域(中央、南方、東方、西方)に騎兵(18)や鉄器(19)が広まった時期も調べており、そのインパクトがいつ大帝国を生み出したかも確認している。興味深いことに、ユーラシアの各地で鉄器や騎兵が使われるようになってからおよそ300-400年後に、揃って面積300万平方キロを超えるような大帝国(アケメネス朝ペルシア、マウリヤ朝、前漢、ローマ)が生まれている(20)。軍事革命が政治体間の生き残り競争を経て一段と大きく複雑な社会を生み出すまでにそれだけの時間が必要だった、というのがターチンの見方だ。

 そしてこの300-400年という期間は、火薬革命の際にも必要となった、とターチンは指摘している。火薬と艦船という技術は15世紀の西欧で有効な軍事技術となり、大砲や銃、近代要塞を各地に広めたが、それが面積1000万平方キロ、時には2000万平方キロを超えるような巨大帝国を生み出すに至ったのは1750-1850年になってからだ。陸の巨大帝国である清朝は1790年に1470万平方キロ、ロシア帝国は1895年に2280万平方キロに達し、海の巨大帝国となったスペイン帝国は1780年に1370万平方キロ、そして大英帝国は1920年に実に3550万平方キロにまでその領土を拡大した。


 4つの軍事革命のうち騎兵については、ターチン以外にも様々なデータを統計的に調べ、その存在が戦争と国家形成の両方にインパクトをもたらしたと結論づけている分析がある(21)。高い機能を持ち、国民が経済的に繁栄しているような国家が生まれた背景には、軍事技術が持続的に影響を及ぼしていたとの説で、これも軍事革命論の妥当性について実証的に調べた研究の一つと言えるだろう。

 最大級の帝国面積ではなく、都市人口に注目した研究もある。紀元前4000年頃からの都市人口の推移を対数グラフで表示したところ、紀元前第4千年紀の後半から第3千年紀の前半にかけてと、紀元前第1千年紀、そして19-21世紀という3つの時期に人口の急増が見られたという指摘だ(22)。残念ながらチャリオット革命に相当する時期にそうした都市人口の急増は見られないが、他の青銅器革命、鉄器・騎兵革命、そして火薬革命の時期に都市化が急速に進んでいるのも、軍事革命が社会を変えた一つの証拠と言えるかもしれない(23)。

 ただ軍事革命が社会を変えてきたのは事実だとしても、その技術は短期間で一気に変化をもたらすわけではない(24)。例えば騎兵にしても、馬に乗る行為自体は早ければ紀元前4000年頃、遅くとも同2000年頃には行われていたとの説がある(25)。だが当初、それらはあくまで移動の手段として使われただけであり、有効な軍事技術になるには時間がかかった。火薬技術も同様だ。プロローグで紹介したように10世紀の後半には火薬を兵器に利用する動きが始まっていたが、これが有効な軍事技術になったのはそれから500年ほど後になる。

 そして上でも紹介したように、有効な軍事技術が広まり始めてからそれが社会を変えるまでには、別途これまた時間が必要だった。前者が軍事技術の「前史」に当たるとしたら、後者はその「移行期」になるわけだ。新しい軍事技術はまず誕生から有効性を持つまでの期間と、それから社会を実際に変えるための移行期間をそれぞれ必要とする。

 この文章では火薬革命における「前史」の期間を第1部で、「移行期」を第2部で取り上げる。そうすることで火薬革命が歴史に及ぼした影響を時間的に位置づけ、より分かりやすく整理するのが可能となる。また、特に第2部では空間的な差にも注目する。鉄器・騎兵革命の時もそうだったが、ユーラシアの地域ごとに技術の到来とそれにともなって社会が大きく変化した時期は異なっていた。火薬革命についてもそうした地域ごとの影響をフォローすることで、より世界的な視点で見ることができるだろう。



01 Plutarch, Life of Crassus, XXIV

02 Plutarch, XXV

03 イラク北部のニムルドで発見された紀元前9世紀前半のレリーフには、おそらくキンメリア人と思われる弓騎兵の姿が彫られており、うち1人は背後を振り向いて矢をつがえている; T. Sulimirski, Scythian Antiquities in Western Asia (1954), pp190-191

04 戦国策巻19

05 Richard A. Gabriel, The Great Armies of Antiquity (2002), pp5など

06 Robert Drews, Militarism and the Indo-Europeanizing of Europe (2017), pp109など

07 逆に火薬によりもたらされた軍事革命を、より細かい革命(歩兵革命、大砲革命など)に分けて説明しようとする説もある; Clifford J. Rogers, The Military Revolutions of the Hundred Years War (1993)。ただ社会への影響を重視する軍事革命論からはかけ離れた議論になっているように思える

08 Peter Turchin and Sergey Gavrilets, Tempo and Mode in Cultural Macroevolution (2021), Figure 3

09 Turchin et al., Disentangling the evolutionary drivers of social complexity: A comprehensive test of hypotheses (2022)

10 Turchin et al., Quantitative historical analysis uncovers a single dimension of complexity that structures global variation in human social organization (2018)

11 現代国家の形成に戦争が及ぼした影響についてティリーは「戦争が国家を作り国家が戦争を作った」と述べている; Charles Tilly, Coercion, capital, and European states, AD 990–1990 (1990)

12 Turchin et al., Supplementary Materials for Disentangling the evolutionary drivers of social complexity: A comprehensive test of hypotheses (2022), Figure S6

13 G. C. Wrightson, Greek and Near Eastern warfare 3000 to 301: the development and perfection of combined arms (2012), pp30

14 Stephan Lindner, Chariots in the Eurasian Steppe: a Bayesian approach to the emergence of horse-drawn transport in the early second millennium BC (2020)

15 Peter Raulwing, The Kikkuli Text (2009)

16 Turchin, A theory for formation of large empires (2009), Table 2

17 Turchin (2009), Figure 1

18 Turchin et al., Mapping the Spread of Mounted Warfare (2016), Figure 1

19 Turchin et al., Rise of the war machines: Charting the evolution of military technologies from the Neolithic to the Industrial Revolution (2021), Fig. 3

20 Turchin and Gavrilets (2021), Table 2

21 Motohiro Kumagai, Horses and the State (2022)

22 Andrey Korotayev, The World System Urbanization Dynamics: A quantitative analysis (2006), Diagram 7-11, 13

23 Turchinは分析の際に、Rein Taagepera, Size and duration of empires: Systematics of size (1978)をはじめとしたTaageperaのいくつかの論文に採録されているデータを利用したが、Taagepera自身は帝国のサイズの変化について紀元前3000年頃から同第1千年紀の前半までを含む第1段階、同後半から紀元1600年頃までの第2段階、それ以降の第3段階に分けており(Fig. 2)、ここでもチャリオット革命は重視されていない。またTaageperaは第1段階をもたらしたのが都市の形成、第2段階は官僚機構への権力の委任、第3段階は産業=コミュニケーション革命であると指摘しており、軍事革命には力点を置いていない

24 軍事以外でも技術の移行には時間がかかるものであり、例えば米国の輓馬の数がピークを迎えたのは内燃機関が生まれた後の1915年、新しいトラクターの原動力が輓獣のそれと同量になったのはようやく1927年になってからだった; バーツラフ・シュミル, エネルギーの人類史 下巻, pp143

25 デイヴィッド・W・アンソニー, 馬・車輪・言語 (2018), pp143, 147

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