終わりと始まり ―火薬革命の900年―

@desaixjp

 

プロローグ 終わりの始まり

 10世紀後半、970年の初夏。建国から10年しか経過していない中国の北宋宮廷で、新しい兵器のテストが行われた。兵部令史の官職にある馮継昇や、岳義方という官人たちが申し出たこのテストは上手く行き、宮廷は彼らに対して衣服や絹を与えて褒美とした(01)。

 このテストの具体的な内容がどんなものであったのか、何日くらいかけて行われたのか、そのテストに皇帝である趙匡胤は立ち会っていたのかなど、詳しいことは伝わっていない。新兵器を提案し、見事褒美を手に入れた馮継昇らが「してやったり」と頬を緩めた可能性はあるが、断言することは不可能だ。いやそもそもこの新兵器自体、「火箭法」という名前しか記録に残されていない。

 火箭とは火矢のことだ。そして火矢自体はこの時点で既に目新しい兵器ではなかった。227年の三国時代には、諸葛亮率いる蜀軍が陳倉を攻めた際に防御に当たった魏の郝昭が蜀の雲梯(攻城塔)に対して火箭を放ったという話があるし(02)、南北朝末期(6世紀)の人物である徐陵の墓誌銘にも「朝には火箭を飛ばし」という文言が記されていると、唐初期の文献にある(03)。この兵器がただの火矢であれば、そもそもテストなどしなかっただろうし、馮継昇らが褒美にありつくこともなかっただろう。

 つまりわざわざテストを行い、しかも短いとはいえ史書に残すだけの意味があると判断されたこの兵器は、ただの火矢ではなかったと考えられる。一般的な火矢は可燃物として油紙などを使うが、彼らの「火箭法」に使われていたのは、多分それ以前には兵器として使用されることのなかった素材だった(04)。

 テストに立ち会った者たちは気づいていなかっただろう。だが彼らはその時、歴史を変えることになる技術が産声を上げるのを目の当たりにしていたのだ。火箭の材料となっていたのは、おそらく黒色火薬だった(05)。


 火薬の登場と発展が社会を変えたと主張する「軍事革命」論を最初に唱えたのはマイケル・ロバーツだ(06)。火薬兵器の効果的な利用が広がり、より野心的な作戦が実行できるようになった結果として戦争の規模が巨大化し、社会に与える影響も拡大した、というのがロバーツの主張。彼は特にオランダのマウリッツとスウェーデンのグスタフ・アドルフが行った戦術改革を重視している。

 ロバーツの議論に対し、一部異論を述べたのがジョフリー・パーカー(07)。彼は火薬兵器そのものではなく、それへの対抗策として生まれたルネサンス式要塞(trace italienne)こそが重要だと指摘した。建造費のかかるルネサンス式要塞と、それを落とすため大量の歩兵を揃える必要性が、より効果的な近代国家を生み出し、さらには世界における西欧の覇権につながったと彼は考えている。

 要塞や巨大な軍は多額の経費を必要とする。各国は生き残るため、軍を支えられる優秀な行政組織と効率的な財政を確立すべく改革に取り組んだ。そうやって長期間にわたる戦争を持ちこたえられるほど近代化した国家の一例が、17世紀から18世紀にかけて成立した英国の「財政=軍事国家」であり(08)、革命を通じて総動員体制を作り上げたフランスだった。火薬をきっかけとした技術革新が、最終的には社会や国家、ひいては世界の在り方を変えたことになる。

 もちろんこうした軍事革命論に対しては異論もある。特に欧州以外を研究している者の中には、欧州を基本モデルとしたこの考え方に対して違和感を抱く向きも多い(09)。火薬が持つインパクトやルネサンス式要塞の位置づけなどは、欧州以外では必ずしもロバーツやパーカーらが想定した通りにはなっていないし、効果的な火薬兵器を手に入れた欧州勢がすぐに世界を制覇したわけでもない(10)、というのが彼らの主張だ。

 だが一方、欧州で発展を遂げた火薬兵器が、それから比較的短時間で各地に広まっていったこともまた事実。世界を見れば、欧州勢が直接進出するより前に原住民が買い入れたり自前で製造した火薬兵器を使いこなすようになった結果、社会や政治が大きく変化した事例が数多く存在する(第2部)。黒色火薬のような技術の進展が社会に及ぼす作用を把握し、歴史の大きな流れの中に位置づけるうえで、軍事革命という切り口は役立つと思われる。


 この文章では、5000年前に国家が生まれた当時からいくつかの軍事革命がくり返し社会や国家の在り方に影響を与えてきたことを示したうえで、火薬革命が具体的にどのように進展してきたかを追う。その際には時間的な位置づけと空間的な位置づけの双方にできるだけ視線を向けるよう心掛けるつもりだ。火薬の登場は、古い時代の軍事革命がもたらした時代を終わらせ、新しい、現在へとつながる時代の嚆矢となった。北宋の官人たちが始めた新兵器のテストが、どのような経緯をへて時代を変えたのか、これから見ていくとしよう。

 そのためにはまず、彼らが生きていた時代、まさに終焉が始まろうとしていた「騎兵の時代」について語る必要がある。



01 宋史巻197、ただし大學衍義補巻122によると969年(開宝2年)であり、玉海巻150だと969年の3月(旧暦)となっている

02 魏志巻3

03 藝文類聚巻50

04 Joseph Needham, Science and Civilization in China, volume 5 part 7 (1986), pp85は919年に使用された火油で、またTonio Andrade, The Gunpowder Age (2016), pp31は904年に使われた飛火という兵器で、それぞれ火薬が使われたと主張している; 呉越略史巻3; 九国志巻2。この問題については第2章参照

05 Andrade (2016), pp32。他にNeedham (1986), pp148; J. R. Partington, A History of Greek Fire and Gunpowder (1960), pp289などに火矢に関する指摘がある。

06 Michael Roberts, The Military Revolution, 1560-1660 (1956)

07 Geoffrey Parker, The "Military Revolution," 1560-1660--a Myth? (1976)

08 ジョン・ブリュア, 財政=軍事国家の衝撃 (2003)

09 Andrade (2016); Kaushik Roy, Military Transition in Early Modern Asia, 1400-1750 (2015)など

10 J.C. Sharman, Myths of military revolution: European expansion and Eurocentrism (2017)

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