下校先
@useful_even
第1話
なぜか、嫌になり、町へ逃げ込む。
「逃げ込む」という言葉は三者から言わせれば、適当ではないだろう。だが、窮屈な冒険心と少しの卑しさを持ち合わせていた僕の心を形容するなら、仕方がない。悪いことは、一切していないが、なぜか、その風な心持ちでいる。逃げ込んだ先は、見慣れた町である。思った通りに家屋が並び、左の廂は光を強くし、右の廂は影を濃くしている。そして、僕。何ら変わらない。でも、僕が僕であることが少し嫌になった。心を通わし、退けぞりあってる多重人格のような心持ちかも知れん。影らない所も暗ついてきたと思えば、太陽は重心を崩し、全てを降下に費やしている。比較して、僕は、強気でいる。意志と等しく、自転車を漕ぎ進む度、何かが風を切る音と、羽織りが羽ばたこうとする音が、対に聞こえ、寒く、痛い。気持ち良くなる前に終わってしまうのだから余計に達が悪い。大きい通りでも出たいが、逃げることを選んだからには、肉が裂けちぎれようが、また、踊り咲こうが、関係ないとさえ思える。気持ちは渋滞したまま、足だけは止まらず、景色は幾度も変化した。変化する度に、現状の意味を説いては、説き、説いては、説いた。最初は、次へ、次へ、と自分の考えを出すという建前の元、誰かが示してくれるだろう、と待っていただけだったが、示すものさえもないのに、示す人を位置させようとしたって、と結論が眼前に止まった時、落ち着き、後悔の念を募らせ、自分も止まる。しばらくはそのままだったが、自分が影を大きくしていると分かった時、普通で収まりそうな気が指し、歩き出した。歩いたら言う程変わらない町。少々乏しいが、その分、見えてくる視界は大きい。廂の下には、紅葉が盛ってあり、反射することで、単なる光を太陽と擬態し、僕を痛めつけたり、悲しませたりしている。とか、道路と家屋の間を作っている水路だって、最近の快晴のせいか、弱く、何にも影響されず、わがままに流れている。とか、左右に良い塩梅で電柱が並んでることだって意識できなかったし、意識してみたら、してみたで、酷評とまでは言えないが、醜い感情が生まれた。でも、それらも頑張ってると、思うと今度は自分が醜くなる。こうして、辺りを観察していると、ちょっとの違和感が自分の釣りバネに引っかかって、好奇心を引き上げてくる。少し開けた先にあった煉瓦塀なんて図星だろう。考えて作られてない、元からあったような日本の文化を雰囲気で取り入れ、雰囲気で誤魔化している。実際の和を持つこの町の中では、場違いすぎる。ここで外国人を迎えたのだろうか、家主が西洋気取りだったのだろうか、木が足らず、丁度そこにあった煉瓦をしょうがなく使ったのだろうか、と学生なりの考察をするが、正直答えはいらない。問題の形式であるのが、此処にある塀の美学なのだろう。塀を中心とし、下から来た僕は、右に曲がる。何故か、右の方向に自分の家があるから、ではない。ここでは、何となく行きたくて行ったことにしよう、そうした方が、旅人みたいで面白い。うん。曲がった先には、少し立派な家から松が此方を覗き込むかのように、丸く大きく曲がっている。のっぺりとした西洋の景色からだったので、より和を感じた。そして、この町が、上手く中和できていていると、他観視できて、喜ばしかった。頭の中で理想を選んでいると、すぐ、十字路が現れた。どちらに進もう。少し考える。その姿を濁って霧っぽく掛かってる鏡が見下ろすように照らしてる。その存在に気づき、ため息を漏らすと、口をポカッと開けてる下らない自分が次に写された。また嫌になる。縮こまった心を広げるため、選択肢を作ろうとする。上を見ると、層雲さえも、覆わさない薄く伸ばされた蒼空が四方に流れ尽くす瞬間を維持している。四方といったって僕らの上での譲り合いでしかない。けど僕の心が少し軽くなれたのは、乗せるべきものがあったからだろう。通常なら、流れが緩やかになりそうな頃合いの所でも、そのままで、ぱっと見の違いは、太陽に気づいていているのか、いないかだろう。僕にはそう見えたが、あちらさんにとっては、演者として使い分けることだけだ、なんてぶってるかもしれない。実際に持とうして持てない美少な色が下の方からじわじわと晒すものと示すものが共に作られながら染められていってる。やがて全てが完了すれば、進むべき道に反し、薄く敷いていた自然さえも巻き上げながらやって来るのだろう。嫌い。表裏一体すぎて、想像を越境しなくても、後ろを見れば意味が分かるのが何だか寂しい。眉を細めて、凝らさず、焦点は周期的に移動させて、そう批評している僕を、横から横へ見える自動車が蔑んでいるのか、と達した時、選択肢は収める他なかった。上から前に顔を落とし、十字路を上から見てみると、何でもかんでもできる状態だと、これと一つ定めることは厳しい、と聞いたことを思い出た。右耳には別れつつあった車の音がはっきり景色の中に入り込んできて、因果となり、少しの卑しさに置かれ、導かれるべきも示されてしまった。ああ、こういう時でも自業自得だろと指摘されてしまうのかと、一人の人としての念を募らせ、でも、恐怖は恐怖であり、楽ではないのは事実だけでしかない。比喩するべくして鑑賞する芸術に「自然」なんてつけることは神に対して、神なんぞいなくても、あなた、自然に対して、死以上で償うしかないのか、それは一所懸命いきることなのだろうか。体を正し、張った空気ごと蹴り飛ばすことで、後ろ側に一周ペダルが荒さましく自転と浅く公転をし、上に、足を引っ掛けると、少し前に行き、上手く止まる。重きを垂直に自転車に重きを託し、軽くなった自分が相対的に鶴の如し、生まれた。今、奪わっている反した力に反し、鶴、舞う。羽は町を通り抜けるように広げ、良い。目は間早く閉ざされ、美色を作る。何も見えない。見せてくれ。時間は流れさせない。何もかも動いてるのに、脈は裏をとり、不規則だがずっとだ。切り離しっぱなしだった、自分の責任や鬱感、意欲の根だって引っ付き、離れないようにしてるのに。お願い。五感はもう一貫していない。羽は上下して、風を切るというか、空気を吸って、吐いて生きようとしていることで、乾いた擦り音が轟と轟と突き上げる力に作用する。耐えられない。鏡には霧がサッと消され、鶴、舞ってる。体感は紀元前して生きてきた物の原点から今を生きる頂点とを結んだ薄い光に刺され、塊となって出てきた血が、歴史の流れの帳尻を合わせているよう。血はまだ収まらず、ゆっくりではあるが、自分と何かを対極なものとして、独立させようと頑張ってる。素晴らしい。美しい。思う分には誰でもできる。作り出す。絶対。鶴、舞い誇る。幸せだ。幸せ。包まれるべきものが何層にもなって広がっている。包まれた瞬間、安心の域は、すぐさま広がり、満たされる。全てだった。覚めない夢の箱で、自由に投影され、快楽に導かせてくれるようだ。ムービーは途中途切れることはなく、幾千もの物語を、簡潔にまとめないまま、一つのものに秘めさせた。映像の端の端、光の強弱をギリギリ視認できる所さえ、刺激し、この場を補っている。自分は裕福なものだと実際肌に伝わり、体内で伝導をやめなかった。しかし、安心の域が、広がり、満たされ、を続け、遠くまで行き過ぎたのを眺めた時に、何でだろう。ここからどこに行くのだろう。鶴って自由なのか。羽は生かしておいて本当にいいのだろうか。鏡は何も答えとすることはなく、問題を強くして、痛くして、被写体に本質に刺し込んでるだけではないだろうか。五感が治っていくにつれ、今までの嘘の分、ひっかけ続けられる果てしない鎖が重く、つらい。また、全てが本当であった時の自分の存在意義と存在証明の意図が見透かされた時、表現の趣が消え伏せ、自分は心が心で収まらない。収まれ。収まってください、、、溢れた自我。あ、無理。
上は遠退き、飛べるわけない人。下だって自分が立てるぐらいしかない。前を見たら驚いた。十字路の真ん中でいる自分。嬉しさもある。混同している心情は表せず、側から見ればぼーっと立つ青年。やがて一台の自動車がすぐまで来ていて、はっとする。今迄と位置は変わらない。焦り、羞恥に囲まれながらも十字の範囲を広げるように漕ぎ逃げた。その姿に偽りは似つかない。鏡はそう言い掛けてそう。批評したがる鏡でも照らせない色はありすぎる。無論、真ん中に強い意志は持ち、羽ばたくことを選んだ鶴は夕日に繕う。
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