母からもらった着物
増田朋美
母からもらった着物
そろそろ寒い風が吹いてきて、秋から冬に向かおうという季節であった。それでも暑いなあと感じる日々は続いている。なんだかもう寒くならなければいけないのではないか、と思われるほど暖かい日である。それでは、日本の四季らしいものはなくなってしまうのではないかと思われるのであるが。変わってしまいつつある、日本の季節であった。
さてその日も杉ちゃんは、浜島咲と一緒にやってきた、羽生さんという女性の着物について、相談を受けていたのであるが。
「うーんそうだねえ、この着物を、カバンにリメイクするの?ちょっと、それには高級すぎて、もったいないと思うよ。」
杉ちゃんは目の前に置かれている豪華な着物を眺めながら言った。
「黄色い地色に、京友禅で、菊の花にダリアの花も刺繍されているし。地紋は、檜垣模様か。随分、おめでたいもんだな。」
「でも、着ないで放置するより、なにかにリメイクすれば、もっと使う頻度は増えると思うのよね。そのほうが、着物もいいのでは?」
咲がそう言うと、
「でもこれは立派な京友禅に、素材は羽二重だぜ。それを切ってなにかにしてしまうのは、もったいないんですよね。」
杉ちゃんは、それを眺めていった。
「着てやったほうが、絶対良いと思う訪問着だぜ。」
「杉ちゃんまでそういう事言うの?他のお直し屋さんにも行ってみたけど、断られたのよ。やっぱりこれは、高級すぎて家では扱えないって。それで杉ちゃんにお願いしているんじゃないの?」
咲がそういう事を言うことから判断すると、二人は、何件かリメイク業者を訪ねたようである。それでどの業者に行っても、断られたのだろう。
「それに私、着物として残していても、着物の着付けを習っていないので、着ることはできないし。」
と、羽生さんが小さな声で言った。
「まあ、ねえ。仕立て直しはできないわけでも無いけどさ。僕もカバンとか、ワンピースに仕立て直すのは反対だ。もし、着られないんだったら、洋服みたいな感じで、気軽に着られる着物に仕立て直したらどうだろう?もし、仲居さんみたいで嫌だと言うんだったら、作り帯を用意して、帯を締めるタイプの二部式着物にしてもいいぞ。」
杉ちゃんに言われて、羽生さんは、少し考え直す顔をした。
「作り帯とは、どういうものなんでしょうか?」
「だから、体に巻く部分と、背中に差し込んで背負う部分とでできている、帯のことだよ。袋帯とか、昼夜帯で作れば、蝶結びのような文庫結びができるし、名古屋帯であれば、一重太鼓も作れるよ。また市販もされているから、それで買ってみるのも良いかも。」
杉ちゃんが説明すると布団の上に座っていた水穂さんが、スマートフォンを出して、
「こういうものですよ。浴衣帯などで見たことがお有りだと思うんですが。」
と言って、彼女に作り帯の画像を見せてくれた。
「それで、二部式着物とはどういうものなんでしょうか?」
「ああ、だから、巻きスカートのようなものを下半身に巻いて、上半身は、上着を着て、紐で止めて着るんだよ。長襦袢は、半襟をつければ、ごまかせる。そうしたほうが、着物も喜ぶと思うよ。大事な着物だもん、むやみに洋服にするより、着物として着てやったほうが良いんじゃないか?」
杉ちゃんに言われて羽生さんは、そうですかと考え込む仕草をした。
「そうされたほうが良いと思いますよ。そういうふうに着物を残してくれる人がいらっしゃるってことは、幸せなことですから。」
水穂さんに言われて、羽生さんはそうですねといった。
「わかりました。それならそうしてみようかな。確かに母が私に残してくれた着物ですし、大事なものですものね。それなら、着物にトライして見たいと思います。」
「わかったよ。じゃあ出来上がったら知らせるので、お前さんの名前を教えてくれるか?」
「はい、羽生友香と申します。電話番号は080、、、。「
それと同時に咲が、彼女の名前と電話番号を書いて、杉ちゃんに渡した。
「杉ちゃんわからないでしょうから、あたしに電話くれれば、あたしと羽生さんと一緒に取りに来るわ。」
「おうそうか。それなら、そうしてもらおうか、じゃあ二部式に仕立て直すから、だいたい3日くらいでできると思うよ。」
杉ちゃんに言われて、羽生さんはありがとうございますと言って、丁寧に頭を下げた。
「よし、じゃあ、しばらく待っててくれや。」
杉ちゃんにとっては、大した仕事では無いのかもしれないが、全く着物を着たことのない羽生さんは、嬉しいような困った様な顔をした。
「じゃあ、出来上がったら、連絡します。」
杉ちゃんはにこやかに言った。
それから3日立って、杉ちゃんから、電話をもらった咲は、また羽生さんと一緒に、新しく生まれ変わった着物を取りに行った。
「よっしゃ、よく来てくれたね。着物はこの通り、ちゃんとできてるよ。じゃあ、試着してみようか。半襟も縫い付けてあるから、洋服の下着にそのまま着てしまって大丈夫だ。じゃあ、まずはじめに、下半身の巻きスカートを、下半身を包むような感じでつけてみてくれや。」
羽生さんは、杉ちゃんに言われて、巻きスカートを履いてみた。
「よしそしたら、ジャケットを羽織るような感じで、上着を羽織ってみろ、そして、腰紐を一周回して結んでみな。」
杉ちゃんに言われたとおり、羽生さんは、そうやってみた。
「はい、それで良し。そうしたら、それに作り帯を締めれば、立派な着物姿になれるぞ。とりあえず、お前さんが用意してくれた、半幅の文庫で試してみようね。帯の種類も、もう少し詳しく教えてやるよ。そうしたら、まず、作り帯の体に巻く部分をウエストに巻いてみろ。」
杉ちゃん羽生さんに、作り帯を渡した。羽生さんがそうすると、
「よし、背中にこの結び目を帯に差し込んで、前を紐で結んでみて。」
と言われたので、彼女はそのとおりにした。
「じゃああとは、帯揚げをつけて、帯締めを締めような。帯揚げは一回前で細結びすればOKで、帯締めは前で二回細結びをする。」
これで、着物姿は完成した。
「わあすごい。なんだか着物を着たら、自分じゃないみたい。すごいきれい。嬉しいです。着物が着られるようになって。」
とてもうれしそうな顔をしている羽生さんに、咲は思わず、
「羽生さんってそんなに明るかったんだ。私ちっとも知らなかったわ。そんな明るい顔、私の前では見せたことなかったじゃない。」
と言ってしまった。
「まあ着物を着ると、性格が変わるやつは、いっぱいいるさ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「いずれにしても良かったわ。私が、こんなすごい着物を、着られるなんて夢のようです。着てみたいとはずっと思っていましたけど、着られないと思って諦めていたのに、着られるなんて。あの、すみませんが、ここで記念写真を撮って貰えないでしょうか?あそこに生えている松の木の隣でもいいし、そこの石燈籠の近くでも良いかも。一枚これで撮ってください。」
羽生さんは、水穂さんにスマートフォンを渡した。
「わかりました。じゃあ撮りますから、好きな場所に立ってください。」
水穂さんが、スマートフォンを写真アプリを開き、シャッターマークを押して、彼女の写真を撮った。確かに、可愛い黄色い訪問着は、リメイクしてしまうのはもったいないことであった。それを着方は多少変わっても、やっぱり着物として着てもらったほうが、着物もそのほうが良いのではないかと咲も思った。
それから数日後、咲のスマートフォンに羽生さんが着物を着て様々な場所へ行った写真が、何枚も送られてきた。着物を着て食事に行ったり、オーディオ機器の専門店に行ったり。彼女は、今までの彼女とは違って、とても活動的になり、様々な場所へ着物を着て出向くようになった。着物を簡単に着ることができるようになって、毎日が楽しくなったと、羽生さんはメールに載せていた。
ところが。
咲が、外出するため富士駅行のバスを待っていたところ。
「浜島さん!浜島さん!」
と言って、羽生さんが走ってきた。
「どうしたの?私なにか忘れ物でもしたのかしら?」
と咲は思わず言ったが、
「いや、それじゃないんですよ。この間の着物の写真ですけどね。見てください。これ。」
羽生さんは先日石燈籠の隣で撮った写真を咲に見せた。そこには、間違いなく、石燈籠の隣で羽生さんが着物を着て映っているのだが、その両隣に、一人の男性と一人の女性が、着物姿で立っているのが咲にも見えた。
「誰これ?」
思わず咲は聞いてみる。
「私の父と母です。間違いありません。」
羽生さんはそういうのであるが、男性の方は、40代そこそこで、女性の方が、80を過ぎたおばあさんだった。
「父は、私が中学生のときに亡くなって、母は二年くらい前になくなりました。なんでこの二人が先日撮った写真に出ているんだろう。しかも着物姿で。これだけじゃないですよ。見てください浜島さん。この写真にも、この写真にも、父と母が映っているんです。」
羽生さんは、急いで三枚の写真を取り出した。それは、着物を着てオーディオショップに行ったときの写真、そして、レストランで食事をしたときの記念写真、更には、文化センターでお琴の演奏会を見に行って、ポスターの前で撮った写真の三枚だが、いずれにしても羽生さんの両隣に、同じ顔の男女が、映っているのが確認できた。
確かに咲もこれにはゾッとした。すでに亡くなった人物が、数日前に撮った写真に現れるなんておかしな話だ。
「写真を合成したとか、改造したとか、そういう覚えは一切ありません、そんな技術、私にはありませんから。だけどなんで、もうとうの昔に亡くなった父と母が私の写真に映っているんでしょう?」
「そうね、たしかに気持ち悪いわ。」
咲もこれはびっくりしてしまった。幽霊なんて存在しないと思っていたけれど、こんなふうに写真に出てくるのだから、やっぱり、なにかあるんだなと思った。
「とにかく、誰か霊感のある人に見てもらったほうが良いわ。もしかして、お父さんとお母さんがなにかいいたくて出てきたんだと思うから。」
咲はとりあえずそう言ってみる。
「それは誰でしょうか。警察に相談しようにも信じてもらえないし、誰に見せたらいいでしょう?」
確かに羽生さんの言うとおりだ。誰にも相談できない事例である。
「とにかくね。これはみんなで相談しなければだめよ。こういう事は、物事の流れを変えてしまうことだから。」
咲は、急いで、製鉄所に電話をかけた。製鉄所と言っても、居場所を無くした人たちが、勉強や仕事をするために、部屋を貸している施設であるが、咲はとりあえずそこへ電話してみる。
「もしもし、杉ちゃん、ちょっと相談したいことがあるの。杉ちゃんなら、わかってくれるかもしれないと思って。とにかく今からそっちへ行くから。少し待ってて。」
「おう。待ってるぞ。」
杉ちゃんはそういった。咲は、電話を切り、羽生さんと一緒に、バスに乗って製鉄所へ向かった。二人は杉ちゃんに連れられて、縁側に通された。
「はあ、羽生さんのご両親が、こないだ撮った写真に現れたのか?」
杉ちゃんは、変な顔をして言うが、羽生さんが写真を見せると、たしかに男女が映っているので、驚きを隠せない顔をした。
「あれま、これは大事だぜ。お前さんのお父ちゃんとお母ちゃんが、そうやって写真に出てくるなんて。お前さん、お母ちゃんやお父ちゃんに、なにかひどいことをしたのか?」
杉ちゃんに言われて、羽生さんは、とても恥ずかしそうに、
「実は、父も母もいてくれた事は確かなんですが、私は、そんな父や母を嫌っていました。」
と言った。
「はあ、どうして嫌ってたの?」
と、杉ちゃんがすぐ聞くと、
「ちょっと、わけがありまして、、、。」
という羽生さん。それを杉ちゃんは、なんだかわけがあるんだなという感じの顔で見た。
「例えば、僕みたいに足が悪いとか、そういうことだったんか?」
「いえ。そのほうがよほど良いと、思ってしまっていました。せめて正常な知能があれば、私は、こんな事しなくても良かったんです。」
と、羽生さんは言った。
「正常な知能ねえ。それは、どういうことかなあ?なんか知的障害でもあったか。それとも、耳が遠くて大変だったとか、そういうことだったんか?」
杉ちゃんに聞かれて、羽生さんは、小さな声で、
「はい。ふたりとも、私を育ててくれたのは良かったんですけど、母が精神疾患があって、父は母を一生懸命支えていたんですけど、亡くなってしまって。母は再婚もしないで、年金で私を育ててくれました。だから、私、正直、こないだ母が80を過ぎて亡くなったとき、ああ良かったと思ってしまったんです。」
と下を向いたまま言った。
「はあ、お前さんの事を育ててくれたお母ちゃんだろ?それで、ああ良かったというのはちょっとまずいんじゃないの?」
杉ちゃんがそう言うと、
「僕はなんとなく、彼女の気持ちがわかるような気がしますね。きっと、普通の女性が感じていた以上の事を感じなければならないでしょうし、お友達のお母さんだったら平気でしてあげられるようなことも、できなかったのでは?まず初めに、年金で生活していたのだったら、間違いなく経済的に不自由でしょうし。」
と、水穂さんが、そっと彼女に言った。
「きっとお友達が持っていたものを欲しくても買えなかったとか、好きな事を習いたくても習えなかったとか、そういういさかいがあったのではないですか?」
水穂さんに言われて、羽生さんは、
「ええ、そうです。」
と、小さな声で言った。
「母は、一生懸命私の事を育ててくれたことは間違いありません。ですが、私はどうしても母じゃなくて別の女性がお母さんだったらどんなにいいだろうと思ってしまいました。それでは行けないですよね。でも、私は、母がなくなったときやっと母から開放されたと思ってしまって、やっと自由になれたと思ったのに、なんで母は、こうして、死んだあとでも私につきまとってくるんでしょうか?」
「多分ねえ。お母さんの着物を着るようになってくれたことで、お母さんは、自分の事を許してもらったと思っているんじゃないかしらね。」
咲は、一向に回転しない頭で、そう言ってあげた。
「少なくとも、僕は、あなたがお母さんのことも、早く亡くなられたお父さんのことも、憎んでいるようには見えません。あなたは、たしかに、亡くなってくれて良かったと思ったのかもしれませんが、そう思ってしまって、後悔しているのではないですか?」
水穂さんが、羽生さんに言った。
「本当にそうなのか?それなら、ちゃんとお母ちゃんに謝りに言ったほうがいいのではないかなあ?それを求めて、写真に出てきたのではないかとも、考えられるぜ。」
杉ちゃんが、彼女に言った。彼女はとても戸惑った顔をしたが、咲は、そうさせたほうが、いいのではないかと思った。
「きっと謝罪をすれば良いというわけでも無いかもしれないけど、お母さんに対して、なにか行動をしたほうが良いと思うわよ。それは、大事なことだから。」
咲は、そう言って、彼女を励ました。
「行くなら、私も行くから。あなたのふるさとは、どこなの?」
「はい。母のお墓があるお寺は、沼津の東城寺というところなんですが。」
と、羽生さんは言った。
「沼津の東城寺。結構有名なお寺ですね。」
水穂さんがそう言うと、
「ええ、母が亡くなったとき、母のお葬式をしようと言うこともなく、母は直葬で、その東城寺に葬られました。その時親戚は誰も来ませんでした。私だけが、母の葬儀に立ち会ったんです。東城寺は、そういう人の葬儀もやってくれる唯一のお寺だと、聞いたものですから。私は、どうしたら良いのかわからなかったので。」
と、羽生さんは小さな声で言った。
「確かに、あそこは宗派も関係なく自由霊園に近いような感じで、いろんな人を埋葬できると聞いています。もしかしたら、そこの和尚さんに聞いてみれば、なにかわかるかもしれませんね。」
水穂さんがそう言うと、
「じゃああたし、羽生さんと二人で、そこへ行ってみるわ。沼津駅から歩いて数分のところにあるって言うし、アクセスはそう難しくなさそうだもの。」
咲が、そう言って東城寺への地図を差し出した。確かに、駅からすぐのところにある小さなお寺だった。なんで商店街の近くに寺があるんだろうと思われるけど、そこにあった。羽生さんもこわごわだったけど、それに納得した。
二人は翌日、富士駅で待ち合わせをして、東海道線に乗り、沼津駅で降りた。そして、歩いて東城寺へ行ってみる。本当にこれがお寺?と思われるほど、お寺から遠い形をした建物であった。なんだかお寺というより、個人の家と対して変わらないくらいの小さな建物だった。咲が、住職にワケを話し、住職に写真を見せて説明すると、住職は、二人を猫の額くらいの小さな墓地へ連れて行ってくれた。そして、羽生さんのお母さんはこちらですと言って、小さな墓石を見せてくれたのであるが、墓石の周りも草だらけで、墓石そのものが倒れていたし、それも鳥の糞で汚れてしまっていた。
「なるほど。お父さんもお母さんも、こんなふうになっているのを知らせたくて、これを直してもらいたくて、写真に出てきたのね。」
羽生さんは、そう言って、墓石を丁寧に起こし、鳥の糞で汚れていた墓石を、たわしで丁寧に磨き始めた。咲も、それを手伝った。
「人間だもの、完全に成仏なんてできる人はごく僅かよ。」
「そうね。」
二人はそう言って、墓石の周りに生えた雑草を丁寧に抜き取り、墓石に水をかけて丁寧に清めてあげた。そして住職にお願いして、改めてお経をあげてもらった。羽生さんの、父と母が安らかに眠れるように。
それから、しばらくして、羽生さんが例の写真を出してみると、お父さんとお母さんは、ちゃんと彼女がお墓に来てくれて、嬉しい気持ちになってくれたのだろう。写真に映っているのは、羽生さん一人だった。どの写真でもそうなっていた。
母からもらった着物 増田朋美 @masubuchi4996
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