第36話 2/28 俺ができること

2023年2月28日

 俺は、通学路を歩いていた。

 でも、いつも通りというわけにはいかない。

 歩きなれたはずの道は全く違って見えた。

 考えていることは平野さんのことだけ。

 ああ、俺はどうしたらいいのだろうか。

 まあ、俺にできることなんて何もないのだけど。

 そうやって、ただ右足と左足を交互に出して前に進んでいると、目の前に立ちふさがる人がいた。


「奥川さん……」

「今から、話があるけどいいよね?」


 俺は、言葉を発することは無くただ頷いた。




 俺は、奥川さんに連れられて近くのカフェに来ていた。

 ここは今までに誰とも来たことが無い。

 お客さんは誰もいなかった。

 店長らしき人が1人で準備をしていた。

 俺たちは、それぞれ近くの椅子に座ると、奥川さんは俺に何も聞かずにコーヒーのブラックを2つ注文した。


「ねえ俺、コーヒー飲めないんだけど……」

「それは、私も」

「なら、何で頼んだの?」

「ブラックのコーヒーでも飲まないとまともに話もできないような気がしたから。お互いにね」

「はぁ」


 俺は、曖昧な返事しか返せなかった。

 そして、直ぐに2つのコーヒーが俺たちのテーブルに置かれた。


「ねえ、これから学校があるんだけど……」

「桜ちゃんの方が大事でしょ」

「そうだけど……」

「なに?」

「俺にできることなんて何もないでしょ」


 俺は、完全に不貞腐れたような態度だった。

 奥川さんは何も悪くないのに。

 もう、俺にはどうすることもできない。

 最後に平野さんと話をした日を思いだす。

 もしかしたら、あれが今生の別れになってしまうのかな。

 そう思うと、急に現実味を帯びてきて目から一滴、また一滴と雫が落ちてきた。

 俺は、

 俺は、、


「優気……」


 奥川さんがそっと声をかけた。

 俺は、それに甘んじるかのように奥川さんに言葉をぶつけた。


「俺は、平野さんに何もできなかった。気づいてあげることさえもできなかった」


 奥川さんは、ゆっくりと頷いた。


「何が好きだ。相手の気持ち一つ理解しないで俺に好きなんて言う資格は無い!」


 奥川さんは俺の言葉に対して何かを言い返そうとはしない。


「俺は、何ができるのかな。俺は、何もできないのかな。平野さんが必死に苦しんでいる中で、俺は何もすることができないのかな……」


 俺は、すがるような目とかすれた声で奥川さんに問いかけた。

 奥川さんはそっと口を開いた。


「優気」

「なに!?」


 もう、俺は完全に奥川さんに八つ当たりするような口調になっていた。


「優気」


 もう一度名前を呼ばれた。


「なに!?」


 さらに声が強くなった。


「本当に優気には何もできることは無いと思う?」


 その声は、俺とは対照的で落ち着いていた。


「何もできないに決まってる!俺は、平野さんに対して、何にもできない。俺は、たくさんの思い出を貰ったってのに。俺は、何一つ返してあげることはできない……」


 奥川さんは、小さく息をついた。


「そう」


 奥川さんは冷静だった。

 それが、俺の焦りをさらに駆り立てた。


「ねえ、奥川さんは何とも思わないの⁉平野さんは、こんなに大変な思いをしてるのに?悩んだり、傷ついたりしないの⁉」




「ねえ、、」




 奥川さんが何か言ったように聞こえた。

 でも、俺の声量が大きすぎて奥川さんの声が小さくて聞こえなかった。


「なに!?」


 俺は、大きな声で話せと言わんばかりに怒鳴りつけるような声を出した。

 でも、それは愚かな行動だと一瞬で気付かされた。






「私が平気そうに見える……?」






 奥川さんの声は小さいままだった。

 でも、俺の心の中には今までのどの言葉よりも一番大きく響いた。

 一瞬で体の冷静さを取り戻させられた。


「私が、平気でいるように見える?」


 俺は、何も返すことができない。

 だって、どう見ても平気ではないことは見れば分かるから。

 目から涙が出ているわけではない。

 でも、きっと平野さんの病状を知った段階から何度も流してきたのだろう。

 目の奥にある透き通った瞳はそれを暗示させていた。


「私だって辛いに決まってるじゃん。桜ちゃんの病気を知ったときに私がどれだけ苦しんだと思う?」


 俺は、頷くだけで言葉が出なかった。


「桜ちゃんにはみんなにも相談したらどうって言ったんだよ。でも、断られた。みんなに知られると、今まで通りの日常が送れなくなるからって……」

「そうなんだ……」

「受験だって、無理する必要無いのにみんなと一緒に経験したいって言ったから無理にやったんだよ」

「そう……」

「ねえ、私から優気にお願いしてもいい?」

「うん」


 俺は、小さな声で頷いた。


「桜ちゃんを助けてあげて」


 平野さんは目を涙でいっぱいに浮かべてかすれるような声で俺に言った。


「助けるって……」


 できることなら俺もそうしたい。

 でも、俺は、医学の知識なんて全くないただの中学生だ。


「何かできることはあるかな……」


 俺は、うつむくことしかできなかった。


「桜ちゃんを励ましてあげて欲しい」

「励ます?」


 どういうだ。


「うん。私の前だとどうしても無理しちゃってるみたいだから」

「そうなの?」

「うん。やっぱり私じゃダメみたい。桜ちゃんには優気が必要だよ」

「そんなことは……」


 俺は、謙遜なしで正直な気持ちを伝えた。

 でも、奥川さんは俺のことを疑っている様子は無い。


「大丈夫だから。優気なら、きっとできる」

「そうかな」

「うん。私が保証する。今から、桜ちゃんに会ってきなよ」

「今からって、、」


 俺は、意外な提案に少し変な声を出してしまった。


「手術は明日の午前からで終わりが卒業式と同じくらいらしいから、会うなら今日だよ」


 奥川さんは、涙で腫れた瞼を擦りながら言った。


「俺が行っても良いのかな」

「良いに決まってるじゃん。それとも、平野さんに会えないままでもいいって言うの?」

「それはない!」


 俺は、力強く否定した。


「よし、その息だ。頑張って!」


 奥川さんの笑顔は少しぎこちなかった。

 でも、ようやく決心することができた。

 このまま何もしないでお別れなんていやだ。

 そんなことは絶対に嫌だ!


「俺、今から病院行って来る!」




 奥川さんは、座ったままこくりと頷いて俺を送り出してくれた。



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