第28話 露天風呂と……

 魔都、中央訓練場にて白と黒の剣線が凄絶に飛び交う。


 一つは俺の『魔剣』カリュオーン。

 もう一つはルーシーの『聖剣』カリュオーン。


 勇者の力を得たルーシーの戦闘力は大幅に向上し、同化無しのカリュオーンを装備した俺に追随するほどになった。


 舞うように剣戟し、視線のやり取りで騙し合う。

 

 確かに基礎戦闘力は向上したみたいだが──ほら、残念、脇腹がガラ空きだ。


「あぐ──っ!?」

「剣での戦いにこだわるな。格上との戦いでは足や歯、爪なども使って勝利をもぎ取りにいくんだ」


 脇腹を抑え横たわるルーシーの手を取り立たせてやると周囲から大歓声が上がった。

 

 ルーシーの手解きをしつつ兵の士気を上げる。

 一石二鳥だな。


「はぁ……っ、はぁ……っ、ふ、はは。マスターが強いお陰で調子に乗らずに済みそうだよ」


「それならいいんだがな。さて、汗でも流しに行くか」


 場所は変わり、公衆浴場──それも露天風呂。

 日本製のゲームなので和の要素も取り入れられている。

 普段、立場もあって来ないのだがルーシーの魔族との交流も兼ねて昨日から訓練後に足を運ぶようにしているのだ。

 裸の付き合いというのは、否応無しにハラワタを見せ合うことになるからな、魔族に対する感じ方にも多少の影響が出るだろう。


「おおっ! 今日も来てくれたのか、一緒ともに語ろうぞ!!」


 そのせいで温泉のヌシ──第六軍団長のアビド・ソードマンに絡まれるようになってしまった。

 俺は近付くなオーラを出しているんだけどな、めんどくさいし。


「先の稽古を遠巻きながら見せてもらったぞ。総司令殿は強きパートナーを手に入れたようだ」

「そうだな」


 よほど長時間居座り続けているのか元々赤っぽいアビドの全身が燃え盛っている。

 顔面からは汗ダラッダラだし、この周辺は湯ではなくアビドの汗そのものと言っても過言ではないだろう。


「して、人族の彼女も昨日女湯に居たそうだが……大丈夫なのか?」

「ああ、触れは出している。俺の女に手を出す奴はいない」

「カカッ、アリア嬢に聞かせてやりたいな今の科白セリフ!!」


 上半身全てが水面に出てしまうほどの大男がバッシャンバッシャン水面を叩く。

 津波のような湯の壁を俺は顔面に喰らいながら、あからさまに嫌そうに顔を両手で拭う。


「しっかし総司令殿。今日は昨日までとは打って変わって少し都合が悪いかもしれんぞ?」

「なに? どういうことだ?」

「それはな……」


 アビドが目を逸らし、蓄えられた顎髭を摩った──その時だった。


「あっ、ルーシーちゃん! 待ってたよ〜」

「はぅあッ!? 貴様っ、魔王アリア?? 何故ここに!?」


 男湯と女湯を分ける木材で出来た仕切りの向こうからアリアとルーシーの声が聞こえてきた。


 はぁ?


「おいアビド、説明しろ」

「……刺激が欲しかったのだ」

「??」


 アビドは突如、哀愁漂う爺のような雰囲気を出してポツリと語り始める。


「長年此処のヌシをやっておるのだが……最近は心沸き立つ体験が出来ていないのだ。裸で語らえば何かが見えてくる──が、此処に来る者とはだいたい話し尽くしてしまった。何かこう、水面に小石が落ちて波紋が広がるような……ワシの心を動かす何かが欲しい」

「……アリア様とルーシーを会わせてみたら何かが起こると?」

「まさしく。要約すると……総司令殿とアリア嬢とルーシー嬢の三角関係が是非に見たい」

「ただの下世話なジジイじゃねえか」


 くそっ、まじでフレーバーテキスト通りの下世話爺なのかよ。

 いくら何でもアリアを動かすまでやるとは思わなかったぞ!?


 ……頼むぞアリア、ルーシー。

 頼むから普通に仲良くしてくれーー。 



♧♧♧♧♧♧


ルーシー視点



「……わけがわからん」


 魔王と同じ湯に入るという異常事態。

 先客の魔族と同じく、私も距離を置くとしよう。


「えー、ダメだよルーシーちゃん」


 しかし、グイッと見えない何かに腕を掴まれて引っ張られ、魔王の隣に強制的に座らされてしまう。


「分かった、抵抗はしないから離してくれ」

「はーい」


 解放され、自由になったので口を閉じて目を瞑る。

 精神を統一し、この状況を打開する手段を探るのだ。


「ふふ……っ、そんな緊張しなくてもいいのに」

「……逆に聞くが、何故そうも馴れ馴れしいのだ? 最初はもっと──」

「過去の事は気にしない性格なの。シドとあなたの間で何も無さそうなら、べつにいいかなぁって思ったわ」

「そういうものなのか……」

「だからさ、こっち向いてよ」


 ぎぎぎ──と、言われるがままに恐る恐る魔王の方を向く。


「────」


「どうしたの?」

「いや、何も」


 一生の不覚だ。

 魔王の肢体をふいに美しいと思ってしまった。


 敵う部分が一つも無い。


 宝石のように澄んだ赤い瞳。

 水分を含んで艶を増して妖艶に煌めく黒い髪。

 大きいが綺麗な形を保った胸。

 中身が見えてしまいそうなほどに透明感のある白い肌。

 すらりと伸びた手足に、禍々しくも神々しい黒の羽根。


「見すぎぃ。シドより見てるよ」

「〜〜!? 魔族の裸体が衝撃的だっただけだ!」

 

 水面を叩き無様に否定する。

 断じて見蕩れていたわけではないと。


「そう? シドってさ。最近は少しチラチラ見てくるようになったけど、最初はぜんっぜん興味を示してくれなかったよ。普通逆じゃない?」

「……異性として見るようになってきただけではないのか?」

「へぇ、最初は女としてすら見てなかったと?」

「あっ、いや、そういうわけでは……!」

「ああっ、ごめんね。べつにいじわるしてるわけじゃないよ」


 貴様はそうやって言うが、魔王のいじわるとやらは下々にとっては心臓に悪い。

 立場をわきまえてくれ。


「……ただ、普通に話したいだけなの。あなたと。魔族とか人族とか関係なく」

「……種族を抜きにしても立場が違う」

「それも気にしないで」

「無理だ。貴様……いや、魔王という存在によってどれだけの命が失われていると思っている?」


 今更立場を無視しろと言われても無理な相談だ。


「……ふへへ。それ言われたら何も言い返せないや。私以前の魔王はもっと苛烈だったものね」

「……」


 そう、魔王の座にアリアがついてからは無駄な殺戮がなくなった。

 少なくとも戦に出ていない民の命は奪われなくなった。


「ふぅ〜。分かった。私たちは正常な戦をしている。盤面外では正常な会話をするのも悪くないだろう」


「ありがと。じゃあ、恋バナでもする?」

「な!?」

「こんな機会、多分この先戦いが終わるまでないと思うの。ねぇ、ルーシーちゃんには気になる人とかいないの? シド以外でね」


 シド以外で……と言われても、困るな。

 マスターにはそもそもそういった感情を抱いていないし、かといって気になる者もいない。


「すまん、私には……」

「ふむ、いないかぁ、でもルーシーちゃん可愛いし幾らでもイケると思うわ」


「そうか……そうだといいがな」


 私のような固い女を好いてくれる者が居るとは思えん。


「では、貴様の……こほん、マスターの話を聞かせてくれないか?」

「そうねぇ、うん。とりあえずその貴様──て言うのやめてほしいな。ちゃんと名前で呼んで」

「む」


 …………こだわる部分でもないか。


「アリア様、違うか。アリア殿、でいいか?」

「うーん、まぁ、それでいいかな」


 魔王──アリア殿は唇をなぞり、ずいっと身体を寄せてくる。


 それから私の鎖骨をつぅーっと人差し指でなぞり、下の方へ滑らせてゆく。


「私の話をするのは恥ずかしいから、もうしない。代わりに──」


 アリア殿は視線を男湯と女湯を分ける仕切りに一瞬向ける。


「──あなたがモテるよう、教えてあげます。イロイロとね」


 じんわりとアリア殿の魔力が身体の芯に伝わり、一層熱く火照ってゆく。

 くらくらとする頭で私は首肯する。


 男湯の方からドボンと、何か湯が跳ねるような音がしたがもう気にならない。

 

 アリア殿は対等に話したい感じだったが、魔力に当てられただけでこの有り様。

 まったく……一層の精進が必要だな。


「じゃあ、モテテクその一ぃ──」


 アリア殿の講義が始まる──その時だった。

 

 ポツリ。


 湯に黒い水滴が落ちたのは。


「──また? イイところだったのに」


 アリア殿が顔を天に向ける。

 飛び上がろうとした瞬間──天地がひっくり返ったと錯覚するほどの大振動が巻き起こる。


「きゃぁあああ!!!!」


 一般客からの悲鳴。

 呼応して衝撃は第二波、第三波と続き、浴槽に大きな亀裂が入る。


「……私が出るわ」


 アリア殿は裸のまま天に舞い上がり、瞬時に禍々しいローブで身を纏う。


 それから膨大な魔力を練り上げて──動きを止める。



 何かがおかしい。

 

 そう認識したのか、行使しようとしていた魔法を変更する。


『雲が大きすぎる! 観測班は何故気付かなかった!? 応答しなさい!!』


 魔王軍に所属しているすべての兵に届く通信魔法。


『魔王陛下、申し訳ございません!! 黒雲は突如出現したゆえ、発覚が遅れました!!』

『よい! 状況は!?』


『黒雲は現在も拡大中! 歴史上類を見ないほどの大きさで……! 魔族領全域に影響が及ぶものと推測されます……』

  

 バチンと泡が弾けるようにして通信が切れ、中空には荘厳で分厚い黒き天幕の下に優美にぽつんと佇む魔王が残る。


 その後ろ姿はどこか弱々しく見えて……私はハッと気付かされる。

 未曾有の大天災。

 その圧倒的で広範囲に被害が及ぶ力の前では、魔王といえども矮小な動物に過ぎないのだ。


 この確信は、立場を取っ払った上での会話によってむしろ強くなる。

 彼女は私たちと隔絶とした違いはないのだ。

  

「為すべきを為せ」


 まもなくして起こる大混乱に乗じる。

 それが私の……すべきことだ。

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