第15話 進む、進ませたくない意志

 この手はいったいどれほど汚れているのだろうか。

 

 あまりにも軽い鉄仮面で恋人、友人、時には家族になりすまし、人族の仇となる者を切り捨ててきた。

 それに関して自分自身を悪だとも正義だとも思わない。

 あくまでも仕事、あくまでも自分ではない『何か』によって成してきた行為だからだ。

 これを頭から否定するならば、スパイの存在意義を問わねばならなくなる。


「ぱぱ……腕が、消えてる??」


 そして今、リムを冷徹に──すことによってアリアの命が救われ、ひいては魔族の勝利に直結する。

 シナリオに強制力があったとしても、アリアを討てる者が存在しなくなれば非力も同然。

 

 シド・ウシクなら事もなく成せる。

 前世の俺も、アリア至上主義。


 なのに何故──魔剣を握る手が動かないのだ?


 いつもと同じだろ。

 阿呆なのか?


「……っ」


 リムよ。

 何も知らないリムよ。

 そのような純朴な目で俺を見ないでくれ。


 ……。


「なんで……ぱぱは泣きそうなの? あんなに、楽しかったのに」

「え……」


 ばかな。

 仕事に私情を持ち込んでいるのか、この俺が。


 

 ああ……そうか。

 私情。


 今、俺は生まれて初めて命令以外で──自分自身の判断で『裏切り』を働こうとしている。

 それで罪悪感を感じているのか。

 いや、それだけでは弱いな。

 感情を殺す訓練は呆れるほどにやってきた。


 もう一つ。


 この世界よりもずっと平和な場所でのうのうと暮らしていた前世の俺が、推しを救うためにできることをやり切るつもりでいたにも関わらず、優柔不断にも怯えている。

 

 奴の推しを救いたい気持ちは紛れもなく本物だが、どうしようもなく甘いのだ。

 できることなら何も失わず異世界をエンジョイしながら、異世界チートもののように恩寵を受け取りたいと根底では思っている。

 そして、実際に強大な力を得ているものだから、すべて上手くいくと当然のように思っている。

 だからこんな風に中途半端なのだ。


「……難儀なことだ」


 前世の記憶は俺という存在をややこしくしやがった。

 バカみたいに命令に従う人生で、感情を殺しながら生きていけるならどれだけ楽だったか。


 笑おう。

 自然に。

 そういうのは得意だろ?


 ──魔剣から手を離し、代わりに事前に仕入れておいたお菓子を取り出そうとした。


 その時だった。


「あ、雨」


 ポツリ。

 ただの雨じゃない、黒い雨。


 魔雨《サモン・スコール》だ。

 気づかなかった、いつの間にか天を覆い尽くしていたのだ。

 さすがは天災、不可避が過ぎる。 


「帰ろう、あぶ」

「ぁ、ぁい、ぁああ……??」


 転移するために手を伸ばした手が打ち払われる。

 

 リムが、黒く濡れた両手を悲痛な目で見ている?


「ぃたい。いたいよ……っ!??!?!??」

「──っ!? ああっ、だから早く」


 もう一度、寄ろうとした瞬間──丘全体に大きな亀裂が走り、ひび割れによって必然的にリムとの距離が遠くなる。


 リムの魔力刃だ。

 まずいな、暴走している。


 雨に反応しているのだろう、一刻も早く助けなければ一大事になる。


 しかし……それを許してくれないからこその天災。


 雨が凝固し、魔物の形を形成してゆく。


 オークにコボルトにオーガにゴブリンに……とにかくたくさんだ。

 まあ、ブーストがかかって強化されているとはいえ雑魚ばかりだがな。

 さっさと一掃して──って、うん?


 奴ら、様子が……足元を取られている?


 蔦が絡みついて──グチャ──と。

 ララキル花に吸収されていく。

 それだけじゃない。

 ララキル花が二足歩行する化け物となって丘の表面をむしり取りながら立ち上がってくる。


「魔物を喰らうこともある……らしい」


 と、攻略wikiには書いてあったな。

 そして喰らった魔物で受肉する。


「だが、雑魚を食ったところで──」


 問題ない。

 そう思ったのは束の間。


 オーク型のララキル花が植物で作り上げた槍を凄まじい豪速球で投擲してくる。


 これを顔を動かし何とか避けることに成功するが、わずかに頬を切ったせいでパックリと皮膚が割れて出血してしまう。


 ありえないほどの強さ。

 そう思い、よくよく観察してみると奴らがリムの魔力を内包していることが分かった。

 一体一体がアリアと一緒にボコったドラゴンと同程度の魔力量。

 そんなのがざっと二十。

 正直言って冗談じゃない、放っておけば王都全域に甚大な被害が出るレベルだ。

 魔王軍が攻め込むまでもなく。


「ドラゴン二十体と考えれば……やばいな」


 しかし。


「おーい、リム!! こいつら倒すの手伝ってくれないか!? 痛いと思うが……っ」


 主であるリムなら瞬殺だろう。


 早急に決着をつけるために取れる最適解だ──が、リムはガクガクと震えながら後ずさるのみ。


「ぱぱ……ごべんなさい。わたしが……っ、悪い子だから」


「っ、そんなことはない! 悪いのは雨だ!!」


 そう、なんたって都合よく都合の悪いことが起こるんだ。

 

 雲は王都全域に広がっているようだが、タイミングがあまりにも出来すぎている。

 なぜ、今日なんだ。

 リムが外出している時を狙ったとしか思えん。


 ああ……っ、分析している場合じゃないな。

 

 リムがっ、リムを早く助けなければ。

 小さなあの子が、本当に壊れてしまう。


「……違うんです。この雨は──わたしの味方をするんです。だから、だから……っ、わたしのせいです」


 そんなはずがない。

 仮にそれが出来たとしても、リムにどんな動機があって行動に移すというのだ。


 どんな動機があって──────


「……」

「すみません──ッ、もう、一緒にはいられません……」


 声を上擦らせながら吐き捨ててリムは背を向けて走り出す。


「な──っ、待ってくれ!」


 届かぬ声。


 この瞬間、俺の心臓にポッカリと穴が空いたような錯覚を覚えた。


「…………また、かよ」


 知っている。

 ゲームをやっていた時に感じたアレだ。

 アリアが死ぬ間際に感じたあの感情だ。


 必死に手を伸ばそうとも残酷なまでに届かない。

 破滅と分かっているルートを選択しなければならないゲームとはまた違ったえげつなさ。


「ったく、なんなんだよ」

 

 俺がどう行動しようとも後出しジャンケンのように手を潰そうとしてくるものだからクソゲーにも程があるだろ。


「ふ、っふふ。ははっははは。上等だ」


 イカれすぎてて逆に呆れて吹っ切れるわ。

 あー、燃えてきた。

 この感情はきっと、推しが増えたことによって芽生えたものだ。

 歓迎しようじゃないか。

 前世の俺の考え方は甘ったれだが賛成だ。

 全部掴み取ってハッピーエンドに無理やりルートをねじ込んでやる。 


「70」


 今度こそ躊躇いなく魔剣を抜き放つ。


 同化率は70。

 60以上は適性のある俺でも負担が大きいがなりふり構ってはいられない。


 俺の肌が黒く変色してゆき、周囲を黒いモヤと無数の目が浮遊する。


「あー、くそいてえ」


 右手に携えた魔剣は一本の黒い刀となる。

 この段階にまで至れば、武器の形は装備者の思うがままに変態する。


 して、どうしたよ、襲いかかってこないが……。


 恐怖か、それとも誰かの命令で硬直状態を保って時間を稼ごうとしているのか。


「……第七指定魔法──『完全魅了パーフェクト・チャーム』」


 一番近くのオーガに使用。

 効きは悪いが……。

 

「お前の主人は誰だ?」


 喋らせることには成功する。


『……っ、イエナイ』


 言えない──ね。

 所詮は魔物の知能か。


「そうか、了解した」


 これ以上の会話はなく。

 俺がオーガを一太刀で両断することによって戦いの口火が切られた。

 

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