4.〝意〟

4-1.「意の概要」

4-1-1.意と念の関係

📖この節では、次の項目について説明する。

  【

  【ねん

   🖈意と念の区別

   🖈念の類型

   🖈思考は属する念によって労力が変わる

   🖈思考のストレスがもたらす興味

   🖈決め付けの機序



      †



📕【

 〈人の思う事柄〉転じて〈人の発した言葉〉さらに転じて〈言葉の意味〉の意。

 [おもい][こころもり][おぼえ]と書いて同義。


 人の思考に存在するものだが、それはきわめて「抽象的な何か」であり、それ単体では何だかよくわからないため、ぼくらは「ねん」や「がいねん」によってそれを説明づける。



      †



📕【ねん

 〈特定の意をよくおぼえておくこと〉〈意のあくや認識をすること〉転じて〈意の内包する事柄を説明するもの〉の意。

 [しき]と書いて同義。


 本来、〔念〕の字義は挙げたとおり〈特定の意をよくおぼえておくこと〉。

 が、ここでは説明をくだくため、少しそれを的にじ曲げて、〈意を説明するもの〉とかいすことにする。


   📍意と念の区別


 意と念は、似通ったもので混同されがちではある。

 ただ、念が説明である以上は論理的、絶対アカシック辞書レコード的に存在するものであり、物理世界でなにか実体を持って存在するわけではない。

 一方で、意については人の思考上で現に発生し、そこで何らかのスペースを占有している多少物質寄りな存在、という違いが有る。

 ちなみにITの分野では、この念に相当するものを「classクラスかた)」、意に相当するものを「instanceインスタンスじったい)」と呼ぶが、念とは意が発生した後にそれを解釈して意識するものであるため、〝未知の定義されていないクラスに属するインスタンス〟が発生しうる。


   📍念の類型


 意の説明の類型としては、次のようなものが存在する。


  • しき:自身が主体となる意識

   ◦かんじゅ:〝われは、こう感じる〟

   ◦よっきゅう:〝われは、こうたい〟


  • しき:自身から隔絶した意識

   ◦かんさつ:〝これは、こう成っている〟

   ◦ねん:〝それは、こう成っているかもしれない〟

   ◦おく:〝あれは、こう成っていた〟

   ◦すいろん:〝もし機序をこうすれば、ああ成るはずだ〟


  • かっとうしき:複数の意識が衝突している状態

   ◦めいわく:〝どれを、どうしよう〟


   📍思考は属する念によって労力が変わる


 ここで、「自意識寄りの念を読者に与える」物語のほうが、どうやら人気は出やすい。


 まず、自意識的な念があれば生物としての思考はほぼ成立するから、通常はそちらにかたよって思考するゆえに、慣れているもの。

 一方で、他意識的な念はほかの動物もあまり行なわず、だからおよそ不慣れで、そのぶん脳は疲れる。

 そして人の頭脳は、鬼のようにエネルギーを食う器官。

 基礎代謝量だけで比べれば、その消費量は筋肉の十倍以上と、尋常なものではないことが知られたもの。

 しかし、慣れた思考をする場合では逆に、筋肉以下に落ち込むこともまた、知られている。

 それは、情報整理などの雑どうこなしている待機時にくらべ、慣れた作業に専念する場合ではほとんどエネルギーを要しないためだろう。

 つまり簡単な作業にいそしんでいたほうが、何もしていないより疲れないわけだ。

 自動車の初心ドライバーが緊張で心底しょうもうするのに対し、ベテランドライバーが居眠りしやすかったり成人病にかかりやすかったりするのは、このため。

 ならびに体力のおとろえた老人のすいみん時間が短くなりがちなのもまた、このためだと考えられるわけである。


 とすれば、なんの刺激もない状態でじっと待つのが苦痛なのは、それが理由か。

 脳どう削減によるしょうもう抑制こそ、娯楽が求められる理由か。

 いわゆる〝頭カラッポにする〟とはそういう事かと、推定されるのだ。


 〝娯楽とは人が生きる上では必ずしも必要のない物〟?

 それはどうかな?


 なんにしても、疲労なんてものを娯楽から、ふつう得たくはないだろう。

 ちなみに挙げた項目は、「より疲れないだろう順」に並べたつもりのもの。

 それぞれの例示の先頭を見ると、ちょうど「」という言葉のとおりに並んでいる事がうかがえるが、その全てより前に「」、くわえて「」の前に「」が加わるものと考えた。

 要は、


  •  思考の労力は「」の順で増す


と想像されるわけである。

 つまり「」こと、迷惑とはヤヴァいレヴェル()で疲れるもので、これはかっとう状態におちいったならその解決のために、脳が全力どうするから。

 連続して悩まされると明らかにやつれるのは、エネルギーを大量にしょうもうさせられるからだ。

 そしてその大抵は、疲れ果てることで〝どうでもよくなる〟もので、これを「だんねんてる、すたれる)」と呼ぶ。

 逆に、疑問がすべて解決して事もすべて明らかとなり、それにより執着が消失することを「ていかんあきらめる=あきらめる)」と呼ぶ。

 なお「あきらめる」ということばが真逆の〈断念する〉の意で通用しているのは、〝それであきらめたという事にしろ〟のような言い回しから誤解されたものと思われる。

 そもそも{⿰言帝}のような御大層な姿をしている字の意が、そんな情けないものであるはずは無い。

 よって表現の適切化のため、〈断念する〉の意で「あきらめる⛏」と表記することを、ここに提案する。


   📍思考のストレスがもたらす興味


 ところで、あまりストレスフリーにしすぎても、ぼくらは興味をそうしつさせる。

 課題の解決によってていかんへ達したとき、あるいは達しそうだと見込まれたとき、〝AHAアハたいけん〟とよばれるそうかい感をぼくらは感じるもの。

 この感覚は、課題からより強くストレスを受けるほどより強まるため、このほうしゅうを得れるかどうかが、興味の発生動機として大きいのである。

 そうだ、たいのあの〝読める、読めるぞ!〟も、AHAアハ体験が起こっているのだ!(


 ところが受け手の問題解決能力、すなわち「IQアイキューのうすう)」のによって、慣れている思考レベル、適切なストレス加減が変動するため、そのさじ加減はきわめて難しい。

 たとえばおもしろいと思う物を、インテリから〝くだらない〟と否定され、〝アイツは人間味のないめた奴だ〟と嘆かれる例が、よく聞かれるだろう。

 しかしこれは、単にストレス加減が合わなかったというだけで、べつにインテリが娯楽に興じないわけではないのだ。

 この事から、〝人と人はIQに差があると日常会話が成立しない〟とわれる。

 IQについては、次章〖4-2.意の粒度〗で解説する。


 ちなみに許容できるストレス加減は、体調によっても変動する。

 判断をになう頭脳が、飽くまでいち体器官であるからだ。

 そして皆が、余暇においてすら疲れ果てている場合が多い現状では、込み入った話題は受け入れられづらいことが予想される。

 逆に言えば、興味を持って読み始めたはずなのに読み疲れてしまった、という場合には体調を万全に整えてから再読するといい、それはきっとおもしろいぞ。


   📍決め付けの機序


 なお、〝あの人は自分を思っているのではないか〟とじょうに意識することが、俗に「しきじょう」とわれるもの。

 しかしこの意識は「ねん」であって、つまり他意識に属するものなので「しきじょう」と呼ぶのがとうである。

 自意識とは、自身の「かんじゅ」や「よっきゅう」を主体とした意識のこと。

 つまり逆に〝あの人は自分を思っているのではないか〟とじょうに意識することが、〝という事にしたい〟という「よっきゅう」のあらわれだとも解釈できるからこそ、自意識じょうと呼ばれたものである。

 この誤用は、そのような分別ができない人が混同をして広めたものと思われるが、こうした語の誤用もおそらく〝自身に過誤など無い〟という、決め付けによるもの。

 その「け」という行為もまた〝という事にしたい〟というものであるから、「かんさつ」や「すいろん」ではなく「よっきゅう」、つまり自意識に属する。


 このような感じで、多くの人が多くの場合、自意識寄りの思考をするもの。

 そうやって決め付けが横行するのも、他意識寄りの思考が単純に疲れるせいで、忌避されがちだからだろう。

 それはエネルギーのしょうもうおさえようとする事であり、つまり生物としては合理的判断であるから、「けはひとしゅうせい」とも言える。

 言えはしても結局それは、長距離走に耐えかねてせつした人が、完走した人へ向かって〝オレのほうが長い距離を走れる〟とか言い放っているようなものだ。

 〝わけがわからないよ〟とでも返せばいいだろうか(


 あるいは「りょく」とは、〈脳の⦅フィジカルな⦆体力〉の事であるのかもしれない。

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