宣言

 ざっくり並べると、まず人があり。

 人は、思いを持ち。

 意とは、思いの個々それぞれの事であり。

 言葉とは、その思いの個々それぞれを直接指し示す、抽象的なかぎであり。

 語とは、言葉を物理世界で表現する、具象的な手段であり。

 そして文字とは、語を文面で記述するときに利用される、道具であり。

 これらを用いてぼくらは、げんを作り発して、思いを伝える。


 その関係を図示するなら、大まかにこのような感じとなる。


  • :思い(人の認識として存在)

    ↑

  • げん:意を指し示す抽象的なかぎ(人の認識として存在)

    ↑

  • :言葉の姿や名称(物理的に存在)

    ↑

  • :語の構成部品(物理的に存在)


 このように順次的に関係するものであるため、この四要素をあくできていない部分については、ぼくらは言葉の受発信に失敗する。

 よってこれに沿い、「」「げん」「」「」の四章に分けて、これから「こと」というものを説明していく。

 なお、各章に分かれて説明をする都合上、同様の説明が繰り返されている場合が有るが、そこはご容赦あれ。


 なお、言葉を遣うには一定の覚悟が必要である、と思われる。

 飽くまで抽象的なものであるため、たとえば生まれつきもうもくな者に対する色情報など、言葉を尽くしても伝わらない事柄だって有るもの。

 つまり言葉は万能ではなく、「ことつづる」とはその〝かんぜんせいとのたたかい〟とも言える。

 しかし、その不完全性の軽減のためにできるのは、発する語をせいぜい辿たどれるかぎりの原義からゆがめずに、通用させることくらいだ。

 また言葉とは、そもそもだれが設計するともなく、成り行きで成り立っているもの。

 よって「なにただしいか」という判断は、どこのだれにもできない。

 したがって、ここで書きつづっている事も飽くまで「便べんじょうかいしゃく」に過ぎない事は、またそのため仮定に基づく推論が含まれる事もあわせて、あらかじめご了承願いたい。


 それでもこんな物を書く理由は、二つ。

 一方は、「やはりことばとは思いを伝えるものなのだから、伝わらないと悲しいし、だから極力きちんと伝わるようになったらいい」という考えから。

 もう一方は、「なんだかんだ言って、ことばは理解できればオモロイし、理解した上でことばを使うのは楽しい」からである。

 そこらへんはクルマ趣味なんかと同じだ(


 これを読んでいるあなたは、どうだろうか。

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