第33話 コンスタンティノープルの庭
それから六年後。
新しいローマ帝国の都として造営されたコンスタンティノープルの
二人の幼児は、隣同士仲良く手元の絵本に見入っていた。
「それは
二人の後ろにいた女性が、そう声を掛けた。
「はい、母様。とても素晴らしい絵です。」
そう言った一人の幼児に、女性の
「皇太子殿下。お言葉をきちんとなさいませ。母様などではなく、
そう言われた幼児は、慌てて口を押さえた。
「そうでした。でも
それを聞いた皇妃が、笑みを漏らした。
「この場だけなら、良いのですよ。皇子は、本当に炎珀とは仲が良いのですね。まるで兄弟のようですね。」
皇妃からそう言って笑いかけられた皇子が胸を張った。
「炎珀は、供回りの者達が知らぬ事を、色々と私に教えてくれるのです。前に炎珀と一緒に離宮を抜け出した時の冒険は、本当に楽しかったです。」
それを聞いた女官達が顔をこわばらせた。
すると皇妃は、女官達の動揺など気に留めない様子で皇子に問いかけた。
「まぁ、どんな冒険だったのです?」
「離宮の森にいる野生の
「それは、大変な冒険でしたね。しかし冒険をする時には、くれぐれも注意をするのですよ。女官達の顔色をいつも青ざめさせてしまっては、それも問題でしょう。」
皇妃の言葉を側で聞いていた炎珀が
「私は、皇妃様や皆様にご心配を掛けてしまったのですね。そんな積もりはなかったのですが…。申し訳ありません。」
それを聞いた皇妃が、炎珀に歩み寄った。
「何を言うのです。男の子は、少しくらいは
そう言った皇妃は、二人の
その時、庭に二人の人物が現れた。
その姿を認めた皇妃は、柔らかな笑みを浮かべながら立ち上がった。
「
皇妃に声を掛けられた二人は、
「皇妃様、我らを敬称付きで呼ぶのはおやめください。何度も申し上げていますが、
すると皇妃は、二人に向けた笑みを一層強めた。
「お二人は、暁からお預かりしている大切な
それを聞いた胡蝶は、皇妃に対して片膝を突き、ローマ式の拝礼を行った。
「しかし、炎珀に対しては、親しく呼び捨てで呼んで下さるではないですか。」
「炎珀は、皇子と同じ年にローマで産まれたローマの子です。それに皇子の兄弟のようなものですからね。私ももう一人の息子のように思えるのです。」
それを聞いた炎翔と胡蝶は、揃って頭を下げた。
「有難いお言葉です。ところで皇帝陛下は、
「私もお待ちしているところです。お二人も、陛下に呼ばれたのですか?」
すると、炎翔がやや心配気な様子で口を開いた。
「久しぶりに
それを聞いた皇妃は、思い当たる事のある眼を炎翔と胡蝶に向けた。
「…という事は、マルクスとクイントスも一緒ですね。こういう時だけ陛下に付いて来て、自分達も鍼治療を受けたいと申し出るのでしょう。二人ともちゃっかりしていること。」
皇妃がそう言って笑った時、コンスタンティヌスが、マルクスとクイントスを従えて庭に入って来た。
「皇妃。今日は事のほか顔色が良いな。何よりだ。おぉ、皇子と炎珀も一緒であったか。」
コンスタンティヌスは、二人の幼児の
「うむ、また重くなっているな。子供の成長とは、早いものだな。」
そう言った皇帝は、二人を地に下ろすと、腰に手を当ててぐいと背中を反らせた。
その様子を見て、胡蝶が心配そうに声をかけた。
「かなりお疲れのご様子ですね。身体のあちこちが固まっているのではないですか?」
「うむ。
それを聞いたマルクスが、心外だという顔をした。
「逆ではありませんか。陛下にこき使われているのは我々の方です。暁とペルシャとの国交が盛んになったのは喜ばしい事ですが、その分陛下の我々に対する人使いは、さらに厳しくなっているではないですか。」
愚痴を溢す側近の二人を見て、コンスタンティヌスはにやりと笑った。
「だから、今日は一緒に連れてきてやったではないか。このように身体が張っている時には、熱い風呂も良いが
炎翔が直ぐに拝礼し、胡蝶がクイントスに声を掛けた。
「承知致しました。クイントス様には先日は
胡蝶にそう問われたクイントスの
「あ、あれは遠慮しておく。確かに効くのだが、灸を受けている間が
それを聞いた胡蝶が小さく笑った。
離宮の一室で、三人は肩から腰にかけて何本もの鍼を受けて、並んでうつ伏せに寝ていた。
クイントスが、マルクスに向かって首を
「あの二人ですが、そろそろ
クイントスの問いに、直ぐにマルクスが答えた。
「その件だが、陛下から命じられて、私が二人に確認した。」
それを聞いたクイントスが、ほぅと言ってマルクスに顔を向け直した。
「暁には戻らぬ…。二人はそう言ってくれた。二人の間に産まれた炎珀は、既にローマの子なのだそうだ。皇太子殿下も、炎珀を
マルクスの言葉に安堵を見せつつも、クイントスは心配気な顔つきになった。
「しかしそれで良いのですか…?暁の
「帝と司馬炎殿に、
「その話、皇妃様もご存じなのですか?」
「お伝えしたところ、心より
そう言いながら、マルクスがクイントスに顔を向け直した。
「先ほどクイントス殿が口にされた次の暁の使節団だが…。皇帝陛下が、司馬炎殿を招待するようにと
二人は、隣でうつ伏せになっているコンスタンティヌスに眼を
コンスタンティヌスは、鍼の心地良さに眼を閉じ、大きないびきをかいていた。
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