第30話 シドニウスの決心
それから三日が経ち、ラサウスとパンデに退院の許可が下りた。
退院の連絡を受けて、シドニウスが
病室で退院の
「聞いていますか?シドニウス隊長が、明日から俺達だけじゃなく、あの晩に一緒に酒を飲んだ三人も
「ふうん。何の為にそんな事をするんだ?」
そう言いながら、ラサウスはパンデから視線を逸らせた。
そんなラサウスを見て、パンデの口調が少し強くなった。
「おや…。知らない
ラサウスは、パンデからそう言われてもさほど
「副長。これだけ言っても、あんまり嫌そうな顔をしないって言うことは…。たとえ灸の拷問を受けても、明日からも胡蝶様に会えるのが嬉しいって、そう思ってるからじゃないんですか?」
パンデにそう言われたラサウスは、ぎくりと身体を硬直させた。
「な、なんでそれが分かる…?」
パンデは、呆れた顔でラサウスに向き合った。
「バレバレじゃあないですか。副長の胡蝶様を見る眼、日を追うごとに熱くなってますもんね。まさか胡蝶様をローマに連れて帰りたいとか、逆に自分が
「な、
パンデは、ラサウスを憐れむように見ると、はぁっと息を吐いた。
「胡蝶様って、炎翔様と一緒にいる時は、こちらから話しかけない限りは全く俺達なんか見てませんよ。あの人が見てるのは、炎翔様だけです。胡蝶様が炎翔様を見る眼は、想い人を見る眼です。副長なんかは、完全に
パンデの言葉を聞いたラサウスの眼に、
「お、お前…。どうしてそのように
ラサウスの嘆願に対して、パンデは鼻を鳴らして応えた。
「曹長っていうのは、いびり専門の役どころですからね。でも今回ばかりは、悪い事は言ってません。ここで俺が、副長の一方的な片思いに
ラサウスがパンデの言葉にがっくりと
二人を見たシドニウスが、唇の端を上げた。
「退院おめでとう。しかしお前達は、明日からも
それを聞いたパンデが、
「副長はそうかもしれませんが、俺の方は…。それに
しかしシドニウスは、二人を見詰めながら容赦のない言葉を浴びせた。
「ほぅ、そうか。お前達、あれほどの愚行を犯しておきながら、何の罰も受けずに済むと思っていたのか。俺はそんなに甘くないぞ。明日からお前達五人が、灸を据えられて
シドニウスの冷たい笑みを浴びて、ラサウスとパンデの全身が凍りついた。
青ざめた表情のラサウスとパンデを
「あの二人の顔色が
「なぁに、もう何の問題も有りませんよ。明日から受ける罰を前にして、緊張してるだけです。心配いりません。俺の最後の愛の
それを聞いたマルクスが、シドニウスの顔を
「その事なんだが、昨夜にお前が言った事、本気なんだな? 私は、本日の午後に華真殿と司馬炎殿の二人と会談をする。その時、お前の事も話さなくてはならないが、本当にそれで良いのか? 考え直すなら今だぞ。」
するとシドニウスは、既に心を決めた表情でマルクスに向き合った。
「俺の考えは変わりません。華真殿と司馬炎殿には、是非とも
「しかし、お前一人だけを暁に残すなど…。これではまるで人質のようではないか。」
「人質と言って貰った方が良いと思います。本日マルクス様が、華真殿達に話される大切な申し入れ。それを受け入れて貰う為には、人質があった方が良いですから。」
「しかし、そうは言ってもなぁ…」
まだ納得が行かない顔つきのマルクスに向かって、シドニウスは言った。
「俺が暁に残ると決めた本当の理由は、今日の申し入れとは関係がないんです。俺自身が、絶対に残りたいと思っているんです。暁に残って見届けたいものがあるんです。」
「見届けたいもの…?それは何だ?」
「二人の女神が歩む未来です。」
「女神…?あぁ、お前が入れ込んでいる
「あのお二人が常にぶれずに信念を貫く姿は、本当に
それを聞いたマルクスは、
「お前、それは
マルクスにそう言われても、シドニウスの顔には一つの動揺もない。
「惚れたのかと問われれば、その通りです。しかし決して
真剣なシドニウスの眼の色を見て、マルクスは息を吐いた。
「とことん本気なのだな。分かった。しかし暁から人質など要らぬと言われたらどうするのだ?その時は
しかしシドニウスは、今度は期待を込めた眼でマルクスを見上げた。
「そこを何とかするのが、マルクス様の交渉力ではないですか。
そう言われたマルクスは、諦めたようにもう一度息を吐いた。
「こんな時だけ、都合の良い事を…。分かった。お前の
その日の午後、マルクスからの面会依頼を受けた華真と司馬炎は、王宮の会議室でマルクスがやって来るのを待っていた。
「さて、どんな用件でしょうかね? 華真殿はともかく、私にまで依頼が届くとは…。」
司馬炎はそう言うと、窓の外へと眼を
「私にも見当が付きません。
その時、会議室の外から文官の声が掛かり、マルクスの到着が知らされた。
会議室に入って来たマルクスの眼には、今迄の交渉で見せていた以上の真剣な光があった。
「急な面会の申し入れにも関わらず、
マルクスの真剣な態度に、華真と司馬炎は居住まいを正した。
「華真殿には先日少しだけお話したのですが…。コンスタンティヌス皇帝陛下の
マルクスは苦しげな表情で言葉を繋げる。
「皇妃様は、ご自身の命が危険であっても陛下の御子を産みたいとお望みです。しかし陛下は、そのような無理をして、もし皇妃様を失うことになってはならないと
そこまで話を聞いた華真と司馬炎は、直ぐにマルクスの意図を悟った。
「しかし、私は先日素晴らしい治療法を眼にしました。
マルクスの声音には、強い興奮が混じっていた。
「しかも鍼治療は、虚弱で子が望めないと言われた女性をも無事に出産にまで導いたと聞きました。そうであれば鍼治療は、陛下と皇妃様を
すると華真は、確認するようにマルクスに尋ねた。
「つまりマルクス殿は、
「炎翔殿だけでも結構です。だから父上である司馬炎殿にも同席をお願いしました。鍼治療を行うのは炎翔殿なのですよね。」
そう言うマルクスを見て、司馬炎は首を横に振った。
「炎翔だけでは無理でしょう。炎翔と胡蝶。今ではあの二人は一体の存在なのです。特に患者が皇妃様となれば…。胡蝶が欠ければ、炎翔は持てる力の半分も出せないでしょう。」
「ならば、あのお二人を揃ってローマに貸し出して下さい。伏してお願い致します。」
すると華真が、改めてマルクスに向き合った。
「これは、
「勿論です。お二人のローマにおける安全を我らが保証する
「それは、二人の安全を
「そう取って頂いて結構です。」
華真は、あっさりと返事を返した。
「必要ありませんよ、そんな人質…。きっと帝はそう
それを聞いたマルクスは、
「それは、困るのです。シドニウスについては、本人の強い希望もあり、是非とも暁の地にてお預かり願いたい。」
「
マルクスは、やや
「こんな事を突然言ってしまうのは
それを聞いた華真と司馬炎は、
そんな二人の顔を見たマルクスは、慌てたように言葉を足した。
「但しあいつの場合には、色恋は一切関係ありません。あのお二人の未来に惚れたのだ、そうシドニウス言っていました。その感覚は、若き皇帝陛下に初めて
華真と司馬炎は、黙ったままマルクスの言葉に耳を傾けていた。
「しかし統一を果たした後のローマを安定させる為には、それまでのがむしゃらさだけでは通用しません。
マルクスの言葉に、司馬炎が納得の表情を見せた。
「当然だと思います。広大な帝国を治める為には、
「そんな政務に
「しかし、それは…」
言葉を
「分かっています。本来はそのような政務は、側近である我らが陛下に代わって行うべきなのです。しかし恥ずかしながら、陛下の
それを聞いた華真が、溜息を
「だからといって、羅馬には戻らず一人暁に残るなどとは…。」
マルクスは、既に嘆願の口調になっていた。
「
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