第28話 困った患者

 その夜、一人の顔馴染みの武官が、副長のラサウスの部屋をおとずれて来た。

「どうしたのだ?このような夜更よふけに…」

 訪れて来た武官は、やや声をひそめるようにラサウスに言った。

「昨晩のうたげの酒、美味うまかったですよね。」

 ラサウスは、きょとんとした表情でその武官の顔を見返した。

「あぁ…そうだな。しかし、それがどうかしたのか?」

 すると武官は、ラサウスの耳元に口を寄せた。

「あの酒が有るんですよ。宿営所の厨房ちゅうぼうの倉庫に。先程、俺が見つけたんです。あの倉庫は酒蔵さけぐらを兼ねてるみたいで、棚一杯に酒が並んでいました。」

 ラサウスは、思わず武官の顔を覗き込んだ。

「まさか、お前…。それを盗み飲みしようと考えているのではあるまいな?」

「人聞きの悪い事を言わないで下さい。宿営所の食堂の卓には、いつも料理が用意してあって、いつでも食い放題って言われてるじゃないですか。それに昨晩の宴では、酒も飲み放題だったじゃないですか。それなら厨房倉庫の酒だって、少しくらい持ち出しても問題無いでしょう?」

 ラサウスは、あきれたように武官を見返した。

「お前、そういうのはこじつけと言わないか? 今の話、他の皆も知ってるのか?」

「俺と同室の三人だけです。流石さすがに大勢で一斉に酒を持ち出せば、直ぐに酒は他の場所に移されてしまいますよ。だから副長にもこっそりとお伝えに来たんです。あの酒、もう一遍呑みたいと思いませんか?」

 それを聞いたラサウスの咽喉のどがごくりと鳴った。


 次の早朝、宿営所の一室から、三人の兵があわてふためいた顔で飛び出して来た。

 その慌てように気づいた他の兵達が部屋に足を踏み入れると、中では二人の男が床に転がってもがき苦しんでいた。

 部屋の中の床には何本もの酒瓶が転がり、食堂から持ち込んだ料理の皿が散乱していた。

「何の騒ぎだ。こんな朝早くから…」

 騒ぎを聞き付けたシドニウスが、直ぐに部屋に駆けつけて来た。

 シドニウスは、部屋の中で七転八倒しちてんばっとうして苦しむ二人を見て呆然ぼうぜんとなった。

「ラサウス!何故なぜお前が、こんな所にいるのだ!」


 シドニウスは、最初に部屋から飛び出て来た三人の兵士達の前に立つと、怒りをこらえながら尋ねた。

「この有様ありさまは、何がどうなった結果なのだ? 包み隠さず答えろ!」

「さ、酒を、厨房の倉庫から持ち出しました。副長のラサウス殿も、少し位なら良いだろうと申されましたので…。」

「それは、分かった…。だが、どうしてこのようにラサウス達がもだえ苦しんでいるのだ?今にも死にそうな有様ではないか…。」

 シドニウスに問い詰められた三人の兵士は、誰もが一様に首を振った。

「わ、分かりません。我らは昨夜ラサウス殿達と酒を飲み、そのまま酔って寝込んでしまったのです。先ほどうめき声で目覚めると、このような状況に…。」

「いつから苦しみ出したのだ?」

「分かりません。我らも酔い潰れて、先程目覚めたばかりなので…」

 その時ようやく、使節団に帯同している医師が駆けつけて来た。

 ラサウス達を触診する医師に向かって、シドニウスが尋ねた。

「どうなのだ?何故なぜこのように苦しみもがくのだ? もしや食当たりか?」

 その問いに医師は首を振った。

 食当たりではないと思います。この苦しみよう、単なる食中毒とは思えません。」

「では、どうしてこのような有様になるのだ。」

 そう問われた医師は、途方に暮れた表情になった。

「…分かりません。」

「分からないだと…。何を言っている!お前は医師であろう?」

「本当に、見当がつかないのです。しかし、この苦しみようから見ても、これは尋常では有りません…。」

 そう言った医師は、思い付いたようにシドニウスの顔を見上げた。

「王宮の医師に応援を求めるべきと思います。昨日、私は王宮の医師達と、医療について様々な意見を交わしました。その時に聞いたのです。今の王宮には、神の如き技を持つ医師達が滞在していると…。」


 王宮医師処からの緊急の要請を受けて、華鳥かちょう胡蝶こちょうが使節団の宿営所に急行して来た。

 食中毒の疑いがあると聞かされた厨房長ちゅうぼうちょうも、慌てて宿営所に駆けつけて来た。

 床に寝かされた二人を容体を見た華鳥は、横に立つローマの医師に尋ねた。

「いつから、このような状態なのです?」

「早朝に私が駆けつけた時には、既にこの状態でした。」

 華鳥は、少し考える仕草を見せた後、顔を挙げた。

「一緒に酒を飲んだ他の三人の方々には、何も異常は無いのですね?」

 ローマの医師がうなづくのを見て、華鳥は後方に立つシドニウスを振り返った。

「その三人の方々を、直ぐに此処ここに呼んで下さい。」

 シドニウスに呼び出された三人は、まだ動揺を隠せない顔付きで華鳥の前に立った。

「貴方達三人は、此処ここで苦しんでいるお二人と共に、厨房倉庫から持ち出した酒を一緒に飲みましたね?」

 華鳥の問いに、三人は一斉にうなづいた。

「その酒を飲んだ時一緒に食べたのは、食堂できょうされていた料理でしたね?」

 その問いに対しても、三人は同じように頷いた。

「それでは聞きます。此処にいるお二人だけが食べ、貴方達三人は口にしなかった料理は有りましたか?」

 その問いには、二人が首を振り、一人が何かを思い出そうとするように考え込んだ。

「何か思い当たる事があるのですか?」

 もう一度華鳥に念押しされたその兵士は、思い当たったように顔を挙げた。

「あの時は酒が進んでいて、我々三人はへべれけで寝落ち寸前でした。そんな時、曹長そうちょう…。副長と一緒に此処に寝かされているパンデ殿ですが…。そのパンデ殿が、倉庫に酒のつまみを探しに行ったんです。副長と曹長の二人は、蟒蛇うわばみと呼ばれるほどの酒豪ですから、まだ飲む積もりだったんだと思います。戻って来た時、確か赤黒い肉の塊を持っていた気がします。」

 すると、同席していた宿営所の厨房長が、その肉の正体に思い当たった。

「それは、きっといのしし熟成肉じゅくせいにくですね。倉庫の奥で保存していた物です。」

 それを聞いて、華鳥の眼が光った。

「その肉をどうやって食べたのです?」

 その問いに兵士は首をひねった。

「そこ迄は分かりません。自分は、曹長が肉の塊を持って部屋に戻って来たのをおぼろげに覚えているだけなので…」

 兵士の言葉を受けた厨房長が部屋を見回した。

「火を使った形跡は無いですね。と、言う事は…」

 それを聞いた華鳥が嘆息たんそくした。

「生で食べたのですね…」


 華鳥は寝かされている二人に、もう一度眼をった。

 先程まで腹を押さえてもだえ苦しんでいた二人は、もはやうめき声を挙げる事も出来ない様子で、全身を細かく痙攣けいれんさせていた。

 二人の状態を確認した華鳥が、胡蝶に指示を発した。

「王宮の医療処に、麻酔と手術器具の準備を急いで。」

 にわかに動き始めた胡蝶を見て、ローマの医師が華鳥を見た。

「何をする積もりなのです?」

 華鳥はローマの医師の顔を見据えると、りんとした声音で答えた。

「腹を切ります。このお二人がこのように苦しんでいる原因は、腹の中の腸という部分に有ります。」

 ローマの医師から、華鳥が手術をすると聞かされたシドニウスが顔色を変えた。

「腹を切る…? 傷も負っていないのに、何故なぜそんな真似をせねばならないのですか?」

 ローマの医師とシドニウスの顔を交互に見ながら、華鳥は自分の診断を伝えた。

「このお二人は、厨房倉庫に保存してあった猪の熟成肉を食べたのだとと思われます。しかも、生のままで…。別の食材の話になりますが、魚を生のままで食すと、場合によっては食当たりを起こすという事は、貴方もご存知なのではありませんか?」

 ローマの医師は、華鳥の言葉にうなづいた。

「大型の魚で良く起こる食当たりですね。確か魚肉に潜む寄生虫が原因と聞いています。」

 ローマの医師の言葉を耳にしながら、華鳥はもう一度自分の前に立つ二人を見据えた。

「それと同じ事が起こっているのだと思います。このお二人が食べた生肉は、魚などよりも遥かに身体の大きな野生の猪。しかも、常温で熟成保存されていました。寄生虫が肉繊維の中にじっと潜んでいたのでしょう。それを生のまま口にしてしまった事によって、寄生虫がお二人の体内で活性したのだと思います。恐らく、お二人の腸へと喰らいついているのでしょう。この尋常ではない苦しみは、その為だと思います。」

 華鳥の説明に、ローマの医師は怖気おじけづいて身震いした。

「し、しかし…。もし寄生虫が腸の中にいるとしても、その居場所をどうやって探り当てるのです? 私は手術というものを、自分の手で行った事はありません。しかし、人間の腸は身長よりも長いという話は聞いています。それなのに、どうやって…」

「寄生虫に喰らいつかれた場所は、れて色が赤変せきへんしている筈です。しかも、これ程の激痛を与えているとなれば、魚の寄生虫などとは違って、触診でも見定められる程の大きさでしょう。説明は此処ここまでです。もう時間がありません。このお二人の様子を、もう一度その眼で見なさい。このまま放って置くと死にますよ…。」


 もはや息も絶え絶えとなってぐったりと横たわる二人を見たシドニウスが、直ぐに華鳥に向き直った。

「我が国の医師には、貴方の言われた手術とやらを手伝える技倆ぎりょうはない様子だ。ならば、全てを貴方達にお任せするしかない。お任せした結果何があっても、全ての責任は俺が負います。この二人を助けてやって下さい。」

 王宮医療処に緊急搬送されたラサウスとパンデの二人は、直ぐに処置室へと運び込まれた。

 華鳥達が部屋に入って一刻程が過ぎた時、華鳥を先頭として医療処の医師達が部屋から出て来た。

 処置室の前で待っていたシドニウスが、先頭に立つ華鳥に不安と期待が入り混じった複雑な視線を送った。

「どうなったのですか?あの二人は…?」

「助ける事が出来ました。原因はやはり寄生虫でした。全て取り除きましたのでもう大丈夫ですよ。」

 それを聞いたシドニウスは、大きく安堵あんどの息を吐いた。

「ただ、お二人とも衰弱がひどいので、当面は会って頂く事は出来ません。その間は、医療処でお預かりします。お会い頂ける時が来れば、改めてご連絡します。」


 華鳥にそう言われて医療処から出て来たシドニウスの前に、マルクスが駆け寄って来た。

「我が国の医師から、全て話は聞いた。ラサウス達は無事なのか?」

 するとシドニウスは、興奮を抑えきれない表情でマルクスに向き合った。

「もう大丈夫だそうです。俺はこの国にやって来て、昨日と今日、途轍もなく凄い人に立て続けに出会いました。しかも共に女神です。ニコスを救った昨夜の幼い女神。そしてラサウス達を救った今日の医師の女神。俺は今、あのお二人に猛烈に感動しています。」



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