第27話 露摸vs羅馬軍

 うたげの翌日から、代表団の五人は、ぎょうとの非戦協定並びに暁と合同で臨む波斯国ペルシャに対する外交交渉について、詰めの打ち合わせに入った。

 交渉の間、暇を持て余した使節団の兵達は、暁の兵達に対して合同訓練を申し入れた。

「合同訓練だと…。何をする積もりなのだ?」

 いぶかしげに尋ねたシドニウスに対して、代表の武官は胸を張った。

「体術の試合ですよ。昨夜の宴会の席上で、暁の連中と約束したんです。武器など無しで、身体一つの勝負をしようって…。大丈夫ですよ。図体ずうたいは俺たちの方が遥かにでかいし、格闘技にも自信があります。負ける事なんてありませんから…」

 武官の話を聞いたシドニウスは、しばらく考えを巡らした後に許可を与えた。

「良いだろう。但し加減と言うものを考えろよ。体格差は歴然としているのだからな。」

 ところが、その日の夕方に宿営所に戻ってきた兵達は、いずれもげっそりと疲れ切った顔付きをしていた。

「どうしたのだ?まさか負けたのではあるまいな?」

 シドニウスに問われた武官は、うつむき加減のまま答えた。

「負けてはいません。でも勝ってもいません。勝負全体では引き分けといった所でした。申し訳ありません。」

「どう言う事だ?」

「暁の兵達の体術と言うのは、我々が見た事が無いものだったんです。正面から取っ込み合うんじゃなく、を取って足技を使うんです。まるで風車のように脚を回転させて迫って来るんです。しかもそれが、厚板の数枚など簡単に叩き割る程の威力でした。」

 シドニウスは絶句した。

「兵器の質では圧倒的に負け、体術でも互角止まりだと言うのか。」

 そう言うシドニウスの前で、武官が上目遣うわめづかいでシドニウスを見た。

「何だ?他にも報告する事があるのか?」

 しかし武官はその先の言葉を飲み込んだ。

「いえ、報告は以上です。」


 武官の報告には、本当は続きがあった。

 試合が終わった後、ローマの兵の一人が暁の兵に問いかけた。

「王宮には、守護神と呼ばれる白い狼がいるそうだな?」

「白い狼? あぁ、露摸ろぼの事だな。あれは超常的ちょうじょうてきな存在だ。仙人が使うという瞳術どうじゅつの持ち主だ。露摸の前では、どのような者でも赤子同然あかごどうぜんだ。かなうものなど誰もおるまい。」

 それを横で聞いていたローマの兵長格の武官が、興味深そうに話に加わった。

「しかし所詮しょせんは只の狼なのだろう? 超常的など、幾ら何でも言い過ぎであろう。誰もかなわぬと言ったが、どの程度の人数を相手に出来るのだ?」

 暁の兵達は、その言葉に怒りをあらわにした。

「我らの守護神を侮辱するのか。そうだな。此処ここにいる羅馬兵の百人が立ち向かっても、露摸にはかなうまい。」

 それを聞いたローマの武官が、不敵な笑みを浮かべた。

 本日の体術試合が互角で終わった事にもやもやとした気持ちを抱えていた武官は、気晴らしに格好の材料を見つけたと考えた。

「面白い。そうまで言うのなら、その露摸とやらと我ら百人との対戦を申し込みたい。その狼を捕らえる事が出来れば我らの勝ちだ。この対戦、まさか逃げる事はないでしょうな。」


 その話を聞かされた露摸のあるじの耀春は、直ぐに拒否の姿勢を見せた。

「馬鹿馬鹿しいです。そのような対戦に露摸を連れ出すなど。断固としてお断りします。」

 ところがその場には、たまたま耀春に会いに来た華真が居合わせていた。

 華真はローマ軍と露摸の対戦の話を聞くと、面白おもしろそうな表情になった。

「この対戦、受けても良いのではないかな。露摸ならば、相手の一兵すらも傷つける事はないだろう。露摸の力を見たいと言うのなら、見せつけて差し上げれば良い。私も、露摸の瞳術を一度見てみたいと思っていた。」

 こうしてローマの百人部隊と露摸の対戦が行われる事になった。

 競技場には、いまだ気の乗らない表情の耀春と、初めて観る露摸の瞳術どうじゅつ興味深々きょうみしんしんの華真も姿を見せた。

 舞台の開演を待つようなわくわくとした表情を見せている華真に向かって、耀春がそっと語り掛けた。

「叔父様。良いのですか?このような場所にいて。王宮では羅馬との交渉が行われているのでしょう? そちらをすっぽかすなど、後でみかどからお叱りがあるのではないですか。」

 心配気な耀春に向かって、華真はにこりと笑ってみせた。

「問題ない。このような時の為に、羅馬の言葉に通じた優秀な文官達がいるのだ。基本の方向性は固まっているし、司馬炎しばえん殿も徐苑じょえん殿もいる。私一人いなくとも何の支障もない。」

 そう言った後で、華真は思わず額に手をやった。

「しまった。みかどもお誘いすべきだったかな。帝も露摸の瞳術にはすこぶる関心を持たれていたからな…。」

 それを聞いた耀春は、呆れたように眼を見開いた。

 そしてその後、あきらめたように息を吐いた。

 こうして、ローマの百人部隊と露摸の対戦が始まった。

 ローマ軍の前に現れた露摸を見て、兵達の腰が引けた。

「何だ、此奴こいつは…。只の狼じゃないぞ。」

 露摸の全身から発する闘気に、ローマの兵達は怖気おじけづいた。

 兵達の様子を見た兵長が、声を張り上げた。

「何をひるんでいるのだ。相手は只の獣だぞ。一斉に取り囲んで捕獲しろ!」

 その様子を見ていた華真が、あざけるような笑みを浮かべた。

 ローマ兵達が一斉に露摸に向かった瞬間、露摸の瞳が金色こんじきに光った。


 宿舎に引き揚げるローマ兵達は、誰もが沈黙したままだった。

 重い足取りの全員の眼からは、全ての覇気はきが消え失せていた。

 体術試合では、体格で遥かに劣る相手に対して良くて引き分け。

 その上、露摸一頭を相手に、百人部隊全員が手玉に取られてしまった。

 兵長格の武官の横で、一人の兵士が力ない声で尋ねた。

「シドニウス様には、どう報告したら良いのでしょうか?」

 そう問われた武官は、疲れ果てた顔で言葉を絞り出した。

「このような事、報告のしようがない。たった一匹の狼の前で、百人部隊の全員が金縛かなしばりにあったなどと…。しかもあの狼は、その後我ら一人一人の顔をひとめした後で、悠然と引き上げて行ったのだぞ。言葉通りに、我らは完全に舐め切られたのだ。報告したとしても信じては頂けぬだろう。」


 後日、他の兵達から露摸との対戦を聞いたシドニウスは、何とも言えない表情を見せた。

「あの女神の使い魔が相手だったのか。ならばそんな事もあるやもしれぬな。それにしても、あのような聖獣を手の内に置くとは…。あのようなたおやかな風情の何処どこに、そんな強さが潜んでいるのだ…。」


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