第23話 暁と羅馬の外交

 二日目の朝、使節団の宿営所に設けられた食堂には、早くから大勢が押し寄せていた。

美味うまいなぁ、どれもこれも。特にこの蒸したパンがたまらん。中から熱い肉汁が溢れ出して舌が火傷やけどしそうになるが、その汁をこぼすのが惜しい。」

「通訳から聞いたんだが、包子パオズと言うんだそうだ。肉だけでなく、海老とかも包んで専用のかごで蒸し上げるそうだ。」

「何と言っても、卓に並べられた料理の全てが食い放題と言うのが良い。ついつい食いすぎてしまう。しかし今日ばかりは、朝も昼も少し控えめにしておいた方がいいぞ。今晩の宴会では、暁の人間でも見た事がない料理が出されるそうだぞ。」

 使節団の皆が騒ぎながら食事を進めるのを見ながら、クイントスが溜息ためいきを付いた。

呑気のんきなものだ。こちらは、今日の交渉の事を考えると、胃が痛んでたまらぬと言うのに…。折角の美味うまい料理ものどを通らぬ。」

 そんなクイントスの卓の前で、盆を持ったマルクスが立ち止まった。

「しっかりと食っておかねば、体力も気力も持たんぞ。」

 マルクスが持つ盆に乗った料理の数を見たクイントスは、また溜息を付いた。

「良くそんなに食べる気になりますね。」

「胃が痛いのは俺だって一緒だ。しかし食事だけは、しっかりとらねばな。」


 王宮の謁見の間で、志耀しようを囲む暁の側近団と羅馬使節団代表との外交折衝が始まった。

 しゅたる通訳は徐苑じょえんで、羅馬の五人の側には通訳司が付添つきそっていた。

暁国ぎょうこくとしては、ローマとの同盟を結ぶ積もりはないとのお考え、いまだに変わってはおりませんか?」

 クイントスの問いに対して、姜維きょういが答えた。

「同盟まで結ばねばならぬ必要は、今の暁にはありません。羅馬と波斯国はしこくの間のいざこざなど、暁には関係がないものです。波斯国と直接国境を接していない暁が、どうして御国おんこくと同盟を結ばねばならないのでしょうか?」

 それに対して、ミアケスがやや上目目線で意見を発した。

「しかしペルシャとのいくさの結果、ローマが勝利した時にはどうされます?…。その時を考えれば、今のうちに同盟が必要なのではないですか?」

 そう言ったミアケスに対して、姜維は手を振った。

「仮定の話には、さして興味はありませんが…。しかし今のお話は、羅馬が波斯国はしこくを滅ぼせば、次には我が暁と国境を接する国々にも侵攻すると聴こえました。そのような事になれば、暁はそれらの国を見捨てる訳にはいきません。その時は羅馬と開戦する事となります。」

 姜維の言葉に、使節代表の後方にいたシドニウスとラサウスが蒼白となった。

 ローマ文官二人の横に並んで姜維の言葉を聞いたマルクスは、瞬時しゅんじにミアケスの発言が失言だったと悟った。

 そして直ぐに口を開いた。

「同盟を求める言葉、撤回てっかいします。今後は、不戦協定の線で話し合いをさせて頂きたいと思います。」


 それ迄黙って話し合いを聞いていた志耀が、初めて言葉を発した。

「マルクス殿。不戦協定のお話は望むところです。しかし折角遠路はるばるお越し頂いたのですから…。場合によっては、我々が羅馬と波斯国の間に立って差し上げても良いのですよ。」

 志耀の言葉に、マルクスは眼をまたたいた。

「それは…どのような意味でしょうか?」

 すると志耀は、胸の前で両のてのひらを組み合わせて、マルクスの顔をじっと見詰めた。

「それにお答えする前に、一つお聞かせ頂きたい事があります。今の羅馬は、殊更に波斯国といさかいを起こす必要はないと思えるのですが…。推察するに、今の帝国に必要なのは何よりも内政の安定の筈。それなのに何故なぜ、波斯国と衝突を繰り返すのですか?」

 志耀の問いに対して、マルクスはしばら逡巡しゅんじゅんした後に口を開いた。

「それには、我がローマの国内事情があります。今のローマでは、貴族女性を中心に、絹を使った衣装が流行しています。光沢がきらびやかな絹は、上流の婦女の間では垂涎すいぜんの的となっているのです。その絹の最大の産地と言えば…もうお分かりですね。御国おんこく…暁なのです。年々高まる絹の需要に応える為に、ローマから大勢の商人が暁に向かう道を目指しています。ローマでは、この道をシルクロードと呼んでいます。ところが、その道が暁に通じる途中には、ペルシャがある。これが衝突の原因なのです。」

 マルクスの言葉を聞いた志耀は、思わず息を吐いた。

「ほぅ。いつの時代、どこの国においても、女達が求める物に対しては、男達は逆らえないと言うことですか。……と言うことは、二国の戦いに、知らずして暁も加担かたんしていた事になるのですね。」

 志耀の言葉に、マルクスは慌てた。

「加担などと…。とんでもない事です。我らは決してそのように思った事はありません。」

 志耀は、そんなマルクスに笑い掛けた。

「そのような事情があると知ったからには、暁も一肌脱ひとはだぬぐ必要がありますね。羅馬と波斯国。両国が休戦、あるいは不戦の協定を結ぶことに対して、暁が仲介ちゅうかいに立つというのは如何いかがですか? 暁と波斯国は、これから通商の話し合いをしようとする程の間柄。波斯国も、暁が二国の間に立つのは悪い話ではないと考えるのではないでしょうか。最後は、羅馬の決断次第ですが…。」

 マルクスとクイントスが顔を見合わせ、やがてマルクスが志耀に拝礼した。

「分かりました。我らだけでは決めかねますので、帰国後に皇帝陛下にお伝えして、しかるべく決裁をたまわるように致します。」


 使節団の宿営所にある会議室に戻ったローマ代表の五人は、互いの顔を見合わせた。

「何か、上手く丸め込まれたような気もするのだが…。暁が間に立った場合、ペルシャに持ち掛けるのは、絹の安全な輸送を保証する事の筈。そうなると、商人達がペルシャを通る際には通行税を払う事辺りを、落とし所と考えているのではないでしょうか。そのような事、我が皇帝陛下に申し上げても大丈夫なのでしょうか?」

 そう言うクイントスに、マルクスが言った。

「まだ終わってはいない。今晩行われるうたげ。ここでもう一度交渉の機会がある。暁が、本当に通行税などを考えているのか、そこで確認しなければならぬ。しかもそうだとすれば、皇帝陛下に納得頂ける条件でなくてはならぬ。暁が投げた球、どう扱うべきかはこれからの交渉次第だ。皆、気をゆるめてはならんぞ。」


 志耀の居室では、姜維と華真が志耀と向かい合っていた。

「交渉の持って行き方、あれで良かったかな…。お二人は、どう思われますか?」

 志耀が発言をうながすと、先ず姜維が口を開いた。

「見事な差配さはいをされたと思います。しかし、羅馬と波斯国はしこくいさかいに、我が国の絹がそこまで関わっていたのは意外でした。」

 それについては、場の全員が頷いた。

 それを見た志耀が、一同を見回した。

「うむ。女の欲と言うものは、時として男をいくさに駆り立てる事がよく分かった。しかしこれで、暁が羅馬と波斯国の間に立つ事の建前が出来たのではないかな。」

 そう言って志耀が華真に眼を向けると、華真が笑みを浮かべた。

「ご明察めいさつです。暁としても、絹の輸出を円滑に進める事は、国をうるおす為に重要です。波斯国の方でも、暁の絹を上手く使って利を得たいと考えているでしょう。恐らく、通行税を頭に置いているでしょう。」

「それで、波斯国の方から、今になって暁に通商交渉を求めて来ているのですね。そうであれば、この交渉に羅馬をからませるのは、暁にとっても大いに利がありますね。」

 姜維の言葉に、志耀は興味深げな表情で先をうながした。

「羅馬も交渉に加わってくれれば、暁は波斯国に支払う通行税を羅馬と折半せっぱんする事が出来ます。暁は、輸出の絹を安定して羅馬へと運べる。羅馬は、のどから手が出るほど欲しい絹を安全に手に出来る。波斯国も通行税が手に入るとなれば、領内での通行の安全に積極的に取り組むでしょう。」

 姜維は、そう言った後で、何かを思い付いたように言葉を足した。

「羅馬における絹の需要じゅようについてですが、飛仙ひせんに問い合わせてみては如何いかがでしょう。飛仙の御当主ごとうしゅならば、それについて重要な情報を持っておられるかも知れません。」

 それについては、華真も大きくうなづいた。

「しかしながら、問題は羅馬の皇帝がこの話に乗るかどうかですね。羅馬にも大国の面子めんつがあるでしょうから。簡単に話に乗ると、帝国内で暗躍しているという連中が文句を言い出すでしょうね。」

 そう言ってあごでる志耀を見て、今度は華真が言った。

「羅馬の皇帝のうつわを観る良い機会ではないでしょうか。女の欲というものは、時には男達をいくさに駆り立てますが、場合によっては、戦をしずめる方向にも向かうものです。羅馬の女達の欲求に皇帝がどう応えるか…。上手く運ぶ事が出来れば、いくさなどよりも人心掌握じんしんしょうあくには効果的であると、私は考えます。」

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