第21話 使節団の到着

 半年後、海南島かいなんとうの海岸沿いにある物見所の見張り兵から、沖合に大型船が到来したとの連絡が入った。

 通報を受けた志耀は、港湾のある珠江しゅこうに向けて、一千の迎えの兵を派遣した。

 珠江の港で暁の文官達の出迎えを受けたローマ使節団は、一千の兵に守られながら、成都を目指して街道を進んだ。

 成都に向かうローマ使節団は、文官百五十名、武官も同じく百五十名の構成だった。

 髪色も眼の色も違う異国の使節団の姿を一目見ようと、街道の周辺には多くの見物の民達が群がった。


 ローマ使節団の列の中央には、団長役を務めるマルクスの姿があった。

 マルクスは、自分達が歩む広い街道が見事に整備されている事に内心舌を巻いた。

 道には小石の一つも無く、街道脇の草も綺麗に刈られている。

 これならば、馬でも楽に駆けられるし、荷馬車の通行も楽だろう。

 周辺の民達に常時手入れをさせているのだろうが…、それにしても大したものだ。

 何よりも、民達の対応が素晴らしい。

 知らない異国から来た我々に対して、好奇の眼は向けるが、無体な真似をする者は一人としていない。

 他の国では、異国の使節団が来たともなれば、あからさまに敵意の眼を向ける者達が多かった。

 使節団の列に向かって石を投げようとした輩が、警護の兵に取り押さえられる事もしょっちゅうだった。

 しかしこの国では、我々の髪色や眼の色に皆が一様に驚きを示すが、民達の顔に敵意はない。

 それどころか、野菜や果物を差し入れてくれる者達までいる。

 これは尋常ではない。

 事前にどれだけ布告を徹底させたところで、民達の空気というものは、そう簡単に変わるものではない。

 恐らくこれは、普段からのまつりごとが違うのだ。

 付け焼き刃ではない教育が、国土全体に行き届いているのだろう。

 極東の蛮国などと言って馬鹿にしていた団員も多かったが、彼らはこの民達の姿を見て、どう思っているのだろうか?


 成都に向かう旅路に於いて、宿泊と食事は全てぎょうによって手配されていた。

 使節団に割り当てられた宿坊しゅくぼうの部屋には、いずれも寝台が準備され、毎日清潔な敷布しきふと毛布が支給された。

使節団全員が一様に驚いたのは、一日三食支給される食事の多彩さだった。

 宿坊の朝夕の食卓には肉料理や魚料理がふんだんに並び、いずれも使節団の誰もがそれまでに食した事のない味付けがされていた。

 それらの料理は、口にしてみると非常に美味で、使節団の皆が毎日の食事に期待を寄せた。

 昼には、街道脇の草叢くさむら饅頭まんとうと汁が配給された。

 器から暖かい湯気が沸き上がる食事に、皆が眼を丸くした。

 ローマでの旅の食事と言えば、余程の大貴族でない限り、固いパンと水、そして干し肉が当たり前だった。

 暁に来てからの毎日の食事に、使節団の皆は歓喜した。

「とにかく、日々の食事が美味うまいな。宿の寝台も清潔だし…。使節団に選ばれた時にはとんだ貧乏くじを引いたと思ったが、こんな旅をさせて貰えるとは…。俺たちは幸運を引き当てたのかもしれんな。」

 周囲のそんな会話を聞きながら、マルクスも手にした饅頭を頬張ほおばった。

 確かにそうだな。

 食の豊かさが国の豊かさを示すと言うが、これは相当なものだ。


 二週間をかけて、使節団は成都に到着した。

 成都の城門をくぐり街中に入った使節団は、先ず下町に入り、それから成都中央を目指した。

 下町に足を踏み入れたマルクスが驚いたのは、下町の空気の清浄さだった。

 下町特有の臭いがない。

 ローマの下町では、何処どこ尿臭にょうしゅうが漂っていると言うのに…。

 一体どうすればこのような事が出来るのだ。

 マルクスは、皇帝コンスタンティヌスの補佐官としてまつりごとに参画していた。

 それゆえに、ローマの街整備と治安維持にも関与していた。

 最初の頃のマルクスは、ローマの下町におもむく度に、建物の下の側溝そっこうから漂う糞尿ふんにょうの匂いに何時いつも閉口していた。

 どうしても気になったマルクスは、直ぐ近くにいる暁の文官を呼んでその理由を尋ねた。

 マルクスから尋ねたのは、暁から送迎に派遣され、ローマで数ヶ月滞在を経験していた暁の文官だった。

 その暁の文官は、マルクスの問いにあっさりと答えを返した。

「何階建てもの石作りの建物で多くの民が一緒に暮らす羅馬とは違い、成都の民の家は小さくてもどれもが一戸建てです。それにどの家にもかわやというものがありますから。」

 ローマの下町では、おまるで用を足し、都度窓から下の側溝に投げ捨てるのが当り前だった。

「しかし、溜まった糞尿は、どのように処理しているのですか?」

「月に一度担当の者達が各戸を周って回収し、それは郊外の農村に回されます。農村には肥溜こえだめというものが設置されています。そこにたくわえて、田畑の肥料に使われるのです。」

 それを聞いたマルクスは、帰国後のローマ下町の再整備について頭を巡らせた。

 今のローマの建築事情だと、全戸にかわやを配置する事は難しいな。

 そうなると新しく都を造営した方が早いかもしれぬ。


 王宮に到着した使節団の面々には、直ぐに宿営しゅくえいが割り当てられた。

 皆が宿営に入って行く間、マルクスを始めとする上級使節の五人は、みかどへの挨拶に向かった。

 マルクスと文官二人は全身に布を巻き付けたローマの正装。

 付き従う武官の二人は、兵装の上に真紅のマントをまとっていた。

 賓客を持て成す瑞兆ずいちょうま)に通された一行は、その部屋の調度品の見事さに眼を奪われた。

 金糸が縫い込まれた豪奢ごうしゃ絨毯じゅうたん、そして金模様がほどこされた卓と椅子。

 壁にしつられた棚には、ローマでも貴色きしょくあがめられる瑠璃色るりいろに輝く壺が幾つも飾られていた。

 文官の長を務めるクイントスが、壁に飾られた一枚の絵軸の前に歩み寄った。

 クイントスはその絵にじっと見入ると、やがて感嘆の息を漏らした。

「素晴らしい…。黒一色の濃淡だけで、これ程の絵が描けるのか…。」

「クイントス殿は芸術に造詣ぞうけいが深かったですな。この絵が余程気に入られた様子ですね。」

 マルクスにそう言われたクイントスの眼は、絵に釘付けになったままだった。

「この絵に描かれた深山の空間に吸い込まれるようだ。どうやったらこんな深みと遠近感が作れるのだ。我々の知らない技法が、この絵には数多く使われている。」

 そろって壁の絵軸に見入る一同の後方から声が掛かった。

「その絵が、お気に召しましたか?」

 みかど志耀しようとその側近達が入室して来た事に気づいた五人は、慌てて拝礼をした。

 優雅な仕草で拝礼を返した志耀は、にこやかに五人を見回した。

「王宮の絵画処かいがどころでも一番の絵師の手によるものです。見事なものでしょう。私が一番気に入っている絵なのですよ。」


 その後着席した一同に向かって、姜維きょういが口を開いた。

「早速ですが…。本日はこの後、皆様が希望されている軍備視察を予定しています。到着早々ではありますが、それで問題はありませんか?」

 すると軍服にマントをまとった一人が前に進み出た。

「兵団長のシドニウスと申します。その視察なのですが…。如何程いかほどの人数に公開を頂けるのでしょうか?許可頂ける人数に合わせて、人選をしなくてはなりませんので…。」

 それに対して、姜維はあっさりと答えた。

「使節団の皆様全員、参加頂いて結構ですよ。」



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