第20話 千枚の絵皿とトウガラシ

 王宮の絵画処かいがどころでは、今日も多くの絵師達が仕事場にこもり、一心に絵筆をあやつっていた。

 仕事場の一角には四角い薄青の皿が大量に積み上げられ、壁面には巨大な二枚の山水画が貼られていた。

 山水画の表面には、黒い糸が等間隔で縦横たてよこに張り巡らされていた。

 その糸で仕切られた一画一画に向かって、絵師達が真剣な眼差しを向けている。

 絵師達は、各々が担当となる一画の部分絵を、手元の薄青の皿の上へと書き写していた。

「おい、耀春ようしゅん。この部分の色の濃さは、もう少し強めた方が良いかな…?」

 絵師達から声が掛かるたびに、耀春は仕事場の中を動き回り、絵師達に指示を与えていった。

「お隣で作業をされている季煌きこう様と、互いに確認しながら進めて下さい。この部分から色の濃淡が微妙になって来ますから。焼き上がりを念頭に置いてお願いします。」

 そんな仕事場に、何恭かきょうが姿を見せた。

「どうだ、耀春。順調に進んでおるか?」

 その声を聞いた耀春は、何恭の元へと駆け寄った。

「はい。ようやく絵師のみなさん全員の筆使いが一定して来ました。これまで二ヶ月の間、田楽でんがく様がそばについて、焼き上がりの発色を指導をして下さったお陰です。数日前から、本番の絵に取り掛かっていますが、この様子なら大丈夫と思います。」

 耀春の報告を聞いた何恭が、安堵あんどしたように息を吐いた。

「しかし、最初は驚いたぞ。二枚の元絵を各々五百に区切り、それを皿に描き移した上で、また組み直そうなどとは…。何処どこからそのような発想が出てくるのだ…?」

「父様が、田楽様の作られた皿を見せてくれたお陰です。今回の使節団接遇の目玉は、なんと言っても二日目に行われる饗応きょうおううたげですから。そこで出す献立こんだては、今父様が必死に考えておられます。使節の方々に美味おいしい料理を食べて頂くと同時に、絵も堪能たんのうして頂ければと思いまして…」

そう言って壁の巨大画を見詰める耀春に、何恭は頼もし気な視線を送った。

「それにしても、誠に良い発想だ。お前一人だけでなく、絵画処の絵師全員が今回の仕事に取り組めるとはな。全員の眼の色が違っておる。」


 田楽のかまどでは、数多くの陶芸師達が、敷地一杯に設置された幾つもの焼きかまそばに取りつき、薪木たきぎべたり、焼き上がった皿を取り出したりする光景があった。

 それを統括する田楽のそばに、一人の弟子が歩み寄った。

「しかし師匠。このように焼きかまを増やしてしまって…。先の事は、考えておられるのですか?この仕事が終わった後はどうするのですか? 多くの窯が、使われる事なくそのまんまなんて事になるんじゃあ…」

 不安気な顔で尋ねる弟子に向かって、田楽が手を振った。

「心配するな。今回の事で、多くの窯元かまもとの職人がこの地に移り住むようになっておる。そうなれば、今後のこの地は、国でも最大の陶器の産地になると言う事だ。」

 そう聞かされても不安気なままの弟子の顔を見て、田楽が笑った。

「それにな。王宮からも素晴らしい話をうかがっておる。」

 それを聞いた弟子の顔に、今度は懐疑かいぎの色が浮かんだ。

「王宮の役人の言葉なんて、簡単に信じて良いんですか?仕事をはかどらせる為に、適当な事を言ってるだけじゃないんですか。」

 そんな弟子の顔を見て、田楽は自信あり気な表情を見せた。

「いや、今回の仕事をつかさどる王宮責任者の方から、直々じきじきうかがった話だ。しかもその場には、あの大店おおだな飛仙ひせんの御当主も同席された。」

 今度は弟子の眼が丸くなった。

「へぇ、そんな偉い人達に、よく会えましたね?」

「その方は、あの耀春嬢の母者の兄君であった。めいの耀春嬢を心配されて、わざわざ声をかけて来て下さった。同席された飛仙の御当主は、なんと耀春嬢の祖父だそうだ。」

「へぇ…。それで、どんな素晴らしい話なんです?」

 何恭は、弟子に向かってその話を語って聞かせた。

「この地の直ぐ隣に、陶器を売る市場街しじょうがいを建設すると約束して下さった。の地に市場街が出来れば、此処ここで作られた陶器を買う為に、全国から人が集まって来る。かまどこもって、買主が訪れるのを待っていただけの今までとは雲泥うんでいの差だ。但し競争も激しくなるぞ。良い作品を生み出す技を磨かなければ、あっという間に置いてきぼりを喰う事になる。更なる修行が必要になるぞ。」

 田楽と弟子が話をする横で、出来上がった薄青の皿の梱包が始まった。

「これで、基本の皿の焼成しょうせいは終わりだ。明日からは、いよいよ本番となる絵付の皿が運び込まれて来る。此処ここからが正念場しょうねんばだぞ。皆、気持ちを引き締めよ。」

 田楽の掛け声を受けた陶芸師達は、おうと大声で応えた。


 潘誕の店では、主人の潘誕が厨房ちゅうぼうでにんまりと笑みを浮かべていた。

 その様子を見た華鳥が、潘誕に声を掛けた。

「嬉しそうですね。何か良い献立こんだてが出来たのですか?」

 華鳥の声に応えて、潘誕が傍(かたわら)の鍋から中身を皿にすくって、それを華鳥に差し出した。

「味見してみてくれ。あのトウガラシを使った料理だ。」

 皿にすくわれたその料理を、華鳥は不思議そうに眺めた。

「何なのですか、この料理は……。真っ赤な汁の中に、見慣れない白い食材が浮いていますね。しかも、この汁は肉を混ぜてあんのようにしてありますね。」

 華鳥から問われた潘誕は、自信の笑みを返した。

「その白いのは、大豆を潰した汁に、海水をした苦汁にがりというものを加えたものだ。淮南わいなん発祥はっしょうの食品だ。トウガラシに合わせるには、濃い味わいのものだけではなく、柔らかく滑らかな舌触りのものが欲しかった。この二ヶ月、それを考えながら作ったものだ。」

 華鳥は、潘誕に手渡された皿から、早速ひとさじすくって口に運んだ。

 途端に、華鳥の表情が変わった。

「これは…。強烈な辛味を感じるのに、直ぐにそれが何とも言えない旨味うまみに変わりますね。言われるように、この白い食材が良い仕事をしています。細かく包丁を入れた豚肉のあんのお陰で食べごたえもある。素晴らしいではありませんか。羅馬では、こんな料理が食されているのですか?」

「いや…。王宮に行った時に、徐苑じょえん殿に聞いてみたのだが、そもそもトウガラシは羅馬ではほとんど使われていないらしい。トウガラシは羅馬の更に西にある大陸の植物らしいのだ。」

 華鳥は、皿の中身をあっという間に平らげると、潘誕に空の皿を差し出した。

「おかわりを下さい。これは癖になる味です。病みつきになる人が多そうですね。」

 そんな華鳥の顔を見て、潘誕が満足気に頷いた。

「それならば早速、今晩店で出してみるか。うちの店の常連客連中の舌は一流だ。参考になる話が沢山たくさん出てくるだろうな。」


 潘誕の言葉通り、その晩の店内では、新作のトウガラシ料理を巡って、常連客達が口々に批評を言い合っていた。

美味うまいぞ、これは。途轍もなく辛いが、何故なぜさじが止まらない。あぁ、もう無くなっちまった。もう一杯、同じものをくれ。」

「俺には、少し辛すぎるかな。もう少し辛味をおさえた方が、しっかりと味わえると思う。」

「俺は、もっと辛くても良いな。この辛味があってこその料理だ、これは…。」

 常連客達の声を聞きながら、潘誕は髭面のあごを撫でた。

「ふむ…。この辛味の好みというのは、人によって千差万別せんさばんべつなのだな。各々の好みに合わせて調整出来れば良いのだが…。」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る