第18話 使節団を迎える準備

 成都では、ローマの使節団を迎える準備に取り掛かった。

「使者達を羅馬ローマに送り届ける際に、船には百名の文官を同乗させています。出航を待つ間、そして航海期間中でも、彼らには羅馬の言葉を学ばせるようにしています。大勢の使節団を迎えるのに、通訳を務められるのが私一人ではどうしようもないですから…。」

 徐苑じょえんの言葉に同意した志耀しようは、次に(おうへいを呼び出した。

「至急に潘誕殿はんたんどのの店へと使いに行って欲しいのですが…。頼まれてくれますか?」

 突然の志耀の命に、王平は眼をまたたいた。

「潘誕の店?それはまた、どうして…?」

「あの店の五人。いずれも此度このたびの使節団の接遇せつぐうに必要だからです。接遇に料理は欠かせません。私は潘誕殿以上の料理人を知りません。それと文化交流となれば、耀春ようしゅんにはその画才を大いに発揮して貰いたいと思います。そして華鳥かちょう殿、胡蝶こちょう殿、炎翔えんしょう殿。この組合せは、暁の医術の最高峰です。。遠き地からやって来るとなれば、我らの知らぬやまいを持って来るやもしれません。それが王宮医療処の手に余る場合でも、あの三人がいれば安心出来るでしょう。」


 王平が馬を駆って潘誕の店にやってきた時、店には耀春が戻って来ていた。

 耀春の顔を見た王平は、満面の笑みを見せた。

「今日は家に戻って来ていたのだな。これは好都合だ。」

 耀春は、自身が描いた絵をみかどの志耀に献上けんじょうして、その画才を認められた事で、実家に戻る事を一年前に何恭から許可されていた。

 これで絵画処へは店からの通いになると潘誕は喜んだが、耀春は通いの提案を拒否した。

だ私は修行の途中です。ですから住み込みはこれからも続けたいと思います。」

 耀春の言葉に、潘誕はがっくりと肩を落とし、華鳥はそれで良いのよという表情で耀春を見詰めた。

 気落ちする潘誕に向かって、耀春が言葉を掛けた。

「父様。今までみたいに、ずっと家に帰って来れない訳ではありませんから…。週に一度、お店の定休日には戻って来ます。そうすれば、ちゃんと父様母様とはお会い出来ますし、父様が私にお弁当を届けて下さる手間もなくなります。」

 王平が店を訪ねて来た日は、耀春が家に戻って来る定休日だった。


 王平は、目当ての五人が店に揃っているのを確認した後、皆に向かって声を掛けた。

みかどからの勅命を伝えます。今度、羅馬ローマという遠い西国から、使節団がやって来ることになりました。皆様には使節団の接遇にご協力を頂きたいとのおおせです。」

 王宮からの依頼を受けて、潘誕は頭を抱えた。

「全く、志耀様も無茶な事をおっしゃる。遥か西方から来る使節団を持て成す料理を考えろなどと…。俺は羅馬という国でどのような料理が食べられているかなど、全く知らぬのに。」

 難しい顔をして考え込む潘誕に、華鳥が声を掛けた。

「あちらの国の料理など、気にせずとも良いのではありませんか。暁まで遥々はるばるやって来るのです。暁ならではの珍しい料理を食べたいと思う人の方が多いのではありませんか?飛仙ひせんから送って貰った香辛料も、ふんだんにあるではありませんか。何よりみかどが、これほどに貴方の料理の腕を買って下さっているのです。光栄な事ではありませんか。」

「そうは言っても…。五百を越える大人数のうたげを仕切るなど。どう考えても気が重い。志耀様も、よりによってこのような時にみかどの権力を使うなど…。本当は勘弁して欲しい。しかし帝からの勅命だからなぁ。この店の休みも増やさねば、とても期日迄には間に合わぬだろうし。あぁ胃が痛くなって来た。」

 煩悶はんもんする潘誕を見ながら、華鳥は小さく笑いを浮かべると耀春に眼を移した

「それで、耀春への依頼は?やはり絵を描く事?」

「はい。そのように言われましたが、只絵を描いてそれを飾るだけでは能がないと思っているのです。」

 それを聞いた華鳥は、耀春の顔をのぞき込んだ。

「だけど貴女あなたは絵師でしょう。絵を描く以外に何が出来るというの?」

「それはそうなんですが…。絵の題材を考えるだけでなく、何か新しいものに挑んでみたいと思っているのです。だ何も思い浮かばないんですが…」

 耀春は、そう言いながら思案顔を作った。

 すると潘誕が、何かを思い出した様子で立ち上がった。

 そして、急ぎ足で厨房ちゅうぼうの倉庫に向かうと、平たい木の箱を一つ抱えて戻って来た。

「父様、それは何ですか?」

「これは、知り合いの陶芸師が持って来てくれたものだ。その方には、店の料理を盛り付けるうつわを、何時いつも作って貰っている。これなんだが、先日その方が、耀春の絵が帝にお褒めを頂いた事への祝いだと言って持って来てくれた。」

 耀春は、木箱の蓋を取り、中を改めるなり眼をみはった。

「何て美しい大皿。皿全体が琥珀色こはくいろに輝いています。しかもこの表面の艶。ザラザラした感じが一切なく、指が滑るような触感ですね。」

 大皿の表面に指を滑らせ、その色合いにうっとりとした表情を見せる耀春を見て、潘誕が頷いた。

「そうなんだ。この大皿を見た時、耀春だったらこの皿にどんな絵を描くのだろう…そう思った。お前が店に顔を出した時に見せようと思い、仕舞しまい込んだまま忘れていた。」

 耀春は、大皿に眼を釘付けにしていた姿勢を解いて、潘誕を見上げた。

「父様、この皿を作られた方にお会いしたいのですが…」


 店にやって来たその人物は、白い総髪に長い白髭しらひげという仙人を思わせる風貌ふうぼうだった。

 その老人は、迎えに出た耀春に向かって田楽でんがくと名乗った。

 店の卓に腰を下ろした田楽老人は、目の前に座る耀春を興味深げに見つめた。

「ほぅ、貴女が潘誕殿の娘御むすめごですか。幼くしてみかどをもうならせる絵を描くというので、どんな恐ろしげな人物かと思っていたのですが…。想像とはまるで違いましたな。何とも見目麗うるわしい少女だ。特にその澄んだ瞳がまぶしい。」

 田楽の褒め言葉に照れたように下を向いた耀春だったが、直ぐに顔を挙げると、かたわらの木箱から大皿を取り出した。

「この美しい瑠璃色るりいろのお皿は、田楽様が作られたのですよね。どうしたら、このように美しい色合いと滑らかな手触りが生み出せるのですか?」

 田楽は目の前に座る耀春に微笑を見せると、穏やかな声音で答えた。

釉薬うわぐすりの効果です。陶器を焼く前に釉薬をほどこすのですが、釉薬の原料となる灰に鉄を混ぜると、焼いた時に青く発色します。その釉薬に更に特殊な金属粉きんぞくふんを混ぜ込むと、このような瑠璃色となります。しかし焼きの加減が難しいので、滅多にそこまでの色は出す事は出来ません。」

 耀春は、改めて皿の琥珀色に眼をやった。

「すると、この大皿は物凄ものすごく貴重な物なのですね。そのような品を贈って頂き、本当に有難う御座います。」

「いやいや、日頃より儂のかまどから沢山たくさんの品を買い求めて頂いている潘誕殿ですから。娘御むすめごの貴女が素晴らしい快挙を成し遂げたと聞きましたので、それへの祝いです。儂を呼ばれたのは、その事が聞きたかったのですか?」


 すると耀春は、一枚の絵を取り出して大皿の横に広げた。

「お教え頂きたい事が御座います。この大皿に、このような絵を描いて焼き付ける事は可能でしょうか?」

 耀春が田楽に示したのは、色鮮やかな絵具を使って描かれた花鳥図かちょうずだった。

 田楽は、ほぅと小さく息を吐いて絵をのぞき込んだ。

「何とも美しい絵ですな。花の香りと鳥のさえずりまでが感じられるような…」

 しばらく絵を眺めた後、田楽は耀春の顔に眼を移して尋ねた。

貴女あなたが作りたいと思っているのは、この絵を描いた皿ですか?」

「いえ、実は全て異なった絵を描いた皿を、千枚作りたいのですが…」

 それを聞いた田楽の眉間みけんに皺が寄った。

「ほぅ…千枚も。製作に期限はあるのですか?」

「半年です。絵は、私だけでなく絵画処かいがどころの絵師達全員で描く積もりです。」

 それを聞いた田楽は、首を横に振った。

「無理ですな。先程申し上げた通り、このような瑠璃色こはくいろの皿は極めて歩留ぶどまりが悪いのです。その上、それにこのような絵を付けようとすると、更に難題が増します。」

 耀春は、真剣な表情で田楽の言葉に耳を傾けた。

「この皿に絵付をしようとすると、先ず琥珀の皿を高温で焼き、その皿に絵を描いて、もう一度低温で焼くという手順をとります。しかしこれほど多くの色を使おうとすると、焼き付けた時の発色には必ずムラが出ます。一人の絵師でも難しいのに、大勢の絵師が絵を描くとなると…。出来上がった絵皿に統一性を求める事は不可能でしょうな。」

 

 田楽の説明を聞いた耀春は肩を落とした。

「やはり無理なご相談だったのですね…」

 項垂うなだれる耀春にしばらく眼を遣った田楽が、少し考えた後に口を開いた。

「貴女の言われる事は、難しい事に更に難しい事を重ねようとしているのです。しかも半年しか期限がないとうかがったので、不可能と申し上げました。しかし、方法が無い訳ではありません。」

 田楽にそう言われて、耀春は顔を挙げた。

 田楽は、耀春の顔を覗き込みながら尋ねた。

「どうしても琥珀こはくの皿でなくては駄目なのでしょうか?」

「それは、どう言う意味ですか? 他に何か手立てがあるのでしょうか?」

 田楽は、そばに置いた葛籠つづらを開けて、木箱を幾つか取り出した。

 そして次々と木箱の蓋を開けて、中に収めた小皿を耀春の前に並べた。

「それぞれ、青、薄青、白の皿です。釉薬うわぐすりの調合を変える事で、このように異なる色の皿を作り出す事が出来ます。白に近づくほどに、歩留ぶどまりは良くなります。もう一つ。絵画については多色使いを止めて、使う色をある一色だけに絞れば、大人数でも統一性のある絵皿が作れます。」

 それを聞いた耀春の顔に興奮の色が浮かんだ。

「その色とは、何なのですか?」

「青です。青の色材が、焼いた時に一番ムラが出難でにくいのです。しかも青の色材は、濃淡を最も安定して焼き付ける出来る事ができます。多くの絵師が一斉に取り組んでも、統一した作品を生み出す事が出来るでしょう。青の絵具に相性の良い基本の皿ですが、この薄青をお勧めします。絵具を乗せてもう一度焼いた時の発色が一番安定します。」

「素晴らしい。ぜひ田楽様の教えに従いたいと思います。それと田楽様にお願いがあるのですが…」

 身を乗り出して顔を近づけて来た耀春を、田楽は興味深げに見詰めた。

「はて、何でしょうか?」


 首をかしげる田楽に向かって、耀春は頭を下げた。

「私だけではなく、絵画処の絵師全員に、陶器への絵付の手法をご教授願えませんか?それと、絵付前の薄青の皿の焼成しょうせい、そして絵付後の最後の焼き上げを、田楽様のかまどでお願いしたいのですが…」

 田楽は、耀春の言葉を聞きながら長い白髭しらひげさすった。

「ほぅ。それは大仕事ですな。当然それに見合った報酬は頂けるのでしょうな?」

 田楽の言葉を聞いた耀春は狼狽うろたえた。

「ほ、報酬ですか…。申し訳ありません。私にはその事は全く分かりませんので…。それが判断出来る方に相談しないと…。」

 あせって口籠くちごもる耀春に、田楽は笑い顔を見せた。

「王宮に確認など取る必要はありません。陶芸師への賃金や窯代かまどだいは、当然お支払い頂くとして…。その仕事を請け負う儂への報酬として、此処ここにある貴女の絵を頂戴したい。」

 田楽の言葉に、耀春はぽかんと口を開けた。

「私のような者が描いた絵など、報酬になる筈がないではありませんか…」

「いや、この絵を頂戴したい。将来には純金何袋にも化ける絵ですからな。それにこの仕事は、王宮がからんでいるのでしょう。そうでなければ、このような大掛かりな仕事などあり得ない。そんな大仕事となれば、是非とも一枚、ませて頂きたいのです。」


 田楽を見送った後、潘誕が不安気な表情で耀春に尋ねた。

「あのような事、お前が勝手に決めて良いのか? 何恭様から不興ふきょうを買う事にならんのか?」

 それを聞いて、耀春は初めて気づいたように顔を挙げた。

「分かりません。でも何恭様からは、今回の帝からの御下命ごかめいについては、私の好きなようにせよ、と言って頂いています。でも絵画処の皆さんを巻き込むまでは了承を頂いてはいないんで…。直ぐにお話するように致します。」

 耀春が炎翔があやつる馬の背に同乗して王宮に向かうのを見送った後、潘誕は厨房横の倉庫に潜りこんだ。

「何を探しているのですか?」

 華鳥に問われた潘誕が、乾燥した赤い植物の実が詰まった壺を手にして倉庫から出てきた。

 潘誕が手にしている壺の中身を見て華鳥が言った。

「この赤い実は、十年以上も前に飛仙の蔵から貰って来たものですよね。確かトウガラシとか言う…。まだ持っていたのですね。もしや今度の饗応に使うのですか…?」

 潘誕は、壺の中身を確認しながら髭をさすった。

だ分からん。しかし番頭殿は、これは遥か西域から渡来した香辛料と言われていた。ずっと仕舞い込んでいたが、今回使い方を試してみる価値はある。」

 そう言いながら、潘誕はトウガラシの詰まった壺を華鳥に手渡した。

 受け取った壺の中の匂いを確認して、華鳥の顔がゆがんだ。

「何です、此れは…。口にする迄もなく、強烈な辛味が鼻を刺します。このようなもの、料理に使えるのですか?」

 潘誕は、壺から立ちのぼる辛香しんこうに鼻を寄せながら考えを巡らせた。

「ふうむ。確かにこれ単独では使うのは難しいな。だが上手く使えば、これまでにない料理が出来るかもしれない。飛仙の義父上ちちうえに、此奴こいつを大量に仕入れて貰えるようにお願いしてみる事にしよう。」

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