第15話 九鍼

 絵画処の皆が潘誕はんたん料理に舌鼓したつづみを打ち、うたげが盛り上がっている最中さなか、店の扉が激しく叩かれる音が響いた。

 胡蝶こちょうが扉を開くと、外には一人の少女が汗びっしょりの姿で立ち尽くしていた。

炎翔えんしょうさんは居ますか?」

 顔にあせりの色を浮かべてそう言う少女に、胡蝶が答えた。

「炎翔様なら、自分の小屋に居る筈だけど....」

「一緒に来て欲しいんです。うちの馬がお産なんですが...。難産で体が弱ってるんです。」

 それを聞いた胡蝶が、眼の前にいる娘の顔を見返した。

「それで、炎翔様を呼びに来たのですか...?」

「以前に、隣の牧場でも同じことがあって....。それを炎翔さんが救ってくれたんです。父様に、炎翔さんを連れて来てくれと言われて....。それで駆けて来たんです....」

 そう言った少女は、庭のすみに立つ小屋に駆け寄って扉を叩いた。

 直ぐに扉が開き、炎翔が顔を覗かせた。

「これは....。七奈ではないか?何かあったのか?」

 暫(しばら)くの間、少女の話に耳を傾けていた炎翔は、一旦いったん小屋の中に引っ込んだ。

 そして何やら支度したくを整えて、再び外に出て来ると、店の前に立つ胡蝶に話し掛けた。

「ちょっと出掛けてくる。今夜は戻れないかもしれないが、心配しなくても大丈夫だよ。」

 少女と共に早足で歩み去る炎翔を見送る胡蝶の横に、華鳥かちょうが並んだ。

「確かあの娘は、街外れにある牧場の一人娘ね。馬のお産と言ってるのが聞こえて来たけど....。」

 首をかしげる華鳥に、胡蝶が言った。

「前にちょっとお話した事がありましたね。炎翔様は以前から、馬や牛などの動物の具合が悪いと知らされると、其処そこに出掛けて行く事があったんです。今日もそれで呼ばれたんだと思います。」

「それでか....。でも炎翔は獣医ではないのに...」

「炎翔様が針を使って行う治療は、身体の弱った動物達に良く効くらしいんです。私は、実際にその治療の場に立ち会った事は無いですけど....」

 華鳥は、記憶を巡らせるような眼で胡蝶を見た。

「『はり』か....。全身に鍼を用いて治療をする方法があると聞いた事がある。確か『九鍼きゅうしん』と言って、春秋戦国しゅんじゅうせんごくの時代に生まれた治療法だけど…。しかし最近ではそれを使う医者は殆どいない筈....。炎翔は、それを動物に使ってるのか.....。それにしても、何でこんな事を始めたのかしらね....」

 華鳥の言葉に、今度は胡蝶が首をかしげた。

「なぜ、その治療方法がすたれてしまったのですか?」

 華鳥は、胡蝶の顔を正面から見据えた。

「それはね...その治療法は、とても危険だからよ。」

 それを聞いた胡蝶は、思わず両手の拳を胸の前で握り締めた。

 い

いまだ疑問の色を顔に貼り付けたままの胡蝶に対して、華鳥が説明を始めた。

貴女あなたも父様や母様の肩を揉んだ事があるでしょう? その時、『そこそこ、効くぅ』って何度も言われたでしょう?」

 華鳥の言葉に、胡蝶はうなづいた。

「人の身体には『つぼ』と呼ばれる部分が幾つもあって、其処そこを刺激すると血の巡りが良くなったり、体調を回復させたりできるのよ。鍼治療はりちりょうというのは、そのつぼの深部を鍼を使って直接刺激するんで、劇的な効果が生まれる事があるのよ。」

 それを聞いて、胡蝶の眼に浮かぶ疑問の色がさらに濃くなった。

「それはとても素晴らしい治療に思えるのですが…。どうしてその治療法が危険なのでしょうか?」

 すると華鳥は、胡蝶に向かって怖い言葉を発した。

「それはね。この治療法は効果があるだけじゃない。その反面、人を死に追いやったり、不随にする事が多いからよ。」

 華鳥の言葉に、胡蝶は顔色を失った。

「どうして、そんな事が起こるんですか?」

「治療の効果をもたらす壺というのは、急所と隣り合わせだからよ。急所を誤って突けば、瞬時に絶命する事だってある。命を失う事をまぬがれても、全身が不随となる事だって珍しくないのよ。だから鍼治療というのは、時の流れと共に禁断の治療法として、封印されていった。その意味では、私が行う手術と同じね。」

 それを聞いた胡蝶は、思わず反論した。

「それは、おかしいと思います。華鳥様の行う手術は、華佗かだ様やそのお弟子さん達の手によって、どんどん安全なものに変えられて行っているではありませんか。華鳥様の手術は、その方々の研鑽を受け継いだものではありませんか。」

「その通りよ。でもそれは、どれだけ人殺しと呼ばれようが、その治療の正しさを信念をもって伝えようとした人がいたから…。でも鍼治療の場合には、そこまでの試練には耐えられなかったのかもしれないわね。間違えば人が死んでしまう事に平気でいられる医師はいないものね。自分の心の呵責かしゃくに加えて、周囲からは人殺しと罵られるのだから…。」

 華鳥の話に怯えを感じながらも、胡蝶はそれにあらがった。

「でも....間違わなければ、効果は大きいんでしょう?」

「そうね。でも効くべき壺を的確に見極め、しかも急所を避ける事は、途轍もなく難しい。私が行う手術は、患部を切って傷や病気の場所を直接見る事が出来るけど、鍼治療では、それは出来ないのよ...」

 炎翔の行っている鍼治療の危険を教えられて、胡蝶の顔から血の気が引いた。

「でも、華鳥様の手術だって、つい最近迄は禁断の技と言われていたのに…。同じように人を救う為に生み出されて来た医術なのに…。それが人殺し扱いされるなんて…。」

 胡蝶のその言葉に、華鳥は鋭く反応した。

「その通りよ。医者は人の命と向き合うんで、一つ間違うと人殺しになりかねない。だから医療というのは誤解も産みやすい。私の場合なら、身体を切るというのは、普通で考えれば命を縮める行為よね。私の行ってる手術を最初に編み出した華佗かだ様という先達せんだつは、それゆえに処刑されてしまったの。医療というのはそういうもの。炎翔のやっている鍼治療だって同じ事よ。それにしても.....動物相手とはいえ、同じような危険に炎翔が向き合おうとしてるなんて....」


 翌朝、炎翔はげっそりとけた顔で店に戻って来た。

「炎翔様....ひどいお顔をしておられます.....。馬は助けられなかったのですね....」

 胡蝶から慰めるように声を掛けられた炎症は、首を振った。

「いや....助かったよ。母馬も仔馬も元気だ。とにかく、今はひと眠りしたい....」

 そう言うと、炎翔は自分の小屋に蹌踉よろめくように入って行った。

 やがて小屋の外まで、大きないびきが聞こえて来た。

 その様子をしばらく小屋の外で見守った胡蝶は、そっときびすを返した。

 昼過ぎになって店の厨房ちゅうぼうに姿を見せた炎翔は、中にいた潘誕に頭を下げた。

「申し訳ありません。こんな時間まで寝入ってしまって....」

 そう言われた潘誕は、炎翔に笑顔を向けた。

「胡蝶から聞いたよ。昨夜は大変だったようだな。気にするな。今日の開店は夕方からだ。店の卓の上にお前の飯が用意してある。昨夜の宴会の残り物を使ったまかない料理だがな....」

 それを聞いた炎翔は、再び潘誕に深く頭を垂れた。


 店内の卓に座る炎翔の周りには、潘誕、華鳥、胡蝶が顔を揃えた。

 そして全員が、一心に料理に食らいつく炎翔の姿を見守っていた。

「今日の飯は格別に美味うまいです。流石さすがに潘誕様の料理ですね。」

 串焼きにかぶり付く炎翔が思わず声を漏らし、それに胡蝶が笑顔を送った。

「良かったですね。母馬も仔馬も元気なんですね....」

 飯碗めしわんを手にしながらうなづく炎翔に、今度は華鳥が問い掛けた。

「こう言う時の御飯は格別でしょう? ところで、貴方に一つ聞いておきたい事があるの。」

 そう言った華鳥は、表情を改めて炎翔の顔を見た。

「どうして鍼治療はりちりょうに興味を持ったの? しかも人ではなく、動物相手に治療をしてるのは何故なぜ?」

 炎翔は碗とはしを卓に置き、自分の前に座る三人に顔を向けた。

 そして、一度丁寧に頭を下げた。

「もっと早くお話しておくべきでしたね。父からの宿題であったおのれこころざしを持って進むべき道、ようやく見えて来た気がします。俺は、人の命に向かい合う道を歩みたいと思います。華鳥様や胡蝶のように....」

 炎翔の言葉を受け取った華鳥が、炎翔を見る視線を強めた。

「人の命? ......でも、今の貴方が向かい合ってるのは、動物達の命でしょう。勿論、馬や牛だって命あるもの。しかも、人の役にたって一生懸命いっしょうけんめいに働いてくれているもの達だけど...。」

 そう言われた炎翔は、華鳥ではなく胡蝶に向き直った。


「華鳥様の問いにお答えする前に....。胡蝶。最初にお前に謝りたい。俺は、自分自身の道を見出してもいない前に、お前に偉そうな事を言った。済まなかった。」

 突然の炎翔の言葉に、胡蝶があわてたように首を振った。

「何をおっしゃるのです。炎翔様が私の背中を押して下さったからこそ、私は華鳥様に教えを請う決心が出来たのです。最初はずっと、私なんかに何が出来るのかと思ってました。でも今では、私でも人のお役にたてるかもしれない...。そう思えるようになりました。全て炎翔様のお陰です。」

 そう言う胡蝶の横で、潘誕と華鳥が大きくうなづいた。

 胡蝶からそう言われた炎翔は、もう一度頭を下げた。

「だからこそ、あやまりたい。胡蝶は自分の力でおのれの道を見つけた。お前は強い。そんなお前に、俺は分不相応ぶんふそうおうな説教をれた。恥ずかしい限りだ。胡蝶が、華鳥様と一緒に医療所に出かけ始めてから、お前の姿がどんどんまぶしくなって行った。嬉しいという気持ちの反面、俺は焦った。なんとかしなければ、俺は耀春にも胡蝶にも、遠く置いて行かれてしまうと...。取り残される不安にさいなまれた。」

 懺悔ざんげするように言葉を繋げる炎翔を見て、胡蝶は眼をしばたいた。

「そんな時、王宮書庫の中で『九鍼きゅうしん』を見つけた。⋯凄い...と思った。それと同時に、これほどに優れた考えの医術が、今はすたれてしまってる事が不思議に思えた。それでその理由わけを調べた。そして分かった。医術とは人殺しになる覚悟が必要な道なのだと....。」

 そう言って溜息をつく炎翔を華鳥が見詰めた。

「そうよ。医者というのは、神ではない。時には救えない命に向き合う事もある。それは....辛い事よ。」

 華鳥は、炎翔が気づいた医者の宿命について語った。

「そういう時の医者は、人がく事を看取みとるしかない⋯。それは医者の宿命よ。もっと言えば、医者が治療をほどこしている最中さなかに患者が死ぬ事もある。そんな時の医者は後悔にさいなまれる。自分が間違っていたのではないかと…。」

 そう言われた炎翔は、強い眼で華鳥を見返した。

おっしゃる通りなのでしょう。でも....思ったんです。何もせずに人の死を見送るくらいなら、人殺しと呼ばれても出来る事はすべきだと....。そうは言っても、やみくもに人への鍼治療はりちりょうを行う事など出来ない。だから九鍼きゅうしんずは動物に使ってみました。勿論ですが人に向かうのと同じ気持ちで。その経緯は全て記憶に留めて、後で記録しました。」


 炎翔は一度その場を立つと、何冊かの画帳をたずさえて戻ってきた。

「もしやそれは、貴方が書き留めた治療の経緯?」

 それにうなづく炎翔の前で、華鳥はそのひとつを広げた。

「これは....。部位毎ぶいごとに処方の結果が事細ことこまかに記されている。流石さすがに呂蒙様から記憶の天才と称されただけの事はあるわね.....。此れを観ると、馬については、全身の壺の在りと処方は、ほぼ見切っているようね。」

「はい。触診で大概の壺は見分けられます。」

 そう言う炎翔の横で、華鳥は画帳を次々とってゆく。

「こちらにある長針ちょうしんの処方の意味は何? 脚の球節きゅうせつに沿って、びっしりとはりが刺されてるわね?」

「それは....脚の内部に蓄積された疲労を取るんです。血の巡りが悪い場所には、一本だけではなく、患部一帯にくまなく浅く鍼を巡らす方が、危険も少なくなる事が判りました。」

「それじゃあ、此れは?」

 次々に質問を繰り出そうとする華鳥を、潘誕がさえぎった。

「難しい事は後にして、大事な事を聞きたい。」


「お前が此処ここに書き留めたこれらの施術せじゅつ....。もう人間にも使えるのか?」

 潘誕にそう問われた炎翔は、自信無さ気に下を向いた。

「それは....正直分かりません....。人に試した事は無いんで....。でも基本は九鍼きゅうしんの記載に沿ってはいるんで……。恐らくですが、効果はあると思います。」

「どんな症状に効くんだ?」

「最も効くのは、身体内部の痛みや強張こわばり、そして麻痺でしょうか....。でも、弱った身体を回復する効果も期待出来ると思います。」

 それを聞いた潘誕の顔に、笑顔が浮かんだ。

「そうか....人にも効果があるんだな? 弱った身体の回復というのは、どのような患者のことなのだ? 」

鍼治療はりちりょうは、手術のような外的処置では回復が見込めない患者に効果があると思います。華鳥様が会得されている薬草による治療と組み合わせれば、効果は更に高まると思います。例えば、長期に渡る慢性的な病気をわずらっている病人。中風ちゅうぶうの後遺症に悩む人などにも…。更には難産で体力が弱った妊婦。これは前に救う事が出来なかった魚屋の女将おかみさんのような人です。本当は産まれた時に体力がなく死にかけてる赤子も救いたいんですが、こちらについては鍼だけでは駄目だと思います。」

 それを聞いた潘誕は、不思議そうな顔で炎翔に尋ねた。

「炎翔、お前。余程よほどあの時の魚屋の女将おかみの事が頭から離れない様子だな。しかしお前の言葉と行動を見ると、殊更ことさらお産への思い入れを強く感じるが…。何故なぜそのようにお産にこだわるのだ?」

 潘誕の問いに、炎翔は決意をめた口調で答えた。

「お産というのは、新たな命を生み出すいとなみだからです。女子おなごと子供は、無限の生命いのち宿木やどりぎなのだ....と父に言われました。それが、ずっと心に引っ掛かっていました。そして思い当たりました。人の想いを引き継いで行く事の原点とは、新たな命を産み出すお産なのだと....。」

 華鳥が、感心した眼で炎翔を見詰めた。

「貴方は男なのに....。そこまで考えを巡らせていたのね。」


 胡蝶が、炎翔の言った言葉を思い返しながら尋ねた。

「炎翔様は、赤子にははりは使えないとおっしゃいましたが、どうして駄目なのですか?」

「産まれたばかりの赤子は、母親の体内から外界に出たばかりで、只でさえ大きな変化にさらされてる。そんな時に鍼を使うのは、刺激が強すぎるのだと思う。死にかけた仔馬に、何度も鍼治療をしてみたが、一度も救う事は出来なかった。」

「それでは、昨日きのうの場合は、仔馬は最初から元気だったのですね?」

「いや....。産まれた時には息をしていなかった。あの仔馬は、その時にはもう体力が尽きかけていたんだ。」

 胡蝶は、炎翔の言葉を聞いて思わず口元を手でおおった。

「そんな....。息のない仔馬を、生き返らせたのですか?」

 謎解なぞときを迫るように説明を求める胡蝶に、炎翔は少しだけ微笑んだ。

「仔馬が、この世に戻って来るのに、俺はちょっとだけ手を貸しただけだ。」

「それではよく分かりません。どうすれば、そんな事が出来るのです?」

 れたような胡蝶の問いに、炎翔はもう一度微笑んだ。

 そして、その先は何も答えなかった。



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